やっと冬らしくなってきましたね。今年は年明けから演奏会が続いているのですが、元号が変わって気分も少し新たになったせいか、また一つ時代が超えて行った様に感じています。時代の変化は、ゆっくりじわじわと自分にも影響し、気が付くと、以前とは違うレイヤーに居る自分に気づいたりします。去年から多くの方と出会い、また再開する機会が増えてきましたが、やはり変化は人との関わりの中で動き出しますね。

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つもの相方 大浦典子さんと京都清流亭にて
私は演奏一本でやっている方と違って、常に頭の中にいくつかの曲が鳴っていて、24時間作曲状態にあるのですが、それはものを創り出すというより、自分の中にあったものを、少し整えて表に出してあげる、という感じが強いです。私は子供の頃からのシルクロード好きですので、樂琵琶の一連の作品は、小さな頃にレコードなどで、かの地のメロディーを聴いたりしていた、その記憶がもとになって元居るのでしょう。
またよく「どうやってこんな拍子やテンポが変わる曲を思いついたのですか」と聞かれるのですが、作曲した時のことは、実はほとんど覚えていないのです。思いつくままに創っていたらこうなったとしか言いようがないのです。苦心して創ったという感じからは程遠く、どこかに記憶の断片があり、それが甦って、再構築されて、自然と曲になったという感じでしょうか。時々、本当に自分が作曲したんだろうか?、どうやって創ったのかな?なんて自分で思う事もあります。創ったというより、創らされたという感覚が強いですね。もしかすると前世の記憶???。
そして曲は一度出来上がるともう私の手を離れて、一つの生命と同じく、色んな人の演奏で成長して行きますので、創られた時とはどんどん表情が変わって行くのです。


IMGP0160蘭華寺
以前、故H氏にスリランカのお寺に連れて行ってもらった時、太陽の光を感じるような極彩色に輝く拝殿を前にして、上座部仏教の話やヴィパッサナーという瞑想のレクチャーにとても感激しました。私は自己流の瞑想をよくしていた頃でしたので、とても興味深くお話を聞かせてもらい、スリランカのカレーもご馳走になって、とても楽しく嬉しい時間と御縁を頂いたことがあります。
その時、日本の仏教寺院では体験できない、何とも言えない懐かしさを感じました。私はどちらかというと寒い国に惹かれることが多く、スリランカ等の南国系のものは、音楽でもなんでもあまり縁がないのですが、何故か気持ちがストンと落ち着くのを感じました。H氏が一緒だったという事もあるかもしれませんが、やっぱり前世で御縁でもあったのでしょうか。

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昨年12月の日本橋富沢町楽琵会にて、津村禮次郎先生、Viの田澤明子先生と


人間の記憶は蓄積されて行くもので、普段忘れている事でも潜在意識に記録されていて、ふとした時にその記憶が甦る、という事を聞いたことがありますが、私にはそれに結構頷けます。上手く説明できないのですが、私はよくある種の風や、匂い、空気等、独特の「もの」を感じることがあるのですが、その独特の感じが、過去の事を連想させたり、時間を超え、別のレイヤーへ突然連れていかれたような感覚になることがあります。

白雲1
10年前 京都御苑内の白雲神社にて
これは舞台上に於いては多々感じることです。特に津村先生と一緒の舞台では度々、その独特の風を感じます。何とも表現しずらいのですが、異次元の扉とでも言いましょうか・・・。また場所も大いに関係しますね。私は特に神社やお寺が大好きという方ではないですが、歴史のある所にはやはり何かがあるのでしょうか。上の写真の時は、ロシアの音楽家と一緒だったのですが、ある種の風を感じました。
音楽家は音楽を通して、過去や過去世とコミュニケーションを取っているのかもしれないですね。それがリスナーとの共感を生むのでしょう。だからこそ、形をなぞっただけの演奏や余計な衣をまとった意識では、そういった繋がりが作れず、結局音楽そのものも魅力が無くなってしまうのでしょう。

私は相変わらず、荒唐無稽な夢を毎日見ます。登場人物も本当に様々で、身近な人から逢ったこともない人まで色々です。何かの記憶が私に夢を見せて、何か大事な事を教えてくれたり、導いているのでしょうか。私には特殊能力が無いので、一向に判りませんが、毎日夢を楽しんでいるは面白いです。日々の中でも、新たに出逢う人、久しぶりに逢う人、時を経てまた付き合いが再開する人とは、過去に記憶の共有が何かしらあるのかもしれませんね。

豊かな日々を送りたいですね。