琵琶一人旅

琵琶奏者 塩高和之の徒然日記 日々の想いを綴ります。

2012年08月

井の中の蛙大海を想う

友人から借りていた、世界的バイオリニストの堀米ゆず子さんのエッセイを読んでみました。かんげい館で聞いたViの方もイギリスに留学中という事でしたが、とにかく世界は広い。大きい。凄いのです!!

        堀米ゆず子

内容はエリザベート王妃国際コンクールに挑戦する所から話が始まるのですが、どんな環境にも嬉々として立ち向かい、世界を舞台に一流の演奏家として生きて行く姿は、本当に素敵です。そして気負いなく、素直な人柄も見えてきます。

20代前半で世界の超一流の舞台に飛び出た堀米さんの姿を思うと、いかに自分が井の中の蛙であるか、ひしひしひしひしひしひしと感じました。器の違いとはこういう事なんでしょうね。邦楽特に琵琶は、己の世界に閉じこもりがちなので、私はそういう閉鎖空間を飛び越えようとあがいて来ましたが、そんな所に引っ掛かっている時点ですでに話になりません。一流は最初から観ている所が違うのです。そして一流の技術を磨き、一流の行動活動をするのです。


      パガニーニハイフェッツ

世の中何でもそうですが、ギターでもバイオリンでも、凄い技術を持った人が出ると、次の世代はもうその凄さが当たり前になって、もっと凄くなっていくものです。音楽の豊かさは勿論技術だけの問題ではないのですが、どんな分野でも技術に関してはどんどん高まって行くものなのです。
「悪魔に魂を売り渡して、その技術を手に入れた」とまで評されたパガニーニや、ハイフェッツが最高レベルの技術を示したら、次の世代はそれがもうスタンダードになって更に先を行きます。

バンヘイレン

ギターでは、エドワードヴァンヘイレンが驚異的なリズム感とテクニックでデビューしたのが79年、それ以来彼のテクニックはスタンダードになってしまいました。


水藤錦穣5ところが琵琶は、水藤錦穣という脅威的な演奏技術を持っている人が現れたのにも関わらず、その演奏技術はどれだけ受け継がれたのだろうか?。はっきり言って誰も居なかった。唯一鶴田錦史が、独自の発展をさせたと言えるでしょう。
水藤錦穣という大きな目標となる、琵琶界のハイフェッツみたいな達人が居ながら・・・・。当時はきっとがんばっていた人達が居たのではないだろうかと思いますが、まことに残念で仕方がありません。少なくとも私は、音楽性は別として、水藤先生の演奏技術を追いかけたいし、超えたいと思っています。
琵琶唄に関しては、これから三味線音楽や他の洋楽器のように、語り手と琵琶の演奏を別にしていこうと思っています。両方やっていたら、アウェイで通用しない。はっきり言って、琵琶唄のうたは歌専門の歌手に比べてレベルが低いし、このままでは演奏技術も上がらない。
        
アルディメオラジャケ パコデルシア
            
 フラメンコギターのパコデルシアは、それまで閉鎖的だったフラメンコの世界を飛び出して、ジャズミュージシャン達と互角に(それ以上に)演奏し、フラメンコを一気に世界に広め、世界音楽のレベルにまで引き上げました。それもチックコリアや、アルディメオラ、ジョンマクラフリンという超のつくトップジャズメン達と挑戦的に共演したのです。77年発表のアルディメオラの2ndアルバムElegant Gypsyの中の「Mediterranean Sundance」をぜひ聞いてみてください。驚異的です。自分のフィールドでもないし、やり方も違う、全くのアウェイに於いて、今までフラメンコを聞いたことも無かった聴衆を魅了してしまう。こんな凄い事が世界では次々に起こっているのです。

どのように音楽を捉えてもいいし、琵琶をどう弾いても良いと思います。そして私ごときが何をやっても堀米さんの100分の一いや100000分の一の成果も出せないでしょう。でも目指さずにはいられないのです。たとえそれが井の中の蛙のあがきであっても・・・。

エッセイを読んでいて、一気にファンになってしまいました。是非生演奏を聴きたいですね。ガルネリも早く戻ってくるといいですね。



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快楽主義の美学Ⅱ

先日、我が家の近くの音楽サロン「かんげい館」にて行われた、ViとPianoによる演奏会に行ってきました。タイトルは「Bell Epoque」、その名の通りプログラムは1曲を除いて全てフランスの作曲家の作品でした。なかなかレベルの高い演奏で、久しぶりにフランス音楽を堪能しました。

    中島かんげい館1中島かんげい館2

演奏は、上手というレベルをはるかに超えていて、時折りその音色に「官能」を感じるほどに充実したものでした。楽曲はどれも素晴らしいものだし、何よりも演奏から「どうだ!」みたいな気負いを感じなかったのが良かったです。演奏者の音楽に対する姿勢と、二人の人間性が素直なのでしょうね。聞いていて、自然と音楽の快楽に身を浸している自分に気が付きました。素敵な時間でしたね。

勿論その先の問いかけもあります。彼らはこれからもっと考えるべき事が出てくるでしょう。「何故フランス音楽をやるのか」「日本に生まれ育ち受け継いだものは何か」等々色々な事に立ち向かうことになると思います。またそういうことに立ち向かわないようではそれまで、とも言えます。しかし先ずはこのレベルを持っているという事は素晴らしい事です。ここから見えることもあるでしょう。10年後20年後の演奏を是非聞いてみたいと思いました。

Viの方は弱冠20歳の方でしたが、明治以降百数十年の洋楽教育は、20歳の日本人にこれだけの技術をもたらしたか、と感慨深く思いました。それに比べ琵琶は日本のものでありながら水藤錦穣以来、弦楽器奏者として世間の誰もが認めるような人はどれだけいるのだろう?

kawasaki2009-3s筝曲では「六段」「みだれ」「春の海」「千鳥の曲」等名曲があるものの、世界に向けて発信できる名曲が邦楽には少な過ぎる。日本の伝統も判るし、勿論しっかりと受け継ぎたいし、洋楽に迎合することも全く無いですが、これからは次の時代を見つめて、小さな意識を抜け出し、一民族音楽ではない、世界視野の琵琶楽を作るべきだと思います。演奏と共に作曲がこれから重要になって行くでしょう。とにかく今のレベルではどうしようもない。


演奏を聞いて、色々なことが想起されましたが、それにしても素晴らしい音楽に浸ると、心が豊かになりますね。音楽が深く心に届き、煌めきのようなものがずっと体内に漂っているのを感じます。芸術・音楽の「快楽」は、ネガティブな気持ちを消し、あらゆる所に想いを行き渡たらせ、創造力を刺激し、大きな心で生きて行く源となってゆきます。何物にも代えがたいものですな。

皆さんも芸術・音楽の豊饒なる「快楽」を味わってみませんか。



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快楽主義の美学

私は、何時も何かしら本を読んでいるのですが、どういう訳かここ10年程ずっと小説からkuroda遠ざかっていました。それは読書というものが私の中で、レジュメのネタ探しのようになって、読書に快楽と喜びを忘れていたからです。
私は芸術の中に学問という分野は確かに必要だと思っていますが、人間を突き動かしている本質は快楽、という意見もある位ですから、研究ばかりでは成り立たない・・・・。

    my favorite novels

        sibusawamurakamimisimakomatuetc.

この所周りの影響もあって、あらためて読書の快楽に目覚め、小説を読みだしています。読んでいて、いつもと違う地平、異次元を感じられる作品には特に興味を惹かれます。異空間は日常の中に潜んでいたり、何時も使っている言葉の中に有ったり、潜在意識の中に有ったりする。そんな所が見えてくるのが実に面白いのです。

音楽では最近よく聞いているのが、クイケンクルテットのハイドンクイケン「十字架の上のキリストの最後の7つの言葉」です。タイトルも意味深ですが、何度聞いてものっけからぶるぶる来るような「官能」を感じてしまいます。この官能に身をゆだねている状態がすなわち「快楽」。異次元に誘われ、時に自分を映す鏡のように感じる、この汲めども尽くせぬ魅力を味わう、そんな「快楽」の深みに身をゆだねることは、現代の閉鎖空間から解放してくれるし、無限の創造力を回復してくれますね。

こうして芸術に浸る毎日ではありますが、今、世の中を見渡してみると、正に激動という言葉しかないような状況になっています。
国境なき医師団 http://www.msf.or.jp/news/photo_list.php
こういう時代だからこそ一人一人に創造力が大切だと思います。それは豊かな日本に生きる我々の義務と言っても良いかもしれません。偏狭な民族主義や権利意識、独善的意見は創造力の欠如でしかないのです。

kurimuto「官能」を感じ「快楽」に身を浸すことは、欲望に流され、怠惰な時を過ごすことではありません。以前書いた「ちまちました我欲の充実」とは全く違うものなのです。
それは文化の奥深さを知ること。政治も経済も文化ありき。国家とはどんな文化を持っているかを問われているのではないでしょうか。
日本ではこの点を未だ理解しようとせず、芸術=おめでたい・役に立たない、という意識が強い。これではもう世界から孤立してしまう。私の携わる邦楽も、お稽古事の小さな村意識で固まり、大きな視野と豊かな創造力を持てないようでしたら、もう将来は期待できません。

          弁天19

「自分だけはまともだ」と思っているのは現代人の病気、とはよく言われることですが、そろそろ振り回される人生には終わりにしたいと思います。

「官能」を感じ「快楽」に身をゆだね、人生を、歴史を、世を想う時間ありますか?

芸術の官能と快楽を日常の内に感じ、豊かな創造力をこの身に満たしたいものです。



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もっとドラマを!

先日、琵琶樂人倶楽部の夏の恒例「SPレコードコンサート~往年の琵琶名人を聴く」をやってきました。

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毎度の事ですがクレデンザから響くSPの音は、本当にリアルで、本人が目の前にいるかのようです。当時レコード出すという事は色々な面で大変なことだったと思いますが、それだけにどの演奏も気迫が凄く、当時の琵琶楽のレベルの高さと共に、時代の勢いのようなものが感じられます。        
         
と、今では色々と想いを馳せて鑑賞することができるのですが、実は、私は薩摩琵琶を初めて手にした時は、従来の琵琶曲はどうもしっくりと来ませんでした。良く聞けば、永田錦心の「石童丸」等には、今私が琵琶楽に求めるドラマ性が既に十二分に備わっていて、その革新性も内容も大変魅力あるものだったのですが、最初はそれが全く判らず、またその演奏スタイルは、私が琵琶に対し想い描いた姿とはずいぶん違っていました。

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それで色々と自分で工夫を凝らしやってきたのですが、ここにきてその独自のやり方が、一つの様式として自分の中で明確になってきました。それは数年前からアンサンブルグループを率い、自分のスタイルをしっかりとメンバーに説明する必要があったことが大きいです。また昨年「物語琵琶」とも言われる「勧進帳」をやってみて、そこに共通するものを感じたことで、より自分のスタイルが明確に見えるようになったことによります。

         
    平経正
経正私がいつも弾き語りをやる際に、最初の弾き語り作品「平経正」以来ずっと考えている事は
①時間軸の見極めと多様性
②登場人物とナレーションの語り分け
③目線の位置(カメラワーク)をかなりはっきりさせて、能やオペラのように仕上げて行く。
この3つをポイントにしてきました。これは何よりもドラマ性を曲に持たせる為なのです。森田亨先生の作詞によるところが大きいのですが、自分で歌詞を書いた合奏作品「静~緋色の舞」や「朝の雨」等の作品等もそのスタイルで書きました。(もちろん違う作風のものもありますが)

では、なぜ琵琶語りにこのようなドラマ性が必要か。それは、ドラマの持つ展開と醍醐味が聴き手を惹きつけ、その世界を共有できるからです。何を聞いても同じであったら聴衆は以前の私と同じように魅力を感じない。ダイナミックにすればよいというものではないですが、色々な時間軸を組み合わせて、聴き手の創造力を掻き立てることは、大きな世界に誘うことになり、その世界を味わうことで、同時にその世界が有する深い精神性も伝えることができると思います。やはり舞台は人を惹きつけるものが無くてはいけません。

met live viewing「椿姫」
ナタリー&ポレンザーニ「オペラは死に続けている(ブーレーズ)」と言われる現代において、Metのオペラが何故今でも大人気なのか。それは素晴らしい演出・脚本と、歌手のレベルの三拍子がハイクオリティーでそろっているからです。だから観客はぐいぐいと惹きつけられ、どの作品も観てみたいと思うのです。

先日聞いた長唄などもとても素晴らしい構成を持っていましたが、それに比べると今迄の琵琶楽には、とにかく楽曲としての演出が無い。個人の語りの力量で勝負すれば、それでよかったのかもしれませんが、今後更に琵琶の魅力を知ってもらうために、明確なドラマ性は是非とも必要だと思います。「石童丸」にも確かにドラマ性はありました。錦心流以前の薩摩琵琶には無いドラマ性がしっかりとありました。だから聴衆は熱狂したのだと思います。しかしそのやり方は現代のスピード感にはもう合わない。つまりそのドラマを現代に於いて新たな形でやろうという訳です。

薩摩琵琶は深い精神性を語るものであると言われています。私もこの部分に憧れて始めたようなものです。しかし今聴いても一向に伝わってこない。それは当たり前のことで、幕末や明治の頃の忠義の心、天皇崇拝の内容、武士道の内容、それでは現代には合わないのは当たり前。

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実はその精神性というものは、武士道だなんだという形ではなく、そのもっと奥に隠れた根源的な精神なのではないでしょうか。そういうものを現代という時代の中で語るのが、薩摩琵琶の本来の使命ではないでしょうか。それには表面の形に何時までも惑わされてはいけません。私達の生活も時代とともに変わるように、音楽も変わるべき。永田錦心の時代から琵琶はそうだったはずです。そして今その深い精神性を伝えるのには、聴き手の創造力を掻き立てるようなドラマ性が必要とされているのではないかと思うのです。

          史水回2012-5

また今後は語り手と弾き手を分けることも必要と考えています。弾き語りという魅力はあるものの、歌と楽器を両方やっていては両方共にレベルが上がらない。器楽としての琵琶を他の楽器と同じように、高いレベルで弾きこなす人は現在誰も居ません。また歌い手として、他のジャンルでも通用するようなレベルを持っている人も誰も居ません。長唄は唄い手と弾き手を早い時期から分けて、研鑽したからこそ、あれだけのレベルに至ったのだと思います。琵琶の弾き語りという部分は、今後大いに考えるべき問題だと思っています。

もっと薩摩琵琶には語るべき世界が有るはず。そして魅力が有るはず。そしてもっともっと多くの人に聞いてもらいたい。それは決してエンタテイメントのような一過性で売れるとかいうのもでなく、後世に受け継がれるような芸術音楽として届けたい。

これからどんどんやりますよ。



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眼差しと憧れと

先日エドワード・バーンジョーンズ展を観てきました。説明の必要も無いと思いますが、19世紀半ばから後半にイギリスで活躍した方です。ラファエル前派、象徴主義と言われています。ちょうど年代としては明治維新直前の生まれなので、海を隔てたフランスではドビュッシー等の印象派が活躍した時代と重なります。そして薩摩琵琶の誕生とも時を同じくしているのです。


        バーンジョーンズ1

ジョーンズは聖職者を目指していたというだけあって、その作品には全体にとても清潔感があります。淡く包み込むような光、自然な輝きを見せる色彩、内面がそのまま表れているかのような姿、全てが魅力的です。最初はごてごてした宗教画というイメージを持っていたのですが、実際観てみると全然違いました。
どの作品にも素直なまなざしが感じられます。生々しい現実の人間の姿ではなく、象徴主義と言われるように、神話の世界を通して、人間の根元的な精神を描き出しています。またそこには、ジョーンズ自身がこうあって欲しい、という憧れと幻想が強く感じられ、美しさと共に彼の人間に対する理想が作品に現れていました。

バーンジョーンズ3中には現代の作品ではないかとも思えるようなものがありました。
こちらは後半の展示で特に目にとまった作品です。大きな作品なので、実物を見ないと雰囲気は判りませんが、光の表現が実に素晴らしく、観ている自分がその世界に入ってしまいそうで、とてもモダンな感じがしました。今のように、どこに居ても映像や音が容赦なく襲いかかるほどに氾濫している時代と違って、当時はジョーンズの作品が人々に大きな驚きと感動を持って鑑賞されていたのではないでしょうか。

ジョーンズの凄い技術は後になってから感じました。見ている時にはほとんど感じなかったのです。当たり前ではあるのですが、ものすごい画力です。最初に技術を感じさせないということは、音楽でも美術でも確実に描く世界を表現しているという事だと思います。

バーンジョーンズ2
先ずは描くべき「世界」がちゃんとあり、その世界に描くべき「必然性」がある。その上に表現する充分な高い技術がある。だから観ている人に伝わるのでしょう。
音楽は目に見えない分、格好良いとか、心地良い、楽しくなるというような、表面的なもの=エンタテイメント性・パーフォマンス性が先に来がちなので、そこで終っているものも少なくありません。しかし絵画はじっと佇んで、観る者の感性と知性をしっかりと刺激してくる。
表現すべき世界、そしてその必然性があって、初めて人はそれを受け入れる。そして受け継がれるのではないでしょうか。私には絵画の世界の方が合っているかもしれません。

ずっと観ていると、自分の中の創造力が活発になって、絵を通して色々なことに想いが行き渡って行くのです。便利な世の中に居ると忘れがちなものが改めて見えてきて、記憶の中を辿って行きます。私にはこの作品に描かれた世界が、一つのGolden ageのように思えてきました。

          profile10-s

自分が何を描き、何を語るか、バーンジョーンズの絵を観ながら、自分のこれからの道、これから社会、等々想いが大きく広がり、芸術、音楽への眼差しが深化しました。



PS:一枚だけジョーンズ自身のの姿を描いた滑稽なイラスト画がありました。なんかお茶目という言葉が似合いそうな線だけの作品でしたが、こんな所がジョーンズの日々の暮らしの中での豊かさなのかな?と思いました。



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