琵琶一人旅

琵琶奏者 塩高和之の徒然日記 日々の想いを綴ります。

摩有

旅がらす2020~幻惑されて

先日、愛知県の大府にある、おおぶ交流の杜こもれびホールの企画公演「夢幻百物語~小泉八雲」で演奏してきました。


おおぶ文化交流イベントm

安田登先生を中心に、おなじみの玉川奈々福さん、そして人形師の百鬼ゆめひなさんと小泉八雲の「雪女」「耳なし芳一」をやってきました。この日は八雲の曾孫でもある小泉凡先生、アンソロジストの東雅夫先生がそれぞれ講演もしてくれまして、豪華な会となりました。今年は八雲のメモリアルイヤーという事で、こうした企画があといくつかありそうです。

そして今回楽しみにしていたのが、百鬼ゆめひなさんとの初共演です。以前東保光君企画の舞台でゆめひなさんが出演していて、その時の映像を見ていたので、ゆめひなさんの独特の雰囲気を持った人形とは、いつか共演してみたいと思っていました。いつも大体想っていると、忘れた頃に何だか実現すことが多いのですが、今回も良いご縁を頂きました。

百鬼ゆめひなHP http://www.yumehina.com/


私はどうも人形には何かシンパシーを感じてしまうようで、人形作家さんとは色々と縁があります。以前にも人形作家 摩有さんの創った人形と共演した時には、その独特の少女でもなく、大人の女性でもない、何とも言えない眼差しに惹きつけられてしまいました。物語の進行と共に、人形の表情が変わって見えてくるのです。もうその語りかけてくるような妖しい眼差しから、目が離せませんでしたね。言葉が無い分、こちらの想像力を掻き立てるのか、正に惹きつけられるという感じでした。数年前には佐渡の文弥人形とも共演しましたが、人形は人間以上に語るのです。何故なんでしょうね。とにかく役者さん以上に語るのです。人間はきっと顔の下に余計なものが多過ぎるのでしょう。何かを表現しようとする作為的な心がなくならない限り、人形の眼差しにはかなわないかもしれませんね。


5m
耳なし芳一」演奏中
このところ安田登先生と御一緒することが多いのですが、能の語りと琵琶の相性はとても良いのです。それは謡曲は表現しようとしないではないでしょうか。語りをする人は多いですが、どうしても表現しよう、エネルギーを出そうとしてしまいがちで、それがどうも世界を小さくしてしまうように思います。演者個人の世界では、共感が生まれない。少なくとも私には迫ってこないことが多いですね。時々ご一緒する櫛部妙有さんは、そういう点では能の語りに近いものがあります。言葉の持っている内容や世界は充分に身の内に持っていながら、表面を加工しないで、淡々と声に出して行く。だから一緒にやっても違和感が無いのだと思います。判りやすく言うと、「けれん」が無いという事でしょうか。
ストレートなエネルギーは内面にも、外側にも「満ちる」ものであって、押し付けてくるようなものとは基本的に違います。
人形のあの無垢な眼差しの前では、個人のお見事な芸などとても足下には及ばびません。もっと純粋に音と向き合わなくては、一緒に出来ませんね。今回は良い刺激ももらいました。


おおぶこもれびホールm
終演後、共演者スタッフの皆さんと記念撮影

今回はちょっと共演の演目が短目で、じっくりと演目を創り込む時間も無かったのが残念でしたが、人形を前にすると「幻惑されて」(このタイトルにビビッと来る人はお仲間です)しまいますね。是非またいつか一緒に舞台をやってみたいですね。シンプルな舞台に、琵琶の音が漂って、その静寂の中をゆっくりと人形が動いて行く・・・・。なんだか舞台の姿がもう見えてくるようです。


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昨年の琵琶樂人倶楽部にて photo 新藤義久
こうして素敵な舞台をやらせてもらうのは本当に嬉しいものです。私はやはりいろんな場所に行って「旅がらす」で居るのがちょうど良いです。色んな場所で、色々な方々と共演し、様々なものと調和して舞台を創り上げるのは本当に嬉しく、歓びを感じます。現実は東京に拠点がないと難しいのですが、せめて何か月かに一度は旅の空に居たいものです。以前は毎月飛び歩いていたんですがね~~。
来年の年明けは、初の北海道での仕事も入っているので、これからも機会があればどんどんと足を延ばして旅がらす生活を続けたいと思っています。大体公演の前の日から現地に乗り込んで、街をうろうろしたり、終わってからも、すんなりとは帰らないのが琵琶法師流でして、放浪漂泊が私の身上です。

さて、今月末は、毎年年明けの恒例となりつつある荻窪衎芸館でのサロンコンサートです。今回は笛の長谷川美鈴さんとのジョイントです。笛や琵琶をたっぷり聞きたい方は是非お越しくださいませ。

2020衎芸館

PS:打ち上げの時に私が「ローカル線の景色はいいんですよ」「スイッチバックがどうのこうの」と話しをしていたら、小泉凡先生がぐぐぐっと反応してくれまして、「乗り鉄」話に花が咲きました。こういう共通項のある方と出会うのもまた嬉しいですね。














語るということ

かんげい館 音・言葉・人形18日の金曜日より3日間に渡り、梨木香歩さんの「からくりからくさ」を琵琶と共に読むという企画を荻窪のかんげい館でやってきました。人形を軸に展開する物語ですので、今回は人形作家の摩有さんが、物語からインスパイアされた新作の人形2体を出品し、3人のコラボ企画という形でやらせて頂きました。

そしてその少し前、15日には名曲喫茶ヴィオロンにて第91回の琵琶樂人倶楽部をやってきました。今回は俳優の伊藤哲哉さんを迎え、「秘曲で読む方丈記」と題して、樂琵琶を随所に入れながらやったのですが、さすがは伊藤さん!素晴らしい声と表現力で、約1時間、お客さんをぐいぐいと引っ張って、全文を表情豊かに読んでくれました。
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最近、「読む」という事はつくづく難しい、と思うようになりました。人によって「朗読」と言ったり、「語り」と言ったり、それぞれに拘りがあるようですが、とにもかくにも舞台が良いというのが一番です。櫛部さん、伊藤さんは、さすがの読み手でした。技術は色々と有るのでしょうが、存在感、舞台でのどっしりとした安定感といったものが素晴しかったです。さすがベテラン!と思わせる姿でした。

古代日本に於いて、文字や言葉を口に出すという事はとても重要な事でした。「言霊」等とも言われますが、口に出し音声として発するという事は、その言葉に命が宿るという事でもあります。こうしてブログに書くことも同じだと思いますが、自ら発するという事の重要性を現代人は忘れているように思えて仕方がありません。私も今までの人生で失言はなはだしく、常々我が愚かさを痛感しておりますが、年を重ねれば重ねる程に、言葉の重さを感じずにはいられませんね。

北鎌倉其中窯3北鎌倉 「其中窯」にて
薩摩琵琶では「語り」というものがとても重要な要素。しかしこの「語り」が今、とても危うくなっているように思います。何も声が出ているとか、技巧がどうのとかという事ではありません。「語る」という本質が危うい感じがしてならないのです。
語りも言葉も、本来は何処までも自由であるべきもの。自由だからこそ、その人の心がそのまま出てしまい、また怖いものでもあるといえます。最近色々な演奏を聴きに行ったりしているのですが、どうも語りの不自由さばかりが聞こえてくる。なんだか節に閉じ込められているような語りや歌はしっくりこないですね・・・・。

また歌や語りには何よりも「衝動」が必要だと私は思っています。どうしても歌いたくなってしまう、語りたくなってしまうという衝動が無ければ口から出たものに力は無い。声に出す必然性が自分の中に確固たるものとして存在せず、お稽古事の延長でお上手さを披露しているようなものに聞き手を惹きつける力が無いのは当たり前です。近頃しっくり来ないのは、演者にこの衝動が薄くなっているからかもしれないですね~~~。
ボブ・ディランの歌は下手かもしれませんが、彼の口から出た言葉は、多くの人を惹きつけました。それはどうしてもこれを歌いたいという想い、衝動が言葉になり声になり、それがリスナーに伝わったからではないでしょうか。

私は語りや歌は、技術を超えたものが無い限り伝わらないと思っています。それはオペラでもジャズでも、邦楽でも同じ。いくら音程が良くても、練れた声であってもコブシが回っても、語りたいという激しいまでの衝動と、何物にも囚われない自由で開放された精神が聞こえてこない限り、いくら表面的な技術があった所で大したものは伝わらない、それはただのお稽古事だと思っています。

何故「壇ノ浦」や「那須与一」を語るのか?。現代社会に於いて平家を語る意味は、意義は何なのか?・・・・。お稽古事の成果を発表しているのならそれは結構な事ですが、どんなものでもお金を取って聞かせている舞台では、そんなものからは違和感位しか聞こえて来ません、その人が本当に心の底から歌いたいもの、語るべきものを、今琵琶人はやっているのだろうか・・・・?。

マンダラライブ1
若き日 故佐藤重雄さん、ミュージックマジックオーケストラと青山曼荼羅にて

若者が未熟ながらもどんどんと発表の場を得て行くのは素晴らしい事だと思います。しかしそこには創造性がなければ意味が無い。下手とか上手いとかいう問題ではなく、何かを表現しようという強い衝動が無ければ聞いていてもおさらい会以上のものは感じられません。今邦楽界はその衝動が足りないのです。高円寺辺りでライブをやっている若者は、皆強い衝動を持っている。勿論それだけではまだまだなのでしょうが、先ず音楽をやる前提条件として「歌いたい」という衝動に駆られて舞台に立つようでなくては!。「お上手さを披露したい」ではお話にならない。

私は30代の頃、色々な場所で演奏の機会を得て、CDも出して、周りに育てていただきました。多分とても下手だったと思いますが、自分のオリジナル作品のみで、とにかくやれるところまで勝負させてもらった事を本当にありがたいと思っています。今、活動のきっかけを頂いている若者も多い事でしょう。是非、あなたでしか出来ないオリジナルな世界を、失敗してでもやって欲しい。○○流の曲ではなく、あなたの曲をやって欲しい。リスナーはそこに可能性を見出し、魅力を感じるのです。勿論評価してくれるとは限らない。でも永田錦心や鶴田錦史が挑戦したように、あなたの音楽を鳴らして欲しい。お稽古で習った曲を「上手」と褒めるのはあなたの、身内だけなのです。

私は薩摩琵琶=語りとは思っていないので、考え方も他の奏者とは違うと思いますが、それでも「語り」をやる以上は、しっかりとした哲学を持って、塩高でしか実現しないものを持って舞台に掛けたいです。声に出すという事はそれだけ大変な事なのです。

ヴィオロン2
    第91回琵琶樂人倶楽部「へ曲で読む方丈記」

言葉は「言刃」とも書くと、あるアナウンサーが言っていましたが、その刃は何も他人だけでなく、自分にも時として向くという事を、現代人は全く忘れてしまているようです。刀の使い方を知らなければ危ないのは当然ですが、その刀を奪われた時、もっと危なくなる。そういう怖さを知らない。本当に危うい世の中になりました。



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からくりからくさ

方丈記少し前の記事にも書いたのですが、今月は朗読との共演が二つあります。先ずは黒澤映画や蜷川舞台で活躍したベテラン俳優 伊藤哲哉さんとのデュオ。「方丈記」全文を読んで頂きます。1時間ほどかかりますが、なかなかの出来栄なんです!。琵琶の名手でもあった鴨長明は、秘曲を勝手に弾いた事で神職を追われ、都の郊外に草庵を結んで、その暮らしの中で「方丈記」を書き上げました。今回は私がその秘曲を弾き、伊藤さんが読みます。このコンビは年末にも六本木のストライプハウスギャラリーにて公演が決まっています。乞うご期待!!

かんげい館 音・言葉・人形

そしてもう一つは、伊藤さんとはタイプの全く違う朗読をする櫛部妙有さんと、梨木香歩さんの「からくりからくさ」を3日間に渡ってやらせて頂きます。この作品は人形を軸に色々な話が展開して行く物語なので、今回は人形作家の摩有さんがこの作品から発想を得た2体の人形を創り上げ、3人で小さな舞台を創るという大変面白い企画になっています。

「方丈記」も「からくりからくさ」もとにかく味わい深い作品で、読んで行くと様々なものが想起されます。すぐれた作品には、必ずこうした汲めども尽きぬ味わいがありますね。「方丈記」は読むほどに当時の様子や、今に続く日本人の感性を感じ、「からくりからくさ」の方もまた読み込むほどに何層にも重なる人間模様と絡みつくような様々な物語に引き込まれます。「からくりからくさ」は共同生活をする女性達の物語なのですが、人形が大きな軸となって、あらゆる方面に話が繋がって行きます。人形を通じ、其々の先祖の物語から能面師 赤光の作った「竜女」の面、そしてクルド民族のキルムの模様 龍のイメージ・・・・・etc.と様々なものがに唐草のように幾重にもからまりながら繋がって行きます。


鴨長明鴨長明
古典として残ったものや現代でも優れた作品と言われるものには、あらゆる視点があり、多くの解釈や感想もまた存在します。けっして一方向ではありませんね。人間は個人でも社会でも清濁併せ持ち、一つの価値観では割り切れないものを包括した存在ですので、品行方正なものや勧善懲悪な、視点・感性が一つしかないような作品では、人間そのものを描くことは出来ません。エンタテイメントなら楽しい時間を提供できますが、それは消費されるだけで、味わっていただくような作品とはなりえないのです。

長い時間を語り継がれ、古典となって行く作品は、文学でも音楽でも単なる物語では終わらない、様々な文化や歴史、宗教、哲学と唐草のように入り組んだ関係を持ちながら存在しています。だからこそどの時代の感性と出会っても深い味わいを感じる事が出来るのです。きっと梨木さんの「からくりからくさ」もこれから残って行く作品になるだろうと私は思っています。

okumura photo6

私が薩摩琵琶の弾き語りをあまりやらないのは、清濁を併せ持った人間存在を表現するには、現行のやり方では難しいと感じるからです。薩摩琵琶が流行った大正時代なら、また違った存在意義もあったでしょう。しかし時代は移り変わります。グローバルに世界と繋がっている現代社会の中で薩摩琵琶に接していると、大正時代と同じという訳には行かない。
「祇園精舎」のような歌詞そのものに実に深い哲学が感じられる曲があるその一方で、冒険活劇のような曲も少なくないのです。それは大正時代にエンタテイメントとして舞台で受ける音楽に、どんどんと傾いて行き、結果として、深い哲学や味わいよりも、やんやの喝采を浴びるために技芸、演芸の方にどんどんと傾いて行ったのだと思います。そういうものがあっても勿論良いし、その方向でやる人が居ても良いと思います。しかし琵琶を芸術音楽にしたいと願った永田錦心は、どう思っていたでしょうか?。こうした当時の状況に、永田はけっして満足していなかったと私は考えています。

永田錦心2

私は薩摩琵琶だろうが樂琵琶だろうが、永田錦心と同じく琵琶楽を芸術音楽として世界に発信して行きたいのです。その場を沸せて楽しませるエンタメ音楽にはしたくない。だから私は弾き語りに於いても、永田錦心が目指し実行したように、独自の形を創り上げたいと思っています。音型、構成、歌詞、弾法すべてに於いてこのままでは次代に響き渡らない。既に現代社会にもその響きは僅かしかないのが現状です。芸術は時代と共に姿形を変えてこそ生き続ける事が出来、生き続ける意味があります。薩摩琵琶にはもっともっと深い味わいと魅力がある筈だと、私は確信しています。だからこれからも薩摩琵琶・樂琵琶の新しい形をどんどんと創り、発信して行きたいのです。

イルホムまろばし10s
ウズベキスタン イルホム劇場にて

からくさのように時代と絡み合い、伸び続け、また次の時代へと、受け渡したいですね。
道は果てしない・・・。




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面白い試み

梅雨になりましたね。毎年6月は演奏会でてんやわんや状態なのですが、今年は割とゆったりしています。夏迄はレジュメ書きと作曲に追われている感じですね。夏から秋にかけては、通常の演奏会の他に、レクチャー付演奏会という私のライフワーク的なお仕事も多々頂いていますし、日経の記事のお蔭でしょうか、樂琵琶のお仕事が増えました。本当にこうして演奏家をやって行けるのは有難い事です。こんな日々を過ごしているのですが、このところちょっと幅を広げてみようという気分が湧き上がり、面白い試みをいくつかします。

soon kim trioかんげい館 音・言葉・人形
   Soom Kim トリオ   「からくりからくさを巡る三日間」

先ずはアルトサックスのSOON Kimさん、言葉のアーティストときたまさん、そこに私が加わったトリオで実験ライブをやります。どうなる事やら私にも判りませんが何だか面白そう。ここ7,8年程は、かっちりと創り上げたものを演奏する事が多かったので、私の原点でもあるジャズのスピリットで挑戦です。
そして来月は、朗読の櫛部妙有さん、人形作家の摩有さん、そして私というこれまた面白い組み合わせで3日間に渡り、地元でいつもお世話になっている音楽サロン「かんげい館」にて開催します。内容は梨木果歩さんの「からくりからくさ」という小説を軸にした朗読と琵琶と人形という企画ですが、どんな感じで皆様に観て聴いて頂けるか、ただ今じっくり思案中です。ぜひお越しくださいませ。詳細はHPの方をご覧ください。

3ウードの常見さんと音や金時にて
私は生来の天邪鬼のせいか、時々寄り道したり、別の事をやってみたりすることが時々あるのですが、これが結構いいアイデアを生んだり、柔軟な姿勢を創り出すのに役立っているのです。これまでこと琵琶の演奏に関しては、場所や響きなどかなりこだわってやって来て、それなりに成果もあげてきたと思うのですが、少々飽和状態な部分もありました。それが先日のフラメンコの日野先生と小さなライブでをやって、ふっと力が抜け、肩の荷が降りて楽になった感じがして、視野も広がりましたので、少し実験的な事も試してみようという気分になってきました。
周りの人からすると、あいつは何やってんだか??と思われるかもしれませんが、これでまた幅が広がると面白い世界が出て来ると思います。乞うご期待!

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トルクメニスタンアシュカバッド マフトゥムクリ記念国立劇場にて

私はいつでも外に向けて音楽活動をやりたいと思っています。今自分の演奏しているこの音が海外にも流れて行くだろう、というイメージを常に持って演奏しています。そして特に海外にあっては、民俗音楽ではなくクラシックやジャズと同じように、芸術音楽という所で同等に演奏したいし、聴いてもらいたい。その為にも曲・演奏共にレベルにはこだわりたいですね。過去の日本音楽の歴史を土台とした上で、単なる珍しいアジアの民族音楽ではない、日本音楽の最先端である、私の音楽をこれからもやって行きたいのです。志は高くなくては!!

しかしながら何かを突き詰めて行くとかえって見えなくなる部分もあります。だからこそ、いつも書いているように、世界の一流と言われる音楽を常に観て聴いて、自分の感性と視野を養っています。私はまがりなりにも声を使う仕事をしているので、声の一つの頂点であるオペラを聴かずプロの演奏家ですなんて言えませんし、弦楽器をやっていて、ヴァン・へイレンやパコ・デ・ルシアを知らないという訳には行きません。おこがましいけれど、意識だけでも同等の演奏家、音楽家として舞台に立ちたいと思っています。

イルホムまろばし10
ウズベキスタンタシュケント イルホム劇場にて「まろばし」演奏中

次世代を担う若者にはとにかく色々な音楽、それも一流と言われているものを聞いてもらいたいですね。小さな村の優等生で居るだけで良いと言うなら仕方がないけれど、名取も大学の名前も受賞歴も、そんな肩書きはからは音楽は少しも響かないという事を早く判って欲しい。世界に飛びだして行くには世界を知ることが必須!。巷では薩摩琵琶がいつの間にか鎮魂だの古典だのというふれ込みになっているのもよく見かけますが、こんな個人的思い込みでは世界に通用しない。シェーンベルクやバルトークと同じ時代の音楽が、「古典」になってしまうようでは、底の浅さを笑われるだけです。是非大きな世界を見て、日本中に世界中に琵琶の音を響かせてほしいのです。


kawasaki2009-11


今年は例年になく、秋に面白いお話が沢山来ています。ブログでもお知らせして行きますが、年を追うごとに活動が面白くなって来るのは嬉しいですね。しっかりと務めさせていただきます。




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文学(ほん)を聴く

先日、櫛部妙有さんの一人語りを聴いてきました。演目は私も大好きな芥川龍之介の「奉教人の死」でした。

      櫛部妙有

櫛部さんとは、私が時々演奏している荻窪のかんげい館で偶然に出逢ったのですが、その時、その場で演奏を聞いて頂いたことに始まります。語りの持っている時間と、音楽が持っている時間の違い等、とても有意義で芸術的な話をさせて頂きました。

kawasaki2009-11櫛部さんの語りを聴いていると、映像がありありと見えるのです。その語りは、けっして大げさに誇張したりするものでなく、かえって淡々としたもので、それはどこか琵琶唄にも通じるものがあると思いました。琵琶は言葉であまり説明せず、あえて言葉を絶って、その絶った部分を琵琶の音で補い世界を表現するのですが、櫛部さんのシンプルで余計な演出の無いスタイルは、とても近い感じがしました。

「言霊」という言葉もあります。最近ではちょっと安易に使われ過ぎのような気もしますが、「言葉は声になって初めて伝わる」というのが私の持論です。こうして書いているブログの言葉も、読む人によってかなり違った印象を与えるのだと思ってます。そこには誤解もあるでしょう。それはそれで良いと思うのですが、この文章も本来は私の口から出てこそ、一つの意味のある生き物になって行く。いつもそう思いながら書いています。

今回、芥川の「奉教人の死」も、櫛部さんの言葉で語られるからこそ、生きたものとなって、私の想像力を掻き立て、目の前に映像を感じたのだと思います。一言主神社3一言を聴いただけでも、その背景や風景を感じる。それが生きた言葉だと思うのです。
音楽でも良く感じる事なのですが、テクニックはしっかりしているのに、音がとても白々しく聞こえてくる演奏に時々出くわします。そういうものを聴くと、こちらの想像力が全然働かない。音でも言葉でもそこに生命感があってこそ、言葉を、音を超えて次元の違う世界にこちらの感性が羽ばたくような気がします。
櫛部さんの語りをずっと聞いていると、もはや言葉を聴いているのに、言葉は聞えない、そこには映像が浮かび上がって、聴いている私がその世界に入り込んでその場に存在しているかのようでした。これは能を観ている時にもよく感じることです。

かもめまた今回は舞台上がとても印象に残りました。舞台となったのは、南阿佐ヶ谷の「かもめ座」。いわゆる小劇場という空間です。淡い感じの照明が当たっただけのその舞台に櫛部さんが一人。ではなく、傍らには物語の主人公「ろうれんぞ」の姿が・・・。これは人形作家 摩有さんの作品で、櫛部さんの語りを聴いていると、人形が本当に「ろうれんぞ」に見えてくるのです。
摩有さんのHP:http://www.mayudoll.com/
また櫛部さんの語りによってこちらの想像力がフル稼働しているせいか、物語の進行によって、「ろうれんぞ」の表情が変化しているようにも感じました。

何時か、一緒に舞台が出来たらいいな~~。こういう丁寧に作られた舞台は良いですね。
またぜひこの世界を体験したいですね。



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