フードビジネス

January 06, 2006

明日の顧客

新年早々、事務所(とはいえ自宅の書斎)
のドアノブが壊れてしまった。
何とかくっつけようとしてみたけども
全くの無駄な努力に終わる。

似た物はないかと近所のホームセンターを
2,3ヶ所回ってみたけれども
「ありませんねぇ」とか「うちではちょっと」と
断られてばかり。

ところが最後に回ったホームセンターは
対応が違っていました。

この店も欲しいものは無い。
それは他店と同じ。
でも話を聞いてくれた従業員の方が実に親切で
奥でなにやら調べてくれた上で、
「多分のこちらのお店のほうに似た様なものがあるかと思います」
と地図まで書いて説明してくれました。

この教えていただいたお店、他企業のお店です。
何度もお礼をいい、ついでに名刺を頂いてきました。


ドアノブは教えていただいたお店で買うことになるかもしれない。
でも、それ以外のものは、この人がいるお店で
買い物をしたいと素直に思える。

たった今、目の前で買い上げてくださる方だけが
お客様ではない。

今日は売れなくても、お客の立場に立った行動や言葉は、
確かに明日の顧客へと繋がっている。

                                                                                                うちらビ〜ラ〜



December 15, 2005

感謝

地元の有名なお菓子を扱っているお土産屋さん。
店に入るなりお茶をサービスしてくれます。

「お茶を出してあげたんだから何か買ってよ!」
なんて気持ちは微塵も感じられません。
ただ「ご来店ありがとうございます」という『感謝の気持ち』が伝わってきました。
もちろんお茶のサービスだけがその要因ではありませんが。

ある程度何かを買うつもりで入ったお店でこんな接客・サービスをされたら
やっぱり何か買ってしまいます。
また来ようとも思います。

当たり前ですが、お茶を出してくれた事が良い接客という訳ではありません。
お客の来店に感謝をしながら接客・サービスしているかが問題な訳で・・・

客を選んで接客するような一部の洋服のショップ等とは全然レベルが違います。
「どうせ見るだけでしょ・・・」みたいな接客とは全然違います。
買いそうな素振りを見せると、コロっと態度が変わったりするような。

お客様はみな平等に。
そしてまずはご来店に感謝をする。
接客業の基本です。


何か買って頂けるかは店員の接客・サービス次第。
そこを勘違いしちゃいけません。
もちろん、何か買って頂けた=良い接客・サービス・・・
と言う訳でもありませんが。

たとえ何も買って頂けなくても「ご来店ありがとうございました」
というお客様への感謝の気持ちは忘れてはいけません。

そんな『感謝の気持ち』を持てないお店・店員に未来はありえませんから。



October 04, 2005

スマイルは最高のご馳走

フランスに「ピラミッド」という、三ツ星だったレストランがありました。
ヘルナンド・ポアンという料理長は、ポール・ポキューズやアラン・シャペルなどの有名な料理長を育てた人でした。
彼の亡き後を、奥さんが継いで、そのレストランを守ったのですが、彼の死後もそのレストランの評判は衰える事はなかったそうです。

なぜなら、それは彼女の笑顔がとても素晴らしいものであったからだそうです。
「○○さん、いらっしゃいませ。お待ちしていました。」
奥様がニコニコして、「貴方の席はここです」と手をつないで案内し、「今日は貴方の為に素晴らしいお料理を用意してありますから、これを一度お召し上がりください。」と声をかけられたそうです。
食べる前から「この店は美味しい」という暗示にかけられたようだ、とこの話をしてくれた、料理長はおっしゃっていました。

商売の秘訣とでも言うのでしょうか。
スマイルは最高のご馳走になるものです。

このマダムも、もう何年も前に亡くなられていますが、そのスマイル精神は今でも受け継がれていると聞きます。

スマイルといっても「ケッケッケ」という笑いではないですよ。
作った笑い顔だと、眉がつりあがっているから却って逆効果です。

渋いのがカッコいいという人もいますが、それは個人の好みの問題でしょう。
ですが、平均的に言えば、「いらっしゃいませ」と自然に笑ってくれると気分が良くなってくるものです。
中国では微は美なりと言われています。
笑っていると美味しいと感じられます。
もちろん、不味ければ笑えませんが。

怒った顔は63の神経を異常に膠着・緊張させるのに対して、笑いは16の神経を緩ませ、リラックスさせるのだそうです。

微笑みは良い事ばかりです。
最後にはお金にもなりますよ。
人に好感を持たれて、人を呼び、人が集まってきますからね。



スマイルは最高のご馳走

フランスに「ピラミッド」という、三ツ星だったレストランがありました。
ヘルナンド・ポアンという料理長は、ポール・ポキューズやアラン・シャペルなどの有名な料理長を育てた人でした。
彼の亡き後を、奥さんが継いで、そのレストランを守ったのですが、彼の死後もそのレストランの評判は衰える事はなかったそうです。

なぜなら、それは彼女の笑顔がとても素晴らしいものであったからだそうです。
「○○さん、いらっしゃいませ。お待ちしていました。」
奥様がニコニコして、「貴方の席はここです」と手をつないで案内し、「今日は貴方の為に素晴らしいお料理を用意してありますから、これを一度お召し上がりください。」と声をかけられたそうです。
食べる前から「この店は美味しい」という暗示にかけられたようだ、とこの話をしてくれた、料理長はおっしゃっていました。

商売の秘訣とでも言うのでしょうか。
スマイルは最高のご馳走になるものです。

このマダムも、もう何年も前に亡くなられていますが、そのスマイル精神は今でも受け継がれていると聞きます。

スマイルといっても「ケッケッケ」という笑いではないですよ。
作った笑い顔だと、眉がつりあがっているから却って逆効果です。

渋いのがカッコいいという人もいますが、それは個人の好みの問題でしょう。
ですが、平均的に言えば、「いらっしゃいませ」と自然に笑ってくれると気分が良くなってくるものです。
中国では微は美なりと言われています。
笑っていると美味しいと感じられます。
もちろん、不味ければ笑えませんが。

怒った顔は63の神経を異常に膠着・緊張させるのに対して、笑いは16の神経を緩ませ、リラックスさせるのだそうです。

微笑みは良い事ばかりです。
最後にはお金にもなりますよ。
人に好感を持たれて、人を呼び、人が集まってきますからね。



October 01, 2005

見習い

今サポートさせていただいているクライアント先に、若い見習いの子が3人ほど勤めています。
私が訪問すると、料理長に怒鳴られている姿をよく見かけます。
はじめは黙ってみていますが、結局最後は私が仲介役となって、間を取り持つ事となります。
料理長は鼻息荒く、見習いの子は下を向いたまま微動だにしません。
昔に比べれば、包丁やフライパンで殴られないだけ、マシな方だとは思うのですが、若い子が落ち込んでいる姿というのはあまり良い光景ではないのも確かです。

いつになったらこんな状況から抜け出せるんだろう。
見習い時代はおそらく、誰もがそんな事を考えていたのではないでしょうか。
でも、私も、怒鳴っている料理長も、みんなそういった時代を経験してきた訳ですから、何とか耐えてもらいたいとも思います。

見習いって、なんなのか。
何のために存在しているのか。
当時はまったく先が見えない中で、とにかく走る事しか出来ない、そんな時代でした。

 

 

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見習い

今サポートさせていただいているクライアント先に、若い見習いの子が3人ほど勤めています。
私が訪問すると、料理長に怒鳴られている姿をよく見かけます。
はじめは黙ってみていますが、結局最後は私が仲介役となって、間を取り持つ事となります。
料理長は鼻息荒く、見習いの子は下を向いたまま微動だにしません。
昔に比べれば、包丁やフライパンで殴られないだけ、マシな方だとは思うのですが、若い子が落ち込んでいる姿というのはあまり良い光景ではないのも確かです。

いつになったらこんな状況から抜け出せるんだろう。
見習い時代はおそらく、誰もがそんな事を考えていたのではないでしょうか。
でも、私も、怒鳴っている料理長も、みんなそういった時代を経験してきた訳ですから、何とか耐えてもらいたいとも思います。

見習いって、なんなのか。
何のために存在しているのか。
当時はまったく先が見えない中で、とにかく走る事しか出来ない、そんな時代でした。

 

 

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September 29, 2005

独創的であるということ

アイディアというものは、核がわかっていれば、シンプルに伝えられるものです。
自分を誇示するためなのか、発見したことを複雑に怪奇めかしたように話す人もいますが、実際に優れた考察力を持っている人は、そういう事はしないものです。
非常に簡略で単純にとらえる。
そうでなければ、料理というものはサービスの時間内に作り上げる事ができません。
お客様とのタイミングというか、あうんの呼吸というか、そういった「間」に間に合わない料理には、何の意味も持たせる事ができないものです。
ただでさえ何が起こるかわからないサービスの時間帯なのですから、すでにわかっている事は出来るだけシンプルに伝えておかないと、いざという時にパニックに陥ってしまいます。

「資本がないから事業が思わしくないという声をよく聞くが、それは資本がないからではなく、アイディアがないからである。よいアイディアには国境がなく、よい製品には国境がない。どの時代にも残るのは、独自の技術と製品だけだ。そして、うまくいっていない会社には、何よりも新規の開発や開拓がない」
これは故本田宗一郎氏の著書に書かれていた言葉で、自分なりに覚えている言葉です。
資本がないからというのは言い訳に過ぎない。
アイディアがあればみんなが愛してくれる。
どこの国の人にも愛される。
素晴らしい言葉です。
ことあるごとに自分に言いきかせています。

 

 

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独創的であるということ

アイディアというものは、核がわかっていれば、シンプルに伝えられるものです。
自分を誇示するためなのか、発見したことを複雑に怪奇めかしたように話す人もいますが、実際に優れた考察力を持っている人は、そういう事はしないものです。
非常に簡略で単純にとらえる。
そうでなければ、料理というものはサービスの時間内に作り上げる事ができません。
お客様とのタイミングというか、あうんの呼吸というか、そういった「間」に間に合わない料理には、何の意味も持たせる事ができないものです。
ただでさえ何が起こるかわからないサービスの時間帯なのですから、すでにわかっている事は出来るだけシンプルに伝えておかないと、いざという時にパニックに陥ってしまいます。

「資本がないから事業が思わしくないという声をよく聞くが、それは資本がないからではなく、アイディアがないからである。よいアイディアには国境がなく、よい製品には国境がない。どの時代にも残るのは、独自の技術と製品だけだ。そして、うまくいっていない会社には、何よりも新規の開発や開拓がない」
これは故本田宗一郎氏の著書に書かれていた言葉で、自分なりに覚えている言葉です。
資本がないからというのは言い訳に過ぎない。
アイディアがあればみんなが愛してくれる。
どこの国の人にも愛される。
素晴らしい言葉です。
ことあるごとに自分に言いきかせています。

 

 

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September 28, 2005

静かなる者

アイディアを思いつくことはとても大切ですが、そこからが大変な仕事です。
アイディアが1だとしたら、そのアイディアが使えるかどうか見極める事には10ぐらいの力が必要になってきます。
そしてもっとも大切な「実用化できる状態」にするには、100ぐらいの力が必要だと感じています。

アイディアは実用化無しでは生きられないものです。
やれたかもしれない事と、やりぬいた事の間には大きな河が流れているようなものです。

こと料理の世界おいては、料理を実用化するというのは、自分が作れるという意味ではなく、チームで創れるようにする、という事です。
戦場のような忙しさの中で、他の料理の合間に責任を持って作ることができるかどうかは、とても大切な事です。

料理人の意識としては、まばたきしている合間にサービスは終わっているような感覚があります。
サービス中に、他の事をすべて放り出さないと出来ない料理は、どんなに美味しく出来上がっても、「こんな良い料理は出来ないだろう?」という料理長の自己満足に終わってしまいます。
それでは他のスタッフにしわ寄せが行くだけです。
料理というものは一皿では終わらないもの、という事を強く認識すべきです。

スタッフが力を合わせれば無理なく創れるような体制まで作り上げる事が、クリエイターとしての最低限の仕事だと考えています。

いいアイディアを無理なく具現化していく姿は輝いて見えてきます。
こういった仕事の出来る人は、ガチャガチャしていないというか、やっている事が非常に静かな、落ち着いた印象の人が多いものです。

静かなる者は健やかに行く。
健やかなる者は遠くまで行く。

私たちは一体どこまで行けるのでしょうか。
アイディアの尽きるその時まで、とにかく走り続けたいものです。



September 25, 2005

アイディア −その点と線−

フランス料理には「黒トリュフのかき卵」という料理があります。
トリュフも卵も単体では料理として成り立ちません。
トリュフには香りがあるけれども味は薄いものです。
卵はいくら高価になっても限りがあります。
しかし、その両方を合わせて、味をつけて熱を加えることで、まったく異質なものが出来上がります。
それがこの料理に乗った付加価値になります。
商品としてお皿の上に載せられるぐらいの新しい繋がりの発見があり、味の提案が出てくるものなのです。

素材を、ただ素材を置く以上のものに創造しなければ、お客様のいるステージには行かせられません。
高価な素材を意味なく載せただけ、という料理は、高価なだけでそれ以上のものではありません。
それではお客様は感動はしてくれないし、そもそもその皿は料理ですらないものだと考えています。
私は、素材を料理する事で、そのもの以上の価値を持たせたいのです。

長い間、料理をし続けてきたので、具現化させる技術は持っているつもりです。
私にしか出来ない事で、他人には出来ない料理が、もしかしたら出来るかもしれない。
そんな事を考える時が本当に楽しくて仕方がないのです。
「こんな事も出来るのか」
「こんな事もやっていいのか」
というような、創造の面白さにどっぷりと浸かっています。

 

 

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