琵琶一人旅

琵琶奏者 塩高和之の徒然日記 日々の想いを綴ります。

日野道生

過ぎゆく日々~2015年の瀬

世はクリスマス一色ですね。今年は明日25日に演奏会を控えているので、時間を取ってゆっくりのんびりは出来ませんが、一年の締めくくりの時期ですし、色んな人と会い杯を交わす時期でもありますので、この一年を振り返り、来年の方向性を静かに考えて過ごしています。

先ずは25日の演奏会のお知らせを!

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ペルシャ辺りからがじまった弦楽器にバルバッドというものがあるそうで、それが今日の琵琶の起源という説をよく耳にします。そのバルバッドがアラブではウードになり、西に行けばリュート、ギターになり、東に行けばシタールや琵琶になったそうです。その歴史は正にシルクロードを経て各地に伝わったということを考えると、各地の楽器にも文化にも親戚のよしみを感じます。
以前も書きましたが、バグダッドが栄えていた頃、シリアブという人物が当時最先端の文化音楽をイベリア半島に伝えたことで、現在のフラメンコの基礎が出来上がっていったようです。そんな事を思うと、シルクロードがイベリア半島まで延長していたかの様な想いにもかられますね。

という訳で、12月25日 夜7時開演です。
場所は参宮橋の小さな音楽サロン 
リブロホール http://libromusic.co.jp/librohall/hall.html
出演は,ウード:常味裕司、 フラメンコギター:日野道生、 樂琵琶・薩摩琵琶:塩高和之です。各人のソロ、デュオ、最後はトリオによる合奏等々バリエーション豊かに演奏します。是非お越しくださいませ。


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トルクメニスタンのアシュカバッドでの演奏会にて

年末に、一年間良い仕事をさせてもらった事を感謝できるというのは嬉しい事です。毎年毎年内容も良くなってきて、紆余曲折しながらも活動が充実してきているという実感もあります。こうした実感の根底に感じるのは、仲間達の存在ですね。先輩後輩、師匠、友人知人・・。本当に素敵な方々に恵まれているという想いが年を追うごとに増しています。勿論折り合いの上手く行かない人もいますが、そういう人こそ、何かを教えてくれるものです。また一緒に仕事をしたり、常にいろんな話をしたりするごく身近な相棒には本当にお世話になっていると思っています。数多くの出逢いは勿論ですが、身近な仲間や相棒と常にいろんな意見を交わしていることが、私にとって大きな糧ですね
私の中の思考や哲学が毎年少しづつでも深化しているとしたら、それは仲間のお蔭です。琵琶は基本が独奏なので、自由に何でもできる反面、とかく小さな世界に籠りがち。自分の中の価値観でしかものを見なくなったらろくなものは出来ません。自分の知らないことや、一見「たいしたことないな」なんて思うことにこそ、別の価値があり、豊かな世界があるものです。自分の経験からしかものを見ず、興味のある分野にしか価値を見いだせなくなったら音楽家としてはお終いです。
だからこうして様々な分野で仕事をして行けることは本当に幸せですね。

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来年からは、戯曲「良寛」や平成絵巻「方丈記」がシリーズ化して行く感じですし、明日演奏会の「弦流」もこれから続いて行きそうなトリオです。来年2月には恒例のREFLECTIONS演奏会がまた近江楽堂で控えていますので、また来年が楽しみになってきました!!。




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シリアブ

先日、「弦流」ライブをやってきました。

音やライブ2015「弦流」は、元々フラメンコギターの日野道生さんが、ウードの常見裕司さんと組んでいたグループなんですが、昨年あたりから日野さんと私の琵琶で何度か共演して、だんだん面白くなってきたこともあって、今回こうして「弦流」として3人で演奏することになりました。場所は西荻窪の「音や金時」。ここでライブをやるのは本当に久しぶりで、昨年、日野さんのライブに顔出した位で、もう7,8年ぶりのライブとなりました。マスターもママも相変わらずの笑顔で迎えてくれて、本当に嬉しかったです。

音や3


日野さん、常見さんは共にその道の第一人者としてつとに知れていますが、さすがの実力で、リズムに関しては私は到底かなわないですね。特にアラブ音楽は10拍子なんていうものが普通にあるし、リズムを主体としない日本音楽とは全く違う構造を持っています。それは多分に歌と踊りが演奏とセットで常に一体となっていることが、日本音楽と違う所でしょう。フラメンコもそうですが、リズムが大変重要な要素になっていますね。アジアでも朝鮮民族の音楽などはリズムが主体となっているそうですが、日本は音色や響きの方が重要になって、「一音成仏」なんていう言葉もある位、リズムや和音、音楽の構成さえ排した響きそのものが重要視されます。

2日本でも、平安時代の雅楽には理論が整備され、リズムも結構複雑でしたが、中世に禅の思想が入ってくると、芸能・音楽に哲学性が加わり、芸能の持つ精神性や感性が明確に出来上がってきます。勿論エンタテイメントとしてのものはずっとあったと思いますし、民衆の生活の中から生まれた音楽も数多くあったと思いますが、能などに代表される、現在まで続く音楽や舞台は、わびの思想と共に、その背景に禅の思想があった事は明らかだと思います。
それにしても同じアジアで、中東から朝鮮半島までがリズム主体音楽なのに、日本だけが音色主義の音楽になったというのは面白いですね。


シリアブ

タイトルの「シリアブ」とは、中東のアッバース朝から後ウマイヤ朝へと、当時最先端の音楽を伝えた楽人の名前です。シリアブはウードと歌の名手として、アッバース朝の首都バクダッドの宮廷で活躍していましたが、あまりの才能と実力の為、師匠から疎まれて、最初モロッコに左遷されます。その後、彼の評判を聞いた後ウマイヤ朝のカリフがシリアブを宮廷の楽人として迎え、当時最先端を行っていたバクダッドの音楽がイベリア半島のコルドバへと伝えられたのです。今でも中東では「シリアブ」を知らない人は居ない位の大音楽家です。フラメンコギターのパコ・デ・ルシアはそのシリアブを大変尊敬していて「ZYRYAB」という作品を残しています。シリアブは正に風を伝えた人なのです。

現代では、「売れないものは価値が無い」というアメリカ型の風潮がどんどん加速し、エンタテイメント経済優先の価値観があまりにも蔓延し、派手なもの、目先の賑やかしのような消費される音楽があまりにも蔓延していますが、私は地味であっても、現代型のショウビジネスとして売れなくとも、後の世の人が風を感じてくれるような音楽を創り、演奏して行きたいですね。
古代アジアの風土に起こった風は、途切れることなく、現代の私達のにも吹き渡って来ているのです。




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風の声が聴こえる

秋も大分深まって、私にはちょうど良い季節になって嬉しい限りです。
日々相変わらず色々なものに出会い、観て触れていると、溢れるばかりの想いが自分の中に満ちてきますね。

灰野2先日は灰野敬二さん率いる「不失者」のライブに再び行ってきました。圧倒的なライブは何度観ても凄いですね。鼓膜が崩壊するんじゃないかと思うような爆音の中、灰野さんの世界にどっぷりつかっていると、彼の世界がどんどん鮮明に目の前に見えて、何時しかその中に自分が取り込まれているのを感じました。会場も立ち見を含め満杯。皆あの世界に入り込んでいる雰囲気でした。自分の演奏会でももっともっと明確な世界観が必要だと、改めて感じました。灰野さんとはスタイルは違えど、そのスタイルは私の中の一つの道しるべのような存在です。

この他にもクラシック系の演奏会に行ったり、定例の琵琶樂人倶楽部、2015年「雛」そして劇団アドックの15周年公演「雛」(原作:芥川龍之介)など慌ただしくお仕事もこなしているのですが、自分にとって「ぐっと来る」と感じる音楽や舞台は、いつも風のようなものを感じます。その風はメッセージといっても良いし、独自のスタイルといっても良いかもしれません。何か自分を突き動かす「風」を感じる音楽は印象に残りますね。そしてその風の声が聴こえた時、人は自ら動き出すのではないでしょうか。

「揺らされるものがあって、初めて風は目に見えるものになる」
と村上春樹は言っていますが、目に見えるとは、そのまま風の声が聴こえたとも言い替えることが出来ますね。

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確かな風を感じたウズベキスタン・タシケントのイルホム劇場。

しかし残念な事に、風を感じる音楽や舞台はそう多くはないのです。お上手やら一生懸命やらというものはとても多いのですが、そこで終わってしまっている舞台が本当に多い。やっている方は舞台に立てば気分も高揚して、達成感もあって気持ち良いのかもしれませんが、そこで終わっていたら観客には届かない。特に邦楽では「がんばった」舞台が目立ちますね。また逆に言えば、演奏会で「頑張った」ということを褒めちぎるような人は、音楽を何も聞いていないとも言えます。

okumura photo6音楽は演奏すること自体が楽しい。しかしプロとして舞台に立つのなら、自分なりの世界を創り出してナンボではないでしょうか。ロックでもクラシックでもジャズでも邦楽でも、どんなジャンルでも、どんな音楽を創り出すかが一番の仕事だと思います。

鶴田錦史も永田錦心も、他の誰にも無い彼ら独自の世界がありました。灰野さん以上に強烈な風を巻き起こしました。彼らも先輩達の音楽を勉強し研究したでしょう。でも自分が舞台に立つときには、誰のものでもない自分のものをやったのは、皆様ご承知の通り。だからこそ今、その風を追いかける私のような者が居るのでしょう。

これから活動をしようとする人達には、何よりも創造ということを伝えて行きたいですね。私自身まだまだ発展途上ではありますが、次世代の人達には、先人たちの残した素晴らしいものを勉強すると同時に、是非「創る」ということを忘れないで欲しいのです。それは先人たちの志を受け継ぐと言っても良いかもしれません。小さなライブであっても、自分のものをやって欲しい。習ったものを披露して満足していてはいけない。それは発表会でやればよいのです。その人でしか成立しない、その人独自の音楽と世界が魅力なのです。最初は拙いものかもしれないけれど、それでもお稽古事に逃げてはいけない。お勉強と舞台をはき違えてはいけないし、恰好や体裁だけ繕って、創る事を忘れてしまったものに、風は起こりようがないのです。

150918-s_塩高氏ソロ

私は琵琶の活動を始めた頃、某邦楽専門誌の編集長に「琵琶で呼ばれているうちは駄目だ。塩高で呼ばれるようになれ」と言われた事を今でもはっきり覚えています。他の誰でもない、私の音楽と胸を張って言えるものがあってはじめてプロとして生きて行ける。そしてその私の音楽を多くの人に求められてこそ、プロとして成り立って行くのです。小さな風でも、私の風の声を聞いてくれる人が居たら嬉しいですね。

私は琵琶を弾けば弾く程に、永田錦心や鶴田錦史が巻き起こした風を感じます。その風は声となって、更に日々大きくなって我が身に響いて来るようです。だから私も聴いている人が風を感じるような音楽を創り、舞台に掛けたい。その風の声が次世代の人にも届くような音楽を創り、演奏したいのです。売れることも大事でしょう。上手であることも大事でしょう。しかしそれだけでは風は起きない。そういう所とはまるで違う次元で風は起こるのだと思っています。

風になりたい。



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弦流

先日箱根岡田美術館での演奏も終わり、のんびりしたい所ですが、次々と迫る演奏会の準備とレクチャーのレジュメ書きに追われ、ゆったり気分は無いのですね。しかしこれも演奏家として有難いこと。どんどんやって行きますよ!。この秋はちょっと面白い演奏会が目白押しですので先ずはご紹介です。

27日に鶴川にある和光大学ポプリホールという所でフラメンコギターの師匠でもある日野道生先生と演奏します。日野先生と組んだ演奏も今回で二回目なのですが、このシリーズがこれから発展して、ウードの常味裕司さんも加えトリオで演奏会をやって行くことになりました。

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スケジュールは
10月27日 和光大学ポプリホール(日野・塩高) 14時開演
11月19日 西荻窪 音や金時(日野・常味・塩高)19時30分開演
12月25日 参宮橋 リブロホール(日野・常味・塩高)19時30分開演

題して「弦流」という名前でやる事になりました。

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ペルシャ辺りから始まった弦の流れが西に行ってギターと成り、東に行って琵琶となった事を考えると実に面白い組み合わせだと思います。両先輩は20年前からよく一緒にやっていたようなのです。私は初めてですのでどこまで追いついて行けるか判りませんが、是非内容の高いものをやって行きたいものです。
この秋は浜松のシルクロードミュージアムでのソロ公演も来月ありますし、来月末には豊田能楽堂にて、琵琶の諸先輩と琵琶楽の様々なスタイルを披露する興味深い会もあります。是非是非お越しくださいませ。
こうした繋がりはとても興味深いのです。私は元々シルクロードオタクではあるのですが、正にシルクロードが繋ぐ出会いだと思っています。やはり自由に動き回っていると色々な出会いに恵まれますね。

        ヤンジャ横浜公演ダンスのヤンジャさんと

舞台に立つとは正にコミュニケーションを持つということ。今まで出会わなかった人と出会うことだと私は思っています。フラメンコギター、ウード、琵琶という稀有な出会いは、私が常に舞台で活動しているからこその賜物だと思っています。上の写真はダンサーのヤンジャさんと2008年に横浜のZAIMでやったパフォーマンスですが、こんな試みが人を呼び、今まで琵琶を聞いたことのない多くの人達と繋がりました。こういう活動もどんどんやって行きたいと思います。
少なくとも関係者やお弟子さん、知り合いに招待券をばらまいてご祝儀を頂くような事はやりたくないですね。そんな邦楽会の満席の会場を見ると何とも寂しい気持ちになります。ドメスティックな視野と感性は音楽と正反対なもの。音楽家は常に感性が外に開かれていなければ、いつまで経ってもお稽古事の域を越えられません。リスナーとも共演者とも色々な人と繋がって行くべきだと思っています。自分が演奏して満足するのではなく、音楽を届け、愛を語り、多くの人達と分かち合うのが音楽家というものではないでしょうか。


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この秋は面白い仕事がいくつも続いています。とにかく良い仕事をどんどんとして行きたいですね。それが私に与えられた仕事だと思います。



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その先の世界へ2015

先日は、フラメンコギターの師匠でもある日野道生先生に誘われて演奏してきました。この間のブログでは静寂感という事を書いたのですが、拘ってばかりでも頭が固くなってしまうので、ちょっと発想を変える為にも、誘われるままにやってみました。ライブ形式というのは本当にもう何年振りだろう??という位でしたが、気軽で楽しい会になりました。

帽子と少女会場は「帽子と少女」という名前のこんな感じの小さな喫茶店。時は選挙期間中でもあり、周りの音がどうしても聞こえてきてしまうので、何処まで表現が出来たかは判りませんが、今回はフラメンコギターとのカップリングでしたので、あまり気にせず気軽に出来ました。
私はもう7,8年程演奏会形式に拘っていて、ライブはずっとご無沙汰だったのですが、久しぶりにやってみて、色々と想う所が有りました。お店という空間で、皆さんがコーヒーを飲みながらリラックスして聞いている環境で演奏してみると、私の音楽はちょっと硬過ぎる。今回は日野先生が居たので何とかなったものの、あれではライブはちょっと厳しい。以前からリスナーを緊張させるのが私の演奏の特徴みたいなものでしたが、まあ相変わらずライブ向きのレパートリーではないのでしょう。改めてもう少し幅の広いレパートリーが必要だと思いましたし、リスナーあっての音楽という事も改めて感じました。
こういった気軽な所でもしっかりと私の音楽を届けられるのであればまた機会を持ちたいし、逆にどんな場所でも聞かせる事もやはりプロのプロたる所だという点も感じました。ただ気を付けたいのは、目の前の受け狙いに走るようになってしまう事です。そういうお客様と直に触れるからこそ、肝に銘じておきたいですね。

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ライブをやれば誰しも充実感や高揚感に浸れるものですが、盛り上がっただの受けただのという目の前の快楽に振り回されると、音楽はとたんに底が浅くなってしまいます。楽しいのは結構ですが、これはエンタテイメントの罠だと私は思っています。演奏会に於いても大いに気を付けたい所ですね。
いくら受けの良い演奏だったとしても、ノリだけで大雑把に演奏してしまう事は多々ある事です。そこには音楽の深遠は無い。技術はどんな場合でもしっかりとしたものがないと、自分のやるべき事は実現しないのです。舞台上では、何かの拍子に神憑り的にいつも以上のものが出て来る奇跡のような事が時々ありますが、それとてもまともな技術を持って舞台に臨んでこそです。こういう所に甘えが有ると、やはり全体がぼやけて、姿にも隙が出て来ます。
技術=テクニックというと、良い音程やリズム感、早弾き等が思い出されますが、それらは技術のほんの一つに過ぎないのです。ステージング、所作等舞台に関する事すべてが技術です。これが判らないようでは、音楽を届けられない。この辺りの事は、何時も肝に銘じている事ではありますが、ライブに置いては特に注意すべき所だと感じました。

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つらつらと思った事を書きましたが、時々こうしたライブもやっておくと、視点も変わって色々鍛えられそうです。私は、音楽は勿論の事、その先に在る世界を表現したい。お見事だとか、楽しかったという演奏の高揚感だけで終わりたくはないのです。
良き機会をまた得たいと思いました。


PS:この日は久しぶりにジャズ系の仲間も来てくれて、終演後ゆっくり話が出来ました。こうした語らいの時間もライブならではですね。ちょっと面白い展開になって行きそうな気がします。




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