琵琶一人旅

琵琶奏者 塩高和之の徒然日記 日々の想いを綴ります。

2012年10月

夢の時間

私は、舞台というものは、夢の時間だと思っています。能舞台でも、役者は鏡の間で現実から幽玄世界の存在に変身し、舞台に出て行きますが、舞台は非日常であり、一種のイリュージョンであって欲しい、あるべきだと思うのです。

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だから素のままで、日常を引きずって舞台に出ることは、私にはあり得ないのです。舞台人の中には、素のままが魅力という方も居ますが、それもまた一つのキャラだったりするのがプロの世界です。


神田の家2最近よくネタに出てくる、江戸手妻の藤山先生の会で、神田の家1先日琵琶を弾いてきました。「神田の家」という神田明神脇のお座敷だったのですが、藤山先生の手にかかると、あの小さなお座敷が見事に非日常になるのです。夢の世界が確かにあそこにはありました。

エンタメ派ではない私でも、お客様を私の音楽に誘い、充分に聞いてもらえる環境作りは怠りません。衣装一つとっても、その時々で色紋付き、黒紋付、紬、等々・・色や素材はもちろん、足袋、帯、半襟まで考えて、雰囲気を作ります。まあ和服好きなので、楽しんでもいる訳ですが・・。
そして、藤山先生のような流麗な話術には遠く及びませんが、曲を聞く雰囲気になるように、静かに話をしながら舞台を務めるのです。東京と大阪、京都では全く感じが違いますので、お話しの内容もテンポも自然と変わります。これら全部含めて舞台。何も大変ではなく、舞台を生業として生きていれば自然と身に付くものです。逆に演奏は上手になっても、こういう事が身に付かない方はちょっと舞台を張るのには向いてないのかもしれませんね。私はこうした細かな仕事によって、私の作品をじっくりと聞いて頂ける夢の時間を作っているのです。

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夢の時間を作り出すには、日々の中に夢の時間を持っていることも大事。自分の日常が常に現実に振り回されて、カッカしているようでは夢の時間は作り出せません。創造力や空想、夢想を展開するような時間が必要です。酔っぱらって夢うつつ、ではだめですね。景色を見て詩情を掻き立て短歌を詠み、多くの舞台を観て、聞いて感激し、美味しいものを味わい、友や恋人(居る人はぜひ)と語らい、旅をする。それらが日々の中にある事ががとても大切。そんな日々がすなわち夢の舞台へと繋がって行くのです。邦楽には何時しかそんな夢の時間を楽しみ、語る人が少なくなってしまったな~~。

一流と言われる音楽家芸術家はあらゆる舞台を観て聴いているものです。クラシック、ジャズ、邦楽、そして政治・経済・世界情勢・・・とにかくその視野は幅広い。音楽学の石田一志先生も、藤山先生も話し出すと、もうどこまでも話が広がって行きます。凄いのです。

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琵琶のような1000年以上もの歴史を持つものをやるには、過去の歴史をしっかりと見据えて、更に現代という視点を持って古典世界を再生しなければ、今の聴衆には伝わりません。それには創造力が必要です。その創造力こそが、現代の舞台に夢の時間を作り出すのです。

日常から切り離された舞台、そこには日常にまみれ見失なってしまった、本来の人間の姿が立ち現れる場でもあります。

夢の時間持っていますか?是非、夢の時間を味わえる舞台へお越しください。



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声を観る

ただいま演奏会シーズンの真っ最中。日々本番やリハーサルに追われていますが、この時期は色々な舞台のお誘いを受ける時期でもあります。どうしても行けないものもありましたが、ここ一週間で色々と行ってきました。

先ずは江戸手妻の藤山新太郎先生の「明治のマジックショー」日本橋公会堂
藤山新太郎マジックや手品の本格的な舞台は初めて見たのですが、これはなかなかに面白い。且つかなり高度な芸ではないかと思いました。一つ一つの演目が驚くばかりの内容で、最後までびっくりしっぱなし。ただひたすら高度な芸を繰り広げて行く。これが芸というものなのか・・・。芸とは何か・・・。観ていて、とても考える所がありました。是非また観てみたいです。


次は花柳面先生の「月の会」 国立劇場
月の会いつもお世話になっている面先生とお仲間三人による主催の会ですが、やはり圧巻は面先生の「羽衣」。存在感のある姿、動き。文句なく素晴らしかったです。技術は当然ですが、演目を通して、自分が語るべきものをしっかりと持っているのでしょう。だから世界観がしっかりと表現されていました。こういう舞台に触れると、またそこから自分の想像力が広がって行きます。元気も出ますね。
お囃子は、以前共演した事もある福原百之助さんでしたので、演奏の方も充分に楽しめました。

舞台を観ていて其々の技はもちろんですが、「声」の重要性を改めて思いました。藤山先生の手妻も声で観客を誘います。口上も堂に入っているし、ちょっとした会話にも無理が無く、良いテンポで舞台が進行して行く。ステージングがとてもこなれていました。面先生の公演は囃子方の中に歌い手が付いている訳ですが、それ以上に、面先生の影声が素晴らしく、あの声が無かったら舞台は成立しなかったと思います。

最後はこちら「ジェーンエア」 日生劇場
ジェーンエア日本のミュージカルを観たのは実は初めてでして、どんなものなのか期待して行きました。照明使いがなかなかに素晴らしく、演出の良さを感じました。ストーリーが面白い事もあって、充分楽しめたのですが、元々英語の歌を日本語訳にしてあるので、日本語に無理のあるメロディーが多く、ちょっと残念に思いました。こちらも以前、御一緒したことのある、阿部よしつぐさんが出ていましたが、脇役、子役の役者さんが、其々いい感じでした。そして勿論この舞台でも「声」に興味が行きました。

日本人の声は薄い、とよく言われます。Jpop等を聞いていても思いますが、これは何故なのか?体格から来るものなのか、日本語の響きから来るものなのか、まだ私には判りません。以前役者をしている大先輩から、「声は訓練で作るものだ」と教えられましたが、なかなかその先輩のような響く声は簡単には作れませんね。

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以前にも書きましたが、邦楽には「高い声=凄い・上手い」というような妙な信仰があります。しかし高い声が出た所で音楽が良くなければ意味がありません。音楽は時代と共にあってこそ音楽。古い因習に囚われて、型をなぞり、時代からずれてしまっては、誰も聞いてくれません。やはり古典には、いや古典にこそ「創造」という感性がないと生き残ってはいけないと思います。

「声」はミュージカルだろうが邦楽だろうが、芸術全てにおける根幹です。私は歌い手ではないし、自分はどんどん歌わない方向に行っていますが、琵琶を生業とする以上、声は欠かせないもの。なるべく多くの優れた音楽を聴いて精進したいものです。少しでも精進しなければ!
舞台上で音楽を演奏するだけでなく、「声」を上手く使って行く事は、今後の自分の舞台でも重要な要素になってくるだろう、と思いました。

声が踊り、声が観える、そんな想いが巡った数日間でした。



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弦月に聴く

先日、毎年恒例の北鎌倉古民家ミュージアムで演奏してきました。

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この古民家ミュージアムでの演奏会にかぎっては楽琵琶のみに専念しています。とても落ち着いた雰囲気のあるところなので、さ程響かなくても充分に音を伝えられるところが良いですね。会場は奥のこんなスペース(下の写真)をいつも使わせて頂いています。

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今回は東京や千葉からもお客様がみえて、久しぶりに会う方や、初めて会う方等沢山来てくれました。この古民家ミュージアムでは、何故か毎年とてもいい雰囲気になります。きっと人が集う場所なのでしょうね。
実は出だしの曲は、私がテンポだしを間違えてしまい散々だったのですが、まあ後は滞りなく演奏出来ました。

24このコンビReflectionsでは、もう色々な演奏会をやっているので、reco-2011-3アンサンブルはしっかりと出来上がっているのです。しかしまだまだやりたい事がいっぱいあるのです。


私は本当に不器用なやつでして、新作を書いても、何度も本番で失敗しないとレパートリーとなって行かないのです。出だしで失敗した曲も、今回が2回目の演奏でしたが、まだまだしっかりとしたイメージが出来あがっていない為に失敗したのです。たとえそれが自分で作った曲でも、何度も失敗を繰り返しやっと自分のものになってゆくのです。曲というものは出来上がると独自の命を全うして行くのでしょう。「自分の作品」などという奢りを持って演奏しようとしても、そんな根性では音楽は答えてくれません。

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毎度のことですが古典というものは、やはり凄い力があるな、と思います。今回も「啄木」にはさわやかな風が流れました。何とも言えない魅力のある曲です。薩摩琵琶には古典といえる古い曲が無いので、自分の作った詞や曲が最高だ!と勝手にでも何でも思えるのですが、雅楽はそうはいきません。千数百年以上に渡って伝えられて来たという事は、理由がどうあれ、それだけの命を経ているという事です。雅楽は世界最古の音楽として知られていますが、とにかくその時間の重みは凄いのです。

だからといってここで、「古典にはかなわないから、古典だけやっていれば間違いない」と思った瞬間に音楽は衰退して行きます。自分の作品が古典に敵おうが消えようが、古典に寄りかかったらそこで終わり。音楽家・芸術家というものは、たとえそれがどんなものであっても、どうにも表現しようとする心を抑えてはいられない。そういう存在なのです。その湧き上がる想いこそが、創造性というものなのです。

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演奏会が終わり外に出てみると、上弦の月が見事に輝き、金木犀の薫りと共に、ちょっと肌寒いさわやかな秋の風が心地良かったのです。鎌倉は良いな~~。



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Celebration day

先日、レッドツェッペリン再結成のライブムービー「Celebration day」を観てきました。その数日前にはあのジミーペイジが、今回の上映会場である六本木東宝シネマで、記者会見した事もあって、ファンとしてはヴォルテージ上がりっぱなしという訳です。しかも二日間だけの上映。これは行くしかないでしょう。
とにかく曲が素晴らしい。ポップスのような「売る」ことが最優先の音楽とは違い、内から湧き上がる世界最高レベルの楽曲ばかりなのです!!曲を聞けば判ります。この姿勢は邦楽人も是非見習って欲しいなとつくづく思いました。

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メンバーの内、一人だけ亡くなったDrのジョン・ボーナムに代わって息子のジェイソンが叩きましたが、親父を超えるような素晴らしいドラミングでした。ツェッペリンは当時から楽曲の良さで知られていて、演奏も勿論飛びぬけていましたが、いわゆる名人芸を披露するようなバンドでなかったので、今聞いても衰えというものがありません。確かにロバートプラントのあの超高音は望めませんでしたが、声量は結構あるし、ステージパーフォーマンスもいかしている。ジミーペイジもしっかりジミーペイジでした。

      


「In my time of dying」「Black Dog」「Trampled Under Foot」「Kashmir」「Whole Lotta Love」もちろん「Stairway To Heaven」歴史に残る名曲がガンガン続きます。

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皆60代ですが、60代でこんなに格好良い琵琶人は見たことないですね。私は間違っても、品行方正ぶってお茶なんぞ点てながら、ちんまりと己の世界に浸っているような親父にはなりたくないです。ステージの上に立って、全開で、格好良く演奏していたいです。
前回のブログでも書きましたが、ロックと邦楽を並べることは確かに無理があるでしょう。しかしどんな音楽に於いても、人が魅力を感じないようでは始まりません。静かに熱狂するのも、熱く熱狂するのも、ひとえにその音楽に魅力があるからです。

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以前ブログにも書いた映画Get Loudでも同じ事を思いましたが、どんなに年をとっても、反骨精神無き者に魅力は無い。創造性無き音楽にも魅力は無い。肩書きや名誉にすり寄っているものに、どうして人生をかけられるでしょう。挑戦する姿勢無きものにどうして熱狂が生まれるでしょう。永田錦心はそんな骨抜きの音楽を決してやらなかった。だから人々は熱狂したのではないでしょうか。

ツェッペリンは40年経っても熱い!琵琶楽も負けてはいられないのです。土俵は違えどジミーペイジに「俺の曲を聞いてくれよ」と言える位でありたい。ちっちゃい世界で、あたふたして終わってたまるか!!


熱く燃えた一夜でした。



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憧憬Ⅲ

昨日、定例の琵琶樂人倶楽部をやってきました。今回は「錦心流琵琶特集」と題しまして、古澤錦城・雑賀錦鳥のお二方に演奏して頂き、私が解説と司会を担当しました。

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永田錦心については、語っても語っても語りつくせぬほどの想いがあるせいか、昨日はちょっとしゃべり過ぎたかも知れません。反省・・・。

明治という新しい時代が求め、その後の琵琶楽の道を切り開いた天才 永田錦心は、グローバル化が進むこの時代にこそ評価されるべきであり、我々がもう一度帰るべき場所であり、琵琶人の指針だと私は思っています。
上手とか、売れるとかではなく、時代を引っ張って、概念や哲学そのものを根底から覆し、新しい音楽・ジャンルを生み出してしまう。そしてそれを世の中に認めさせてしまう。これは名人だの師匠だのというレベルでは到底出来ることではありません。天才にこそ与えられた仕事なのです。

己やら、我が道やら、そういう類は個人が勝手にやれば良い事。今この衰退の極みを見ている琵琶楽にあっては、そんな器ではなく、時代を導くような視点を持ったリーダーが必要です。残念ながら私にはその器はありませんが、ぜひ現在一派を成す諸先生方には、流派や門下でなく、大きな視野と器を持って取り組んで欲しいものです。

      2012-1017-6助演の笛奏者前澤さんと共に

私はロックの聖地 高円寺に長いこと住んでいました。明日のロックスターを目指す彼らのライブも随分と聞いてきましたが、彼らは抑えても抑えても自分の内からこみ上げる想いを曲に歌に託して熱狂している。それが下手でも何でも・・・。そういう音楽と、お稽古で習った壇ノ浦や那須与一を並べたら、とても敵いません。当たり前です。
どうしようもなく込み上げてくる熱狂を音楽という形でしか表現できず、詞を書き、曲を作り、歌う。もう歌う以外にないんだ、という所までヴォルテージが上がって湧き出てきた音楽にはやはり力があります。それでこそ音楽は成り立つのではないでしょうか。

ロックと琵琶を同等に並べることが正しいとは思いません。しかし、我々の演奏を聞いている世の中の人は、そんなロックスターを夢見る人のパッションに溢れた曲も、壇ノ浦も同じ生活の中で聴くのです。果たしてどちらに心を動かされるのでしょうか??。お上手なお稽古事に心を動かされるでしょうか。


永田錦心2永田錦心は、明治という新しい時代に、新しいセンスを持って新しい音楽を作りました。そしてその音楽は明治の人達を熱狂させたのです。今ロックスターを夢見る若者がやろうとした事をやったのです。しかも20代でやり遂げたのです。

永田錦心の作り上げた「演奏スタイル」を継承して行く方も多いと思います。是非がんばって欲しいと思いますが、時代と共に歩み、常に次代へと向かって行った、彼の「創造性」を受け継ぐ若者も是非居て欲しいと思います。土台をしっかりと持ちながらも、その上に創造性を縦横無尽に発揮させ、次世代のスタンダードを作る。永田錦心の理念と感性を継承する若者もこれからは必要です。

聴衆を熱狂させた錦心流琵琶という音楽がかつてあったのです。この現代にも、ただお上手な琵琶ではなく、聴衆を熱狂させるような魅力溢れる琵琶楽が求められているのではないでしょうか。

熱い想いに溢れた一夜でした。



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