今年も「3.11響き合う詩と音楽の夕べ」を地元のルーテルむさしの教会でやってきました。

        11-2主催の和久内先生

毎年、哲学者 和久内明先生が主催してやっているのですが、今年も大柴牧師のお話に続き、クリスタル・デュオ・ブレイズ、尺八の吉岡龍之介、ギターの山口亮志、折田真樹先生率いるオーソドックス合唱団が集い、素敵な音楽を聴かせてくれました。
今回は久しぶりに拙作の「まろばし」を尺八の吉岡君と一緒に演奏したのですが、初顔合わせにも拘らず、吉岡君の楽曲解釈がなかなか素晴らしく、良い感じで出来ました。そしてこの会では欠かすことの出来ないのが、クリスタルボウルのお二人。今回も会場が柔らかな響きに包まれ、普段の罪業深き我が魂も浄化されました。

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11-22クリスタル・デュオ・ブレイズのお二人
クリスタルボウルは楽器の概念を超えているように私には思えます。聴く度に深遠な世界へと誘われ、静かな想いが湧き上がってくるのです。クリスタルボウル自体も勿論ですが、演奏しているお二人の音楽に接する姿勢や感性も大いに関わっているのでしょうね。
いつも彼女たちの演奏を聴いて思う事は、いかに普段我々がリズムやメロディー、ハーモニーに支配されているのかという事。静寂に満ちるあの音には、理論など人間の作り出したもののもっと根源に在るものを感じずにはいられません。それは揺るぎなく、且つしなやかで大きな力を湛えているように思えます。場に響き満ちて行くあの音、そして重なり合う事で生まれるハーモニーには根源的、原初的な音の存在というものを感じます。プレロマスと言っても良いかもしれません。

私はこのブログでよく「漂う」「満ちる」という言葉を使いますが、これは素晴らしい音楽に出会った時に、必ず感じる感覚なのです。彼女たちが奏でるクリスタルボウルは正にそのイメージにぴったり。そしてそれは私が音楽を創ろうとする時に、いつも思い浮かべるイメージでもあるのです。

あの響きの中に身を置いていると、自然と祈るという気持ちになってくるから不思議です。毎回彼女たちと会うときにはこうしたイベントの時ですし、彼女たちの中にもきっと祈りというものが大きなキーワードになっている事と思いますが、あの響きに身を委ねていると、ネガティブな邪念やケレンが消えて、こんな小さき私の心の内にも清らかなものが満ちて行くのです。

今回も、今は亡きH氏が常に言っていた「愛を語り届ける」という言葉が思い起こされました。

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音楽の原初はやはり祈りだったのではないでしょうか。だとしたら響きという音楽の根源を忘れてはいけない。そして「愛を語り届ける」という目的も忘れてはいけない。それを忘れた時、もうそこには祈りは無く、ただの音の塊でしかない。いくら技術を尽くし理論武装して、壮大に構築しても、祈り無き音楽は人間の作り出した小賢しい騒音でしかない。

美は祈りの中にこそある。そんな想いが募りました。