利息制限法金利引下実現全国会議

私たちは、利息制限法の利率を適正金利まで引き下げることを目的として、 (1)利息制限法の基本問題に対する正確な理解と基本理念の構築 (2)利息制限法の理念に基づく理論深化 (3)諸外国の利息制限法の調査研究 (4)利息制限法潜脱業者に対する勝訴判決の獲得と蓄積 (5)利息制限法下における多重債務被害の実態の把握と調査・研究及び救済 (6)当会の目的達成のためのシンポジウム・集会の開催  現行の利息制限法の利率の貸付でさえ、数多くの多重債務被害をうみだしていますが、高金利被害のない社会を実現するため、利息制限法の利率の引き下げを目標に、これからも全国をまわって活動をしていきます。

2012年10月

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●衆議院議員 小沢 一郎 様
このたびの「利息制限法金利引下実現全国会議」岩手県シンポジウムの御開催を心よりお喜び申し上げます。
また、御参会の皆様方には、日頃よりわが国経済社会の健全なる発展のため何かとご尽力いただいており、改めましてここに敬意を表する次第です。
さて、多重債務問題の深刻化を受けた平成18年の貸金業法改正の後、本件に関する各指標は著しく改善が認められるなど、一定の政策効果が見られております。
 一方で、貸金業界では、行き過ぎた規制強化が経営悪化・業界規模縮小を招いたとして、法定上限金利の再引き上げ等、法の再改正に関する要望活動を活発化させております。
 重要なことは、一部の権益・利益のために貸金業法等の改正を論ずるのではなく、健全な経済社会の発展・金融市場の育成のために、どのような「貸金業法体系」が望ましいのか、というあくまで国民経済厚生的な観点から本件を考えるという真摯な姿勢であります。
そのような意味において、このたびの総会は大変意義深いものであると認識しております。借り手にとっても、貸し手にとっても健全で活力ある貸金市場が育成されるよう、どうか引き続きご尽力賜りますよう、心より御願い申し上げます。
本会の御成功と皆様方のますます御健勝を心よりお祈り申し上げます。

●参議院議員 主濱 了 様

利息制限法金利引下実現全国会議 岩手シンポジウムご開催をお慶び申し上げます。
代表幹事の茆原正道様はじめ、会員皆様の日頃のご労苦と様々なご功績に深く敬意を表しますと共に、ご参会皆様の益々のご活躍とご健勝をお祈り申し上げます。

●岩手県議会議員 岩渕 誠 様
  利息制限法金利引下実現全国会議の岩手シンポジウムの開催を心よりお祝い申し上げます。
貴団体におかれましては、グレーゾーン金利問題等の解決にご尽力され、その成果
もあらわれてきておりますことにまずもって敬意を表します。
  一方で、デフレや非正規労働の拡大などもあり、依然として多重債務問題は大きな問題となっておりますが、東日本大震災の被災県では二重ローン問題の解消など、お金にかかわる課題は、ふるさとで人間らしい生活を取り戻すうえという「人間の復興」に向けた大きな障害ともなっています。
こうした中で、利息制限法の改正を求めるシンポジウムが岩手県で開催されますことは、まことに時機を得たものと存じます。
  きょうのシンポジウムが貴団体の目的達成のために有意義な会となりますこと、ご参会の皆様の今後のご活躍とご健勝を心よりお祈りいたします。




利息制限法の金利の問題点とその改善

  ―利息制限法はなぜ必要とされたか、金利を引き下げる必要性についてー

                      弁護士 茆原正道

 

 本日は、盛岡の地までおいでいただき、ありがとうございました。

 

さて、利息制限法は我が国では明治10年9月11日に生まれました。

明治憲法や民法よりも10年以上早く制定されました。なぜこの立法が必要だったのでしょうか?その立法事実を確認しておくことが大事です(立法を必要とする社会的事実を立法事実といい、法の解釈において、立法事実があるか、それはどのような内容なのかは、重要視されます。)。

それは高金利での消費貸借を放置することができなかったからです。我が国では明治4年に一度金利制限が撤廃されたのですが、金利制限のない社会は大混乱を引き起こしました。高金利に苦しめられた民衆による一揆の多発は幕末よりも多かったのです。高金利の取立と被害が放置されていた明治10年までは大騒乱の時期でした。例えば、北会津の農民一揆の要求では従来の土地で質に入れて質流れになった土地を無償で償還しろ、借金を棒引きにしろ、無利息年賦で返させろ、といった「高金利に苦しんだ果ての要求」が目立っています。この要求を弾圧されて大規模な一揆が多発します。北会津大沼三郡をはじめ、堺、甲府、山形、福島、飛騨、倉敷、茨城、三重、愛知、岐阜、和歌山等々で多発します。地域の実情をよく知っている知事達はつい穏便な方法をとるので、危機感から政府は知事をどんどん処分していき、一揆では1000人までは殺していいという弾圧策をとったのです。

明治4年3月10日には安政の大獄以来の大弾圧をしています。

そもそも、明治維新というもの自体が幕藩体制の高金利借金地獄からの集団脱出という側面を持っていました。徳川幕藩体制は、高金利それ自体が自己増殖した結果、まるでシロアリのように社会が蚕食されていったと見るべきです。

すでに大政奉還の前に、13藩もの藩が借金でどうにもならなくなったので、自分から藩政の返上を幕府に申し出たりしていたのです。

高金利が社会を破壊する実例だと言えます(それでいて、明治維新となって札差などの高金利貸金業者は没落してほとんど消えています。金貸しは社会に寄生するだけだからです。対象が消えれば自らも消えます。)。

漸く各藩が明治4年の廃藩置県により高金利負債から脱したとはいえ、武士は秩禄処分という、一種の退職金というか失業手当を貰うわけですが、これを元手にしても殆どは武士の商法で、すぐに使い果たし、職はなく、高金利借金だけが残るといった状態に陥るわけです。

これに加えて、明治新政府の下で報われない階層の不満が現体制批判という形で爆発して、明治7年の佐賀の乱、明治9年の神風連の乱、秋月の乱、萩の乱、そして明治10年2月に蜂起した西南戦争、という大混乱時に旧利息制限法は制定されているのです。西郷さんが自決したのは明治10年9月24日、旧利息制限法の公布の約2週間後です。西南戦争の真っ最中の制定です。

なお、利息制限法制定の審議そのものは明治8年に始まっております。

利息制限法による高金利からの救済ということは、一つには、救済を求める民衆に対し、これに対する弾圧だけでは抑えきれないという認識が出来てきたことと、明治4年から6年までの間に行われた岩倉使節団が勧奨恵恤(かんしょうけいじゅつ)という一種の福祉思想を欧米から学んできたことにもよるのだと私は思っています。

 

 この利息制限法は強行法規です。つまり、借主が高い金利について「それでも構わないから借りたい」と述べて契約したとしても、制限を超えた利息についての約定は無効なのです。借りる方はなにがなんでも借りたいと必死ですから、どんな無理でも承諾してしまうのです。ここから悲惨な結果が生まれるのです。健全な社会の基本を守る制度設計という点でも、予防的な対策を取る必要があるのです。そこで、このような利息制限法は強行法規とされて、特別な法律とする必要があるのです。今混乱している充当問題もこの強行法規に違反した状態を是正するために判例上認められたものであり、本来は分断の期間も契約による分断も関係はないはずなのです。

現在では、利息制限法の制限金利自体が非常に高いということ、そのために多重債務被害を生みだしています。そのことは重大な問題です。現在では金を貸金業者に吸い上げられたために貧困に陥り、預金などない家族が20%を超えるなど、実に多くなっており、学校の給食費等も払えず、我慢する児童が生まれたり、保険料を払えないためにお医者さんに見て貰うことも出来ないといった人々が生まれているのです。貸金業者からの脅迫に近い取立てに遭い、また、保証人や家族に迷惑をかけたことを苦痛に思い、あるいは保険金で借金を払ってほしいという遺言を残して自殺する人も後を絶ちません。それどころか、自殺者は増え続けています。

自殺は、かけがえのない命を絶つ、という本人にとって、これ以上のことはない悲惨なものです。それだけではなく、自殺者の周囲には、「取り返しがつかない」と、胸をかきむしられる悲痛な思いをする配偶者や子供達などの家族や友人がいます。ずっと痛い思いが残り続けます。利息制限法に引き直して計算してみると実は過払いであり、死なないでよかったという事例が実に多いのです。債務があったとしても、死ぬことはありません。

対策をみんなで考え、工夫していきましょう。

 

ここで、少し金利の効果というものを考えてみたいと思います。現在利息制限法では元金10万円未満は年20%、10万円以上100万円未満は年18%、100万円以上は15%となっています。

今、あちこちから借りては返済、ということを繰り返したとします。

200万円借りた状態になっており、月々の返済に回せる家計を3万円だとした場合、チラシにありますように、0%の金利だと5年7か月で返すことができますが、これが15%だと12年掛かり、利息だけで231万余払って合計で431万円以上払うことになります。18%の金利だった場合には、利息だけで20年たったときには720万円も払うのですが、40年で1440万円利息だけ払うけれど、元本は少しも減りません。

一生債務奴隷となってしまうのです。

これを地域経済の活力を奪うという側面から見てみましょう。高金利は生産力と社会的活力を奪い続けているといっても過言ではありません。

多少の変動はありますが、現在高金利貸付は15兆円と言われています。そこで、15兆円を総人口1億2760万人で割ると、1人当たり11万7、500円を借りている計算になります。この金額に今住んでいる地域の人口を掛ければ、その地域の推定借入額が算出できます。例えば、人口10万人の地域であれば117億5,000万円を借りていることになります。そこで、28%の金利が18%になるとすれば、10%分の11億7,500万円が地域から出ていかなくて済むことになります。さらに、この金利が8%であるとすれば、さらに11億7,500万円がその分まっとうな消費生活に回ることになるのです。実際は、これら高金利が地域から貸金業者に吸い上げられているのです。この構造をきちんと見ていくべきなのです。その経済効果は計り知れないものがあります。税金滞納の解消、社会保険料の支払、健康な生活と健全な消費、家族の安心と団欒を取り戻せます。医療費や教育費にも回せます。倒産の減少にも寄与します。これまで日本は大企業は儲かっても庶民は苦しい生活が続き、消費は冷え込み、ずっと不景気が続いていました。実は、野放しの貸金業者の高金利経営によるものが大きかったことを忘れてはならないと思います。金を貸して上げるから消費が活発になり経済に寄与するといったことを貸金業者がいいますが、嘘です。金を借りて高金利を払っていくということは将来の可処分所得を先に食っているだけです。高金利は貸金業者の収益として収奪されていることに目を向けるべきです。かって、日栄の松田一男社長は平成11年の国会喚問の時に、年間に生じる1万5,000件の倒産のうち、日栄の借主がその3分の1の5000件は存在している、と言いました。象徴的です。

高金利こそが社会を破壊してきたのです。

 

 当会議では、なぜ利息制限法の金利は高いと言えるのか、実態はどのようになっているのか、などをめぐって、報告を受け、検討してきました。

 貸金業者やそのエゴ・利益を擁護する御用学者達は、規制がけしからんといい、新自由主義市場原理を声高に叫び、金利の規制をするなと言います。

しかし、自由に任せて、略奪的な金融の跋扈を許し、マネーを暴走させた結果が、サブプライム問題に端を発し、リーマンショックに至った現在の世界的金融危機です。金が金を生むようなことに目の色を変えること自体に反省を迫る必要があります。自主的・自発的に抑制された貸金業務が行われるといった事態は到底期待できません。専ら自らの利益・エゴを中心に貪欲な業務形態となります。利息制限のない社会に放置するならば、確実に社会は破壊されます。歴史的事実でもあります。

私たちは、健全な社会制度設計の問題として利息制限法の金利をもっと下げるように力強い運動を今後も展開していきたいと思います。

 昨年3月5日の大阪シンポジウムでも、民主党の法務委員会委員長の辻恵議員のような心強い国会議員の方々がご参加して頂いています。

平成18年12月の貸金業法関連改正により、出資法上限金利を利息制限法の20パーセントにまで引き下げる運動は一定の成果を得ました。そのために、全国で実に多数の、各地方自治体の決議を得、340万人という大きな署名活動を得ることもできました。この貸金業法改正は確実に施行させるべきです。

今、日本の政治が大きく変わろうとしています。これをいい方向に持って行くか、失望と暗澹たる状況に持って行くのかも、我々の行動、我々の活動にかかっています。高金利に苦しめられない社会の実現を目指して頑張る意義は極めて大きいのです。日本の投票行動が激変したのも、実は「もう騙されないぞ」という貸金業者の誤魔化しとの闘いの中で育まれてきた民衆の学びの効果も大きいのではないかと私は思います。

 

では具体的に、どの程度まで金利を引き下げる要求を出すべきか、これこそが大きな課題です。まだ、当会議で正式に出しているわけではありませんが、個人的には私は、まず、金利は3区分を廃止して、一つにまとめるべきだと考えます。これはかっての日本の金利体制でもありました。そして、制限金利は8%、という線で要求していくべきではないかと考えております。

この利息制限法金利引下実現全国会議は、2007年3月の四谷での創立総会以降、八戸、伊勢、宮崎など各地でシンポを開いてきており、さらに2008年9月6日の三鷹のシンポでは、各党から「超党派の運動として盛り上げていこう」という、5名もの国会議員の方のご参加と挨拶を受けるまでに発展してきました。その後も2008年11月に出雲で、2009年2月に京都、7月に札幌、9月に徳島で開いた際には国会で大きな活躍をして来られた後藤田正純衆議院議員にもお出で頂きました。そして、11月には川崎大会(多くの国会議員の参加も得ました)、2010年3月熊本、7月福井、10月和歌山、2011年3月5日の大阪シンポ、2011(平成23年)7月2日の奄美シンポ、2011(平成23年)年10月22日の秋田シンポ、そして2012年(平成24年)3月24日の神戸シンポジウム、7月21日の高知シンポジウムと全国各地でシンポジウムを開いてきました。
  

 高知では喫緊の課題としてTPPの問題に関してどのような問題点があるのかについて横田一さんと鳥畑静岡大学教授にご講演をいただきました。TPPは、決して目出度い外交戦略などではなく、条約は国内法に優越することを考え合わせますと、利息制限法に関しましても国際的条約でもって利息制限法の規制を取っ払ってしまおうという乱暴な企みが隠されいるような気がします。しかも投資家保護条項というとんでもない措置のもとでの計画であり制度である点を見逃すことはできません。

 また、現在では一方では折角勝ち取った貸金業法の規制を台無しにしようという悪企みが進行しています。利息制限法にも手をかけて30%に上げようというどさくさに紛れた企みであり、決して油断ができません。

 

われわれは、各地での現地報告による問題点も集積してきました。

本日は、3.11東日本大震災後1年7ヶ月を経て、大変な困難を強いられてきた東北の地で頑張ってきた方々のお声を集めようとして開催されます。

どうか最後まで集中してご参加くださるようにお願い致します。

 

 当会議では、引下げに向けたパンフレットや本の作成も一つの目標として掲げてきました。本日もお配りしましたように立派なパンフレットも出来上がりました。利息制限法の上限金利がなぜ高いのか、これまでの当会議のあゆみなどについて整理してありますので、是非お読み下さい。

また、日本加除出版社から「高金利は社会を破壊する」という本も2009年4月に出版することができました。歴史的な高金利による貸金業の弊害も整理してあります。是非、お読み頂き、具体的な運動に生かして貰いたいと思います。そして、これらを立法に生かしてもらうように国会議員への配布や世論を盛り上げていくことを考えています。貧困の問題はその原因の一つに高金利問題が確実に存在しています。規制利率に関する具体的な目標値の設定についても、かなり検討してきました。最後は国民の声とそれをバックにした国会での立法活動で決まります。法案作成の過程に関しては金融庁などの行政との関わりも無視できません。そこで、私達は、2009年7月30日には、金融庁に出掛けて行って、参事官や担当者と「何故利息制限法の上限金利を引下げる必要があるか」ということについて、お話し合いもし、今後の継続的な話し合いをする約束も取り付けています。これからも国会議員をはじめとした働きかけが大事です。利息制限法の上限金利の引下げと多重債務による苦しみからの解放される日まで、どうか、今後とも一緒に頑張っていきましょう。 


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