岩
2009年01月06日
Rock & Roll
正解は岩。
確かに動き出したくなるのはわかるがロックンロール・ミュージックではない。
ちなみに
テレビでもいい。れなちゃん正解。机でも切符でもタオルでもなんでも。
一見止まっているように見える物質全てというのが、僕の用意した答えだ。でもほかもあるかもしんない。
りゅうの答えや、すぎさんの答えの理由もぜひ聞いてみたいな!ともちゃんはなにを予想したの?よしみんはどんな感じ?コメントなんてしねえがちょっと考えたりしちゃったそこのアナタはどないでっしゃろ。
まぁここでは一応僕の用意した解答にお付き合いください。
わかりやすく、岩でいこう。
早速解説。(僕は算数のドリルをやるときもまず別紙の解答・解説から見る大変素直でがんばり屋さんの小学生だったのです。)
ここに岩がある。大きな岩だ。
土石流が運んだのかチェ・ホンマンが運んだのか知らんがとにかく、どーん、とある。
岩は止まっている。
確かに、止まっている。
昨日僕は箱根の老舗旅館に泊まった。財布から諭吉が消えている。
確かに、泊まっている。
はっ!まさか血迷って夜の歌舞伎町にくりだしたかおれ?!どうしたおれ!?どうするおれ!!
記憶は記録に忠実ではないって誰かも言っていたしな・・
しかしかろうじて旅館の領収書という記録が見つかった。どうやら今回はセーフらしい。危ないあぶない。
ここで岩の中に侵入してみる。
そういえばおもちゃのカンヅメの中身は結局なんなのだろう。お菓子といえばの下山さんなら知っているかな。夢を死守するためにネット検索は控えておこう。
岩は物質だ。
物質はなにでできているかというと、分子、原子、原子核、電子、中性子、陽子、クオークというような人間が勝手に名前をつけた粒子クン達でできている。
岩には粒子が詰まっている。しかしぎっしりと隙間なく詰まっているわけではない。粒子と粒子の間には隙間がある。冷静と情熱のあいだは映画である。
これは前にも書いたよね。
粒子はその隙間―空間―を飛び回っている。一定の動きでここからあそこへと移動している。その移動スピードはとてつもなく速い。速すぎて人間からはそれが見えない。止まってるように見える。動いてる粒子の集合体が固まりに見える。それがモノだ。物質だ。これは科学で解明されているね。
岩を構成している粒子は、つまり岩は、動いている。
しかし僕らから見たら、岩は止まっている。動いていない。
岩は動いてるけど、動いていない。
これが答え。
納得したかなぁ。
なにか間違いや矛盾らしきものを発見したらちゃんと指摘をしてから110番よろしく。なんも見ずに書いてるから間違えてるかも。やっぱ110番は迷惑だからよしてあげて。
てゆうかこれ全部書き終わってたのにPCの電源落ちてパーになっちゃったから思い出して書いてるんだよ?あぁもっと蔑んでくれたまえ!わかってる!布団の上で書いてたのがいけなかったんだって言うんだろ?でも!でもだよ!そりゃあ神聖な寝室にいたりなんかしたらPCもヒートアップするさ!なにを勘違いしたのか知らんけどさ!でも保冷剤&ドライヤー〔クール〕2時間でもほてりが直らないってどうゆうことさ!だから仕方がないので親父のPCで書いてるってわけさ!
やーすーんーで
このなぞなぞは一つの例だ。
あれも、これもだということのさ。
大抵の人は、動いているか、動いていないかどちらかだ、というようにあれか、これかに決めたがるが、そろそろ新しい発想をしたほうがいい。
どちらも正解だという発想を。
あれも、これも正解だということを表現しているものがこんなに身近にあるんだよ。気づいてもいいはずだ。
あれも、これもという考え方をすると、わかりあえる。調和できる。
相手の気持ちを理解できる。自分の思想主張以外は排除するということがなくなる。人間関係の問題や悩みや憤怒が消え去る。赦せる。認めることができる。
あれか、これかという考え方をすると、分離する。否定が生じる。葛藤や不安が生じる。争いが起こる。正義と悪が生まれる。勝ち負けが生じる。戦争が起こる。
現実を見れば、大半の人がどちらの思考法を選択してきたかということがわかる。
しかしこれは批判ではなく単なる観察だ。どちらが良くてどちらが悪いというものではない。
重要なのは、どれを選択するかだ。
他人がじゃない。自分がだ。
人生とは選択の結果だ。
「イヤな出来事」や「とんだ災難」がどこからか降りかかってくるように思う人もいるだろうがそれも自分の選択の結果にすぎない。
偶然というものは存在しない。
雪の結晶の美しさが、人体の血液循環作用の精密さが、たまたまの偶然の産物だといえるだろうか。自然の摂理は偶然ではないのに自分に降りかかることだけは偶然だろうか。現実をよく見ればそれが必然だということが自然とわかる。
自分で引き起こした現実に自分で悩み苦しむ。それがわたし達の演じているコントだ。環境問題や病気に対する捉え方などもまさにギャグみたいだ。自分で自分の首を絞めているのにいざ苦しくなってくると大変だと騒ぐ。
どの捉え方を選択するか、どの行為を選択するか、どの在り方を選択するか、というようなことを無数に選択することによって、自分は定義される。だから僕らはこの相対性の世界にいる。
全ての概念は、自分がどうありたいか、どうなりたいかということによって決まる。優しい人でありたい人にとっては人を癒すことが良しだし、喧嘩世界一になりたい人にとっては暴力が良しだ。
だから全ての人間に共通の概念なんぞ存在しない。存在することができない。
どんな人でも、その人の世界観に照らし合わせれば、「正しい」ことをしているのだ。この考え方は相手を理解するのにとても役に立つ。
ヒトラーは「正しい」こととして、大量虐殺を行った。ユダヤ人を殲滅することが「正しい」ことだと信じていた。だって何百万人もの人達がヒトラーを認めていたんだよ?そんな状況で自分は間違っているのだと思えるかな?
そういうことだから僕は批判をしない。僕にとってなんの役にも立たないから。
僕は全てがひとつだと言う。
それは須藤元気さんのWE ARE ALL ONEという思想が好きだからではなく、それが真実だからだ。
しかし現実にキミとボクはべつべつに分かれている。明らかに離れている。一体だとはとても思えない。
しかし全てはひとつなのだ。
ここまでくればもうわかると思う。
全てはひとつであり、べつべつなのだ。
さっきの岩にもどる。
僕らの視点で見てみる。
岩は一個の岩だ。止まっている。
では粒子クンの視点で見てみる。粒子クンになりきる。
自分は物理的にここからあそこへと動いている。そしてあっちにいる粒子αと自分は明らかに分離したべつべつの存在だ。そっちの粒子ωと自分は明らかに違う。それが一体だなんて考えたこともない。
僕らは粒子に語りかける。
「キミらはひとつだよ。」
粒子クンは答える。
「なに冗談を言ってるんだ!そんなことあるわけないだろ!だって現実にオレとアイツは別々じゃないか!どこがひとつなんだ!証拠を見せてみろ!」
なあんだ、いまのぼくらとおんなじじゃないか。
ちなみに
Rock'n'Roll
のRockは岩じゃないよ。
「人間」
まわる まわる ぐるぐるまわる
吐くまで踊る 悪魔と踊る
/銀杏BOYZ
確かに動き出したくなるのはわかるがロックンロール・ミュージックではない。
ちなみに
テレビでもいい。れなちゃん正解。机でも切符でもタオルでもなんでも。
一見止まっているように見える物質全てというのが、僕の用意した答えだ。でもほかもあるかもしんない。
りゅうの答えや、すぎさんの答えの理由もぜひ聞いてみたいな!ともちゃんはなにを予想したの?よしみんはどんな感じ?コメントなんてしねえがちょっと考えたりしちゃったそこのアナタはどないでっしゃろ。
まぁここでは一応僕の用意した解答にお付き合いください。
わかりやすく、岩でいこう。
早速解説。(僕は算数のドリルをやるときもまず別紙の解答・解説から見る大変素直でがんばり屋さんの小学生だったのです。)
ここに岩がある。大きな岩だ。
土石流が運んだのかチェ・ホンマンが運んだのか知らんがとにかく、どーん、とある。
岩は止まっている。
確かに、止まっている。
昨日僕は箱根の老舗旅館に泊まった。財布から諭吉が消えている。
確かに、泊まっている。
はっ!まさか血迷って夜の歌舞伎町にくりだしたかおれ?!どうしたおれ!?どうするおれ!!
記憶は記録に忠実ではないって誰かも言っていたしな・・
しかしかろうじて旅館の領収書という記録が見つかった。どうやら今回はセーフらしい。危ないあぶない。
ここで岩の中に侵入してみる。
そういえばおもちゃのカンヅメの中身は結局なんなのだろう。お菓子といえばの下山さんなら知っているかな。夢を死守するためにネット検索は控えておこう。
岩は物質だ。
物質はなにでできているかというと、分子、原子、原子核、電子、中性子、陽子、クオークというような人間が勝手に名前をつけた粒子クン達でできている。
岩には粒子が詰まっている。しかしぎっしりと隙間なく詰まっているわけではない。粒子と粒子の間には隙間がある。冷静と情熱のあいだは映画である。
これは前にも書いたよね。
粒子はその隙間―空間―を飛び回っている。一定の動きでここからあそこへと移動している。その移動スピードはとてつもなく速い。速すぎて人間からはそれが見えない。止まってるように見える。動いてる粒子の集合体が固まりに見える。それがモノだ。物質だ。これは科学で解明されているね。
岩を構成している粒子は、つまり岩は、動いている。
しかし僕らから見たら、岩は止まっている。動いていない。
岩は動いてるけど、動いていない。
これが答え。
納得したかなぁ。
なにか間違いや矛盾らしきものを発見したらちゃんと指摘をしてから110番よろしく。なんも見ずに書いてるから間違えてるかも。やっぱ110番は迷惑だからよしてあげて。
てゆうかこれ全部書き終わってたのにPCの電源落ちてパーになっちゃったから思い出して書いてるんだよ?あぁもっと蔑んでくれたまえ!わかってる!布団の上で書いてたのがいけなかったんだって言うんだろ?でも!でもだよ!そりゃあ神聖な寝室にいたりなんかしたらPCもヒートアップするさ!なにを勘違いしたのか知らんけどさ!でも保冷剤&ドライヤー〔クール〕2時間でもほてりが直らないってどうゆうことさ!だから仕方がないので親父のPCで書いてるってわけさ!
やーすーんーで
このなぞなぞは一つの例だ。
あれも、これもだということのさ。
大抵の人は、動いているか、動いていないかどちらかだ、というようにあれか、これかに決めたがるが、そろそろ新しい発想をしたほうがいい。
どちらも正解だという発想を。
あれも、これも正解だということを表現しているものがこんなに身近にあるんだよ。気づいてもいいはずだ。
あれも、これもという考え方をすると、わかりあえる。調和できる。
相手の気持ちを理解できる。自分の思想主張以外は排除するということがなくなる。人間関係の問題や悩みや憤怒が消え去る。赦せる。認めることができる。
あれか、これかという考え方をすると、分離する。否定が生じる。葛藤や不安が生じる。争いが起こる。正義と悪が生まれる。勝ち負けが生じる。戦争が起こる。
現実を見れば、大半の人がどちらの思考法を選択してきたかということがわかる。
しかしこれは批判ではなく単なる観察だ。どちらが良くてどちらが悪いというものではない。
重要なのは、どれを選択するかだ。
他人がじゃない。自分がだ。
人生とは選択の結果だ。
「イヤな出来事」や「とんだ災難」がどこからか降りかかってくるように思う人もいるだろうがそれも自分の選択の結果にすぎない。
偶然というものは存在しない。
雪の結晶の美しさが、人体の血液循環作用の精密さが、たまたまの偶然の産物だといえるだろうか。自然の摂理は偶然ではないのに自分に降りかかることだけは偶然だろうか。現実をよく見ればそれが必然だということが自然とわかる。
自分で引き起こした現実に自分で悩み苦しむ。それがわたし達の演じているコントだ。環境問題や病気に対する捉え方などもまさにギャグみたいだ。自分で自分の首を絞めているのにいざ苦しくなってくると大変だと騒ぐ。
どの捉え方を選択するか、どの行為を選択するか、どの在り方を選択するか、というようなことを無数に選択することによって、自分は定義される。だから僕らはこの相対性の世界にいる。
全ての概念は、自分がどうありたいか、どうなりたいかということによって決まる。優しい人でありたい人にとっては人を癒すことが良しだし、喧嘩世界一になりたい人にとっては暴力が良しだ。
だから全ての人間に共通の概念なんぞ存在しない。存在することができない。
どんな人でも、その人の世界観に照らし合わせれば、「正しい」ことをしているのだ。この考え方は相手を理解するのにとても役に立つ。
ヒトラーは「正しい」こととして、大量虐殺を行った。ユダヤ人を殲滅することが「正しい」ことだと信じていた。だって何百万人もの人達がヒトラーを認めていたんだよ?そんな状況で自分は間違っているのだと思えるかな?
そういうことだから僕は批判をしない。僕にとってなんの役にも立たないから。
僕は全てがひとつだと言う。
それは須藤元気さんのWE ARE ALL ONEという思想が好きだからではなく、それが真実だからだ。
しかし現実にキミとボクはべつべつに分かれている。明らかに離れている。一体だとはとても思えない。
しかし全てはひとつなのだ。
ここまでくればもうわかると思う。
全てはひとつであり、べつべつなのだ。
さっきの岩にもどる。
僕らの視点で見てみる。
岩は一個の岩だ。止まっている。
では粒子クンの視点で見てみる。粒子クンになりきる。
自分は物理的にここからあそこへと動いている。そしてあっちにいる粒子αと自分は明らかに分離したべつべつの存在だ。そっちの粒子ωと自分は明らかに違う。それが一体だなんて考えたこともない。
僕らは粒子に語りかける。
「キミらはひとつだよ。」
粒子クンは答える。
「なに冗談を言ってるんだ!そんなことあるわけないだろ!だって現実にオレとアイツは別々じゃないか!どこがひとつなんだ!証拠を見せてみろ!」
なあんだ、いまのぼくらとおんなじじゃないか。
ちなみに
Rock'n'Roll
のRockは岩じゃないよ。
「人間」
まわる まわる ぐるぐるまわる
吐くまで踊る 悪魔と踊る
/銀杏BOYZ