八重山民謡の唄者 大工哲弘さんからCDが送られてきました。
大工さんは言わずと知れた八重山民謡の第一人者。私からすれば大先輩なのですが、16年ほど前、私が1stアルバム「Orientaleyes」を出した時、大工さんのお弟子さんが、私のCDを大工さんの元に持って行ってくれて、それを聴いた大工さんからメッセージが来たことからお付き合いが始まりました。今迄何度となくお互いにCDを出す度に贈りあって、感想などを頂いたり、送ったりしてきたのですが、実はまだお会いした事が無いのです。
photo T.Fujita
大工さんとは世代も違うし、音楽も全く違うのに、こうして交流が続いていることにとても感謝しています。琵琶関係者や琵琶ファンという立場ではなく、一音楽家として私のCDをずっと1stから聴き続けてくれているというのは、実にありがたいのです。ある意味とても冷静に私のこの15,6年の変遷を見ていてくれているのが大工さんなのです。
世間にいち早く沖縄の音楽を紹介し、決してショウビジネスに寄りかからず、自分の活動を貫いてきたそのスタイルには敬服しかないですね。こういう唄を聴くと、本当に色々なことを想い、感じます。
私は「うた」が好きなのです。このブログでもオペラから西洋の古楽、ジョン・レノンやボブ・ディラン、森田童子、尾崎豊まで書いていますが、子供の頃最初に歌手を意識したのは、ロバート・プラントでしょうか。その後ジミヘンやBB・キングのように、ギターも凄いし「うた」も良いという人達のものを随分と聴きました。クリムゾンなどは「うた」というよりも曲そのものに心酔していましたね。30歳の頃はなんといっても波多野睦美さんにもうやられていて、朝から晩まで聴いてましたね。また今頃になってカレン・カーペンターの声の深さに感激したりして、「うた」は常に私の傍にありました。今では「上手い」歌手が溢れかえっていますが、いくら上手くても、その先の魅力がないと、ぐっと来ませんね。
そのせいか奄美や八重山の民謡の素朴な「うた」には深く心揺さぶられます。八重山民謡は大工さんから、そして奄美の民謡は奄美の唄者 前山真吾君と一緒にツアーをして、その魅力をしっかりと受け取りました。これらの「うた」は本当に心から出てくる「うた」であり、余計な衣が全く無いストレートな純粋な「うた」なのです。ジャンルではないですね。
正直な所、琵琶唄にはこの心からの「うた」が感じられないのです。だから私は琵琶唄からどんどんと離れてしまうのです。まあ歌詞の内容が最大の理由ですが、大声出してコブシまわしているスタイルも力を誇示しているようで、父権的パワー主義満載のその感性は、どうしても自分のうたう「うた」とは感じられないのです。
私は器楽の面では最初から何のストレスもなく自分の思うようにやってきたのですが、「うた」に関しては、流派で習ったものから抜けられませんでした。早い段階で琵琶唄から脱却していたら、もしかすると今でもうたっていたかもしれません。しかし私にはそれが出来なかった。
これ迄琵琶奏者としては本当に多くの演奏の機会に恵まれ、仕事も数多くやらせてもらっています。それも自分で作曲した曲でお仕事をずっとさせてもらって来ました。こんな琵琶奏者は他には居ないと思います。これからもこの方向で、琵琶奏者として充実した活動をやって行きたいと思いますが、大工さんの「うた」をあらためて聴いていると、私が時々うたう琵琶唄は「うた」ではないですね。声は使っていますが「うた」ではないです。根本的に大工さんのうたう「うた」とは全く違いますね。やはり私は器楽の人です。
このCDは4人の唄者が集って作られたもので、サブタイトルには「琉球弧の島々を往還して運ばれた謡と唄との奇跡的邂逅。八重山諸島~沖縄本島に伝わる異名同曲を集めて繋ぐ。現役最高唄者4人、夢の共演による画期的南島歌歌謡集」と書かれていますが、正にその通りで、沖縄音楽が好きな方にはたまらない2枚組み全41曲のCDです。
ライナーには、制作を担当した藤田正さんがこんなことを書いています。「稲の一粒までも神からの果報と涙した離島の民が口ずさんだ旋律が、年を経て、光り輝く首里王府の古典音楽へと変貌する・・・・歌はさらに繰り返し繰り返し、幾度となく交じり合い離れ、南洋の空と海によって清められ、わたしたちの島唄となって今に至っている」
素晴らしい言葉ですね。今の邦楽・琵琶楽が忘れてしまった心が、このCDには溢れています。残念ながら琵琶唄はこの足元にも及びません。私はこうしたCDを聴き、演奏に接することで、自分自身を見つめ、徹底的に自分自身になって行くことが出来ます。こうした体験が、より豊かな音楽を創り出し、演奏活動へと繋がって行くのです。自分に向かないことをやっていても何も成就しないし、心からの湧きあがる音楽も出て来ないのです。「私はもっともっと自分らしい姿になって行きたい」。CDを聴きながらあらためてそんな想いが湧きあがってきました。
それにしても何故琵琶楽は皆、目先の声のテクニックやパワーを誇示し、肩書きを追いかけ、それをお見事とばかりに目指してしまったのでしょう。残念でなりません。私には琵琶の「うた」はなかなか創れないと思いますが、リスナーの心を揺さぶるような「うた」を琵琶楽で聴いてもみたいものです。