議論について

2007年07月30日

情報リテラシー

2ちゃんに書かれている情報は、ウソがとても多いです。
2ちゃんは集合知でもあり集合愚でもあるのです。

新聞は100のうち95は正しいのですが、2ちゃんねるは下手をすると100のうち10くらいしか正しいことが書かれていなかったりします。
だから2ちゃんを見る際には、そこにある情報を鵜呑みにしないことです。

管理人ひろゆきの名言にあるように、「ウソをウソと見抜ける人でないと掲示板を使うのは難しい」 のです。

そうすると、その正しい10を見分ける力を持てるかどうかが重要になってきます。しかし大体の人は持てないわけです。


ここで身につけたい能力が情報リテラシーです。

情報リテラシーとは、情報機器を利用し、膨大な情報の中から必要な情報を抜き出し、情報を自己の目的に適合するように使用できる能力のことです。

情報を上手に扱うための基本的な知識や能力(情報の入手、理解、評価、作成、公開)はもちろん必要です。

近年では、信憑性の低い情報や恣意的に流される情報を鵜呑みにすることなく、自己の責任において判断し検証を行った上で活用する能力も求められるようになっている。これは、ニュース番組でさえも視聴率を重視せざるを得ない厳しい競争環境や、インターネット上の2ちゃんねるやウィキペディアをはじめとする数多くの匿名ユーザーによる情報発信が増え、日常的に接する情報の信憑性が低下していることが原因である。 

『ウィキペディア(Wikipedia)』情報リテラシー引用


関連記事:コンピュータ・リテラシーでなく情報リテラシーを
川村渇真の「知性の泉」

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risoujansisisi132652 at 17:55|この記事のURLComments(5)TrackBack(0)

2007年07月29日

2ちゃんねるが議論に向かない理由

ネット上での議論の場所は、ブログ、掲示板などが挙げられます。
その中でも、現在月間1千万人が利用しているといわれている 最大級の掲示板が2ちゃんねるです。

■2ちゃんねるの特徴

匿名性が高い(議論相手が不特定)
○ルールがほとんど存在しない(自治作用なし)

■匿名性のメリット

○個人情報が守られる
○自由な発言ができる(議論を阻害する外部要因がない)

■匿名性のデメリット

○自由すぎるため、誹謗中傷が多い(ほとんど削除もされない)
○発言の責任がない

ルールがほとんど存在しないというのも、匿名性とだいたい同じようなメリット・デメリットがあります。 良くも悪くも自由であるということです。

この自由さのメリットよりデメリットが大きいため、積極的な発言以上に悪口の言い合い、嘘やゴマカシ、無責任で適当な発言ばかりで、議論が成立しづらいのです。

そして議論をコントロールできる人もいません。2ちゃんの議論は「対話」形式にあたるので、審判はいませんし進行役もいません。だからみんなが自由に発言して、自由に進んでいきます。

結局2ちゃんでのほとんどの議論は、議論というよりただの雑談レベルでしかありません。

これを有益な議論にしようと思っても、なかなかうまくいくものではありません。私もいろいろと試してみましたが、議論として成立させ、それをスムーズに進行させるのはかなり困難だといえるでしょう。

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risoujansisisi132652 at 21:43|この記事のURLComments(3)TrackBack(0)

2007年07月26日

ミナミさんとの議論について

少し前に、ミナミさんのブログで議論をしていました。
知っている方もいるかと思います。

その件について、いくつかコメントをいただきました。

・理想さんはちょっとやりすぎではないですか?
・なんか、ただの口ゲンカみたいで不快です
・いつもの理想さんらしくないです

もっともな意見だと思います。この件に関しては、私の議論に対する知識や能力の低さもさることながら、説明不足だったと反省しています。

前回の記事で凸さんの議論方法を紹介しましたが、実は以前から興味を持ち、実際に試してみたかったのです。
そこで当時議論をしていたミナミさんと、私なりの凸さんの議論の仕方で議論をしてみました。

結果はいうまでもありません。いただいたコメントどおりの、おおよそ議論レベルではなく口ゲンカ、雑談のような議論になってしまいました。

私は凸さんの真似事をして大失敗しました。
凸さんの議論は特殊なので、誰でもできるものではありません。

残念ながら現在の私では、凸さんほどのカリスマ性、洗練された思想、議論に対する知識、ギャグセンス、分析力、状況判断力(場の空気を読む)などがないため、議論を見ているみんなで楽しめるエンターテイメントというより、思想を語るパフォーマンス(自分だけの快楽)のレベルに留まりました。

だからまわりで見ている人にも、グダグダ感やダサい感じが伝わってしまったのだと思います。

こういった私の能力不足もそうですし、私がいきなり凸さんのような毒舌キャラになるというのも無理があったのだと思います。

そして、そういった意図があって議論に参加していたことを何の説明もしていなかったので、見ている人は違和感があったのだと思います。


議論についての最初の構想では、正しい議論の仕方について書き、それ以外の議論の仕方(凸さんと01さん)について書き、最後に私はそのやり方を真似して。という記事の構成がいいかなと思っていました。

しかし今思えば、正しい議論の仕方を記事にする前に、先にこの記事を書くべきだったのでしょうね。ミナミさんとの議論内容と、正しい議論についての記事内容が全然違い、なにか言い訳しているように見える。というコメントをいただきました。確かにミナミさんの件について何の説明もせずに、議論の仕方を書くのは少しおかしいですね。

今回の議論では、新しい試みをしてたくさん失敗しましたが、その分いろんなことを学ぶことができました。今回の失敗を反省し、今後も少しずつ議論について勉強して場数を踏んでいきたいと考えています。

最後に、今回の私の発言や行動によって、ミナミさんや議論参加者のみなさんにご迷惑をお掛けしたことをお詫びいたします。

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risoujansisisi132652 at 17:30|この記事のURLComments(4)TrackBack(0)

2007年07月24日

01さんと凸さんの議論

私の思想、特に麻雀以外の思想に関しては01さんと凸さんの影響を強く受けています。
01さんと凸さんの議論を私なりに分析してみました。

01さんは、真理に近づくため。

凸さんはある種の研究・考察、つまりひたすら「個人的」な体験を「他者」の視線にさらして思想を洗練するため。(副産物として、エンターテイメントがある。)
時には相手を罵倒したり、論破したりと攻撃的な一面もあります。


正しいとか有益であるとかいった概念は、人それぞれ違います。一般的に言われている正しい、有益であるとは、多数決によって決められた正しいらしさ、有益であるらしさです。
共通の正しい議論や有益な議論はなく、各々の基準で議論に参加しています。

凸さんは、そもそも「正しい回答」と判断されたことを信用していません。

01さんは、分からないことは正しい回答を導く必要がないし、「正しい回答」と判断されたことを参考にはするが、必ずしも真理だとは判断しません。

私はというと・・・
正直まだ自分なりの議論観というものを持っていません。

ですから、まずは一般的な議論を身につける必要があるのだと思います。「皆が納得する答」を究極の目標として、それに少しでも近づこうと皆で努力する議論です。

一般的な議論では、価値があるのは「正しい回答」なわけですが、回答が正しいかどうかは直接判断することはできません。
ですから、納得できる理由によって導かれた回答を「正しい回答」と判断します。

今までずっとこの一般的な議論について触れてきましたので、ぜひ読み返して身につけてもらえれば役に立つことがあると思います。

そして一般的な議論を身につけた人は、凸さんや01さんのように、自分なりの議論の参加の仕方、議論の目的などを考えてみて、実際に試してみてはどうでしょうか。

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risoujansisisi132652 at 15:32|この記事のURLComments(6)TrackBack(0)

2007年07月22日

悪の組織の問題点から議論を学ぶ

議論についてネットで調べていたら、おもしろい記事を見つけました。

OCNスペシャル

前半のキューティーハニーの部分は飛ばしていただいてかまいませんw

■悪の組織の問題点
その2〜対立意見を抑圧

『W.シュミットの葛藤処理モデル』の図を見てください。

対立が起こった場合の解決方法として、自己の利益にこだわるか(自己主張性)、他者の利益にこだわるか(協力性)、の二次元上で捉える図を表現したもの。 です。

競争 どちらかの意見が相手を抑圧
和解 どちらかの意見に譲る
回避 双方の意見を止める
妥協 双方の意見に譲歩する
協力 双方を満足させる統合的な意見を提案


これを私なりに言い換えると次のようになります。

競争=正しい議論ができない(今までの記事参照)
和解=(納得していない場合)自己主張がない、弱気。
回避=(回避できない場合)コメント欄停止、掲示板閉鎖
妥協=無難であるが、なあなあになってしまうことも。
協力=有益な議論が可能

競争は、今まで記事にしてきたような、正しい議論ができない人です。攻撃的で、相手を論破することを目的とするような人です。議論は成り立ちません。

和解は、相手の意見を認めたうえで、自分の意見を訂正または撤回して受け入れるのならばいいのです。
しかし、充分に納得していないのに議論、批判が嫌いだからという理由で和解をしてしまう人は、自己主張がなく、少々弱気であるといえます。

回避は、議論が成り立っていないので止めるということです。それでも止められなかったら、ネットの場合ではコメント欄が荒れたので閉鎖したり、掲示板自体を閉鎖してしまいます。

妥協は、みんなの意見を認めよう。という無難な意見です。しかしこれも度がすぎると、なあなあのぬるま湯につかったような意見しかかわされない議論になってしまいます。いわゆる価値相対主義(意見は人それぞれなので、批判するな。)に陥ってしまう可能性があります。

協力は、有益な議論につながります。妥協よりも建設的で、前向きです。この協力の状態が一番望ましいといえます。

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risoujansisisi132652 at 19:57|この記事のURLComments(0)TrackBack(0)

2007年07月20日

議論を阻害する要因とその解決策

これまで、正しい議論、有益な議論をするためのルールを書いてきました。
みんながこのルールを守って議論に参加する。
そうすることで正しい議論ができるでしょう。

しかしそれは理想であり、現実はそれほど上手くいきません。
ルールを知らない以外にも、勘違い、固定観念、利己的な理由、利害関係など議論を阻害する様々な要因があります。

いくつかの要因と、その解決策を挙げておきます。


■議論の知識不足、能力の欠如

・議論の正しいやり方を知らない
・議論のテーマについての知識がない
・(議論をするための論理的思考ができない)

「解決策」

・議論の正しいやり方を学ぶ
・議論のテーマについて最低限の知識を勉強する
・論理的思考を身につける。

論理的思考を身につけていれば、議論の円滑な進行や誤りの修正ができる。内容の深い議論をしたい人は必須である。


■自分自身と自分の主張をいっしょにしてしまう

自分の主張に反論されたり、議論の結果間違っている場合、何か自分自身を否定されたように感じる。
自分の主張に批判されると、何か自分自身が攻撃を受けているように感じる。

「解決策」

・議論というのは誰の主張かは関係ない。
対人間ではなく、対主張であることを理解する。


■見栄やプライドを守るために、主張の間違いを認めない

自分の主張が間違っていると明確になった場合に、それを素直に認めて考えを改めたり、訂正するのが望ましいです。

「解決策」

・意識改革をする。
一時の間違いを恥じることはない。誰にでもあること。自分をあまり責めず素直に認める。

・議論の目的、意義を再確認する。
議論をするのは、みんなで正しいらしい納得できる答えに、少しでも近づくためである。


■提示されたテーマに対し、主張の背景に固定観念(プロ擁護・ネット麻雀批判・個人批判etc)が存在する

このような人は、結論先にありきで論理無視をする傾向がある。それだけではなく、相手の意見すべてに感情的に反応し、他人を煽ったり荒らしになる可能性もある。

「改善策」

・固定観念を一度頭からなくしてみる。
・他人の意見を素直に聞いてから判断する


■議論のテーマに利害関係がある

上記の固定観念とも似ている。
利害関係に有利な発言をするだけで、議論をしようという気がない。

「改善策」

・利害関係がある人を、そもそも議論に参加させない


■暴力的行為により意見を抑圧される

実際に暴力をふるったり、脅迫などによって発言を制限、禁止すること。

「改善策」

ネットなど匿名性の高い議論にする。
法律による解決。


■立場の違いから意見を抑圧される

立場が上の者が、下の者の発言を制限、禁止することで、上の者に有利に働かせようとする。
たいていは、自分たちの地位や名誉を保守する目的で、その人や属する組織のイメージダウンとなる発言を抑圧する。

「改善策」

立場関係なく意見が言い合えるような組織作り。
ネットなど匿名性の高い議論にする。⇒もちろんデメリットも生まれるが。

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2007年07月19日

正しい議論のやり方 補足9

11. インチキ科学

世の中には「インチキ科学」「似非科学」「擬似科学」と呼ばれる一分野が存在します。あるいは「トンデモ本」と言った方が通りがいいかもしれません。それらの多くはオカルトだったり宗教だったりマッドサイエンティストだったりしていかにもうさん臭いものですが、たまに反戦運動や環境保護運動などの一見まともな運動に入り込むたちの悪いものでもあります。

例を挙げればキリがありません。一般人に身近なところでは「UFO」だとか「霊」とか「超能力」などでしょう。「アインシュタインは間違っていた」とか「アポロは月へは行っていなかった」といったオカルトと関係ない説もあります。「○○健康法」「○○でガンが治る」「マイナスイオンは体にいい」のような医療に関するものもたくさんあります。

麻雀においては、「オカルト派」がこれに当てはまります。
そういった視点で見てみるのもおもしろいでしょう。

議論からは少し外れますので、詳しくは取り上げません。


12. 様々な話題

12.1. 引用

議論では、相手の意見を引用してその下にそれに対する自分の意見を書くというスタイルが一般的に使われています。しかしそれは危険の多いやり方です。相手の意見の字面だけを追いかけ、言った言わないの意味のない論争になってしまいがちだからです。

そんなときは、相手の文章をそのまま引用せず、相手の主張を自分の言葉で書いてみましょう。そして「あなたの言いたい事はこういう事ですね?」と聞いてみましょう。そしてもし「俺はそんな事を言いたいのではない」と相手が言ってきたら、じゃあどういう事を言いたいんだろう、とまた考えればいいのです。それがどうしてもわからなかったら「あなたの言いたい事は私にはさっぱりわかりません」と正直に言いましょう。


12.2. 反証可能性

意見には反論がつきものです。しかし日本人は反論を「和を乱すもの」として嫌います。これではまともな議論は成り立ちません。人の意見に異を唱えるのは議論では良い事であり、必要不可欠なものなのです。

反論を恐れないで下さい。むしろ反論を呼ぶようにしましょう。なぜなら反論というのはあなたとは違う別の考え方を教えてもらう事だからです。議論の目的は「そうだね」と言ってもらう事ではなく、「いやそれは違う」と言ってもらう事だからです。あなたの意見に皆が「そうだね」と同意したのではそこで議論は終わってしまい、あなたには何ら得る物がありません。「いやそれは違う」と言う人がいて初めてあなたは自分とは違う意見を聞くことができるのです。


12.3. 議論と匿名

これについては後で詳しく触れます。

匿名掲示板では罵詈雑言が多すぎて議論には向かないと思われる向きもあるかもしれません。しかし、全員が議論のルールを守っていれば匿名掲示板は案外効力を発揮します。
>本当に議論に向いているのか?匿名のメリット、デメリットなど
 
ではどういう基準で「荒らし」を認定すればよいのでしょう?
あなたが無価値だと思う意見は見ないようにしましょう。そして他人がその意見に対してどう思おうと放っておきましょう。それが荒らしに対する簡単確実な対処法です。
>荒らし、煽りをする人の心理、その対処法


13. さいごに

議論のしかたのまとめです。
一通り読んでみると、今までの復習になるでしょう。

長くなりましたが、これで議論のしかたの補足を終わります。

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risoujansisisi132652 at 20:58|この記事のURLComments(0)TrackBack(0)

2007年07月17日

正しい議論のやり方 補足8

10. 感情論

感情論という言葉を聞くとどうしても「感情」が問題だと思いがちです。「感情論ではなく論理性を重視しろ」と言うと、無機質で暖かみがなく、つまらない机上の空論を思い浮かべがちです。そうではありません。
感情があるのが問題なのではなく、論理性がないのが問題なのです。

多くの日本人は「論理では伝わらない」「心をこめた感情は伝わる」と思っています。これが間違いのもとです。いくら感情を込めても伝わらないものは伝わりません  。
想いを確実に伝えるには言葉、もっと言えば論理によるしかありません。少なくとも議論の場はこういう前提にたっています。言葉の力をもっと信用して下さい。


10.1. 感情論とは何か

議論の場で「思う」「信じる」「好き/嫌い」というような主観的な言葉は使ってはいけません。代わりに「考える」や「である」を使って下さい。これらの言葉を使ってみると、「なぜなら〜」と理由を述べないと格好がつかない事がわかるでしょう。それに対して「思う」「信じる」には理由がいりません。だから客観的な議論には良くないのです。

感情論とは「自分の思った事だけを言い、理由を言わない議論」のことです。理由を言わないから他の人にわかってもらえないのです。そして他人が理解できない発言だから議論には有害なのです。


10.2. 感情的な発言

『Aさんの言い方は少しひどすぎやしないでしょうか?同じ事を言うにしても、もっと穏やかな言い方もあるでしょう。議論の場で感情的になるのはやめて下さい。』

議論では発言の内容だけが問題です。言い方は問題ではありません。だから、発言の内容ではなく言い方に対して意見をつけるのはルール違反です。
この場合、感情的になっているのは相手ではなくこの発言者の方です。なぜなら相手にはその気がないのに自分だけ感情を問題にしているのですから。感情論になっているのはたいてい「感情論だ!」と叫ぶ方なのです。

感情を問題にしてはいけないのは、それが理性的でなく反論の余地を与えないからです。「お前の意見で感情を害した」なんて言うのはちょっと肩を触っただけで難癖をつけるヤクザと一緒です。そんな人にははっきり言いましょう。「人の意見で勝手に感情を害するお前が悪い。そんなに人の意見を見るのが嫌なら議論に参加するな」と。上のような意見を言う人は議論の場から退場処分にしましょう。


10.3. 決めつけ

「勝手にそう思っているだけ」というのはその通りです。議論とは参加者が自分勝手に思っていることを言う場です。そんな当たり前のことをわざわざ言わなくてもよいでしょう。勝手な決めつけを意見として言うことができないとしたら代わりに何を言えばいいのでしょうか?私には見当がつきません。

人は「自分が勝手にそう思っていること」しか言うことができません。人は「正しいこと」を言うことはできず、「正しいと思っていること」しか言うことはできません。自分の発言が勝手な思い込みではなく普遍的に正しいなどと思うのは思い上がりです。


10.4. コミュニケーション不全

コミュニケーションとは人と人との対話であり、どちらか一方に問題があればコミュニケーションは成り立ちません。コミュニケーションが成立しない原因はもしかしたら相手ではなく自分にあるのかもしれません。相手はきちんと人の話を聞いて自説を修正しているのに、自分の方が勝手な思い込みで「自説を唱えるだけ」だと決め付けているのかもしれません。自分の方が悪いのかもしれないと考えずに、相手が悪いと一方的に決めつけるのはよくありません。

問題の根本は「コミュニケーションはとれて当たり前で、とれないのは悪いことである」という考え方です。コミュニケーションとはそんなに簡単なものではありません。人の意見を聞くというのは、自分の意見との落差が大きいほど難しいことです。しかし落差の大きい意見ほど聞く価値があります。価値のあるコミュニケーションほど難しいのです。

「人の意見を聞かなければならない」とその当事者に向かって言うのは、「俺の意見を聞け」という命令と同義です。議論の場では自分の意見を聞いてもらう必要はありません。意見など必要ないと思っている人に意見を押しつけるべきではありません。相手の意見を変えようなどと思うのはもってのほかです。あなたには人の意見を変える権利はありません。自分の意見を変えられるのは自分だけです。

自分の意見を相手に押し付けてはいけませんし、そんなことをする必要はどこにもありません。相手が望まなければ、相手が話し役であなたが聞き役の一方向でもいいのです。あなたは「自分ばかりいろいろと教えてもらってなんか申し訳ないなぁ」と思うかもしれませんが、相手がいいと言っていればそれでいいのです。

あなたがもしその人の意見を聞きたくないのなら聞かなければいいのです。もしあなたも相手も互いの意見を聞きたくないのであればそこで議論は終わりです。そして議論は終わりにしていいのです。無駄に議論を続ける必要はどこにもありません。


10.5. 言葉のウラを読む

議論では意見の字面だけが勝負です。「非難の意図はまったくない」と書いてあれば文字通り非難の意図はまったくないのです。そこに勝手に意図を読み取るのは単なる被害妄想です。

こういう人は例え本人が「いや、そんなつもりは全くない」と何度言っても勝手な意図の読み取りをやめようとしません。向こうが勝手に読み取って文句をつけてくるのですからこちらとしても何ともできません。「被害妄想」というのはそんなものです。単なる妄想なのですから。こういう人には「勝手な妄想だ」ときっぱり言いましょう。そして「どこから非難の意図を読み取りましたか?」と聞いてみましょう。そしてあまりにも続くようでしたら相手にしないことです。

もちろん自分が妄想に取り憑かれないように注意することは言うまでもありません。相手の言った事を自分の都合のいいようにゆがめず、その通りに受け止めましょう。発言の真意を考えてはいけません。


10.6. 曲解

相手が曲解していると思ってはいけません。なぜなら曲解する理由がないからです。あなたの意見をわざとゆがめて解釈しても相手には何の得もありません。だからそんな事はするはずがないのです。あなたの意見を正しく理解しようと必死なのですから、ありがたいと思って説明しましょう。

説明が理解できないという場合、多くは理由が抜けています。答よりそこに至る過程の方がずっと重要なのです。いくらいい事を言っても「なんとなく」とか「直観で」という理由ならその価値はゼロです。それはすなわち、その答が自分でも理解できていないという事なのです。


10.7. 謝罪要求

議論の場では謝罪要求はしてはなりません。もし事実誤認があるなら、「どこがなぜ事実誤認なのか」をきちんと説明した上で、「訂正要求」をしましょう。それを受ける側はもしそれが正当なものだと認めたなら、感謝の気持ちを持って訂正に応じましょう。そして発言はなかったことになるのです。

謝罪要求は発言の自由を奪うからです。


10.8. 謝罪教唆

「価値ある言葉」とは難しい事ではありません。強制されたものではなく自分の本心から出た言葉、自分で考えた言葉、自分が納得のいく言葉、つまりは自分の言葉であれば何でも価値があるのです。逆に、人から無理やり強制された言葉では価値はゼロなのです。無価値な発言を自分でしないのは当然として、それを他人にさせないようにしましょう。


10.9. まとめ

感情ほど不確かなものはありません。超能力者でない限り自分の感情をそのまま相手に伝えることはできませんし、相手の感情を知ることもできません。知ることができないはずの感情を勝手に決めつけ、それを一番良く知っているはずの相手に向かって言うところからトラブルは始まります。そこまではまだ許されます。それに対して相手が否定しても無視するのがいけないのです。自分の心の内は自分が一番良く知っているはずです。相手の感情を相手より良く知っている思い込むのは単なる錯覚です。

言葉の力と相手の熱意をもっと信用してください。感情などというあやふやなものを持ち出さなくとも言葉だけで十分伝え合うことはできます。感情を言葉にしなくても伝わるという事ももしかしたらあるかもしれませんが、少なくとも確実ではありません。言葉だけを考える方がずっと確実です。

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2007年07月15日

正しい議論のやり方 補足7

9. 詭弁

詭弁とは、間違っていることを正しいと間違って思い込まされるように書いた意見です。

9.1. 詭弁への対応

時には悪意なく単なる思い込みで同じような論理を使ってしまう事もあります。つまり、その意見が詭弁かどうかというのは言った本人の主観の問題であり、他人にはその意見が詭弁であるかどうかは断定できないのです。だから詭弁を非難しないで下さい。間違った意見には「間違っている」とだけ言えばいいのです。


9.2. 数を問題にする

議論に限らず「多数派だから正しい」というのは間違いです。これこそ数の暴力です。もちろん同様に「少数派だから正しい」というのも間違いです。

意見が正しいかどうかを判断するのはただ一つ、論理展開が正しくて納得できる理由があるかどうかだけで行います。


9.3. 言葉の定義の問題

ある言葉の意味が不明確な時は、誰しも自分の概念に格好良い言葉を当てはめたくなるものです。それは大いに結構なことですが、それで対立するのでは本質を見失ってしまいます。大切なのは中身であり、名前ではないのです。言葉の取り合いをする人がいたら、その言葉はあげてしまいましょう。


9.4. 辞書による言葉の定義

言葉を定義する時に辞書がよく引用されるのは、この定義が絶対だからではありません。言葉の定義文をいちいち自分で考えるのは面倒だから、既に誰かが書いたものがあったらそれを使ってしまえ、というだけです。そしてもし自分の表現したい概念が辞書に書いてある事とずれていたら、「辞書に書いてあることとは少しずれていますが、私はこの言葉をこんな風に使います」と自分で書いた定義文を提示すればいいのです。

言葉の正しい使い方なんてどこにもないのですから、言葉の使い方が正しくないなどとは言ってはいけません。ただ、同じ言葉が双方で違う概念を表しているより、同じ概念を表している方が議論はしやすいのも事実です。相手は「自分の意思で行動すること」という概念に「自由」よりうまい言葉を思いつかないでいるだけなのですから、もっとぴったりの言葉があったら提案してあげて下さい。


9.5. 比喩

比喩はよく詭弁のために使われます。これまで見てきたように、比喩それ自体は何も言っていませんし、理由も正当性もありません。意味も理由も正当性もないから、質問も反論もぶつけることができないのです。
比喩を使う時には、その比喩がなくても意味が伝わるように書きましょう。


9.6. 反語

反語というのは自分の主張と反対の内容を疑問文で提示することです。

反語は常識的に正しいと思われている事柄を無理やり認めさせるための手段です。普通の回答として書かれていれば、それに納得できない人は「その常識は本当に正しいのか?」と質問をするだけで済みます。しかし反語として書かれていると、それに納得できない人は「その常識は間違っている!」と言わないとその真偽を議論をすることができません。前者に対して後者は言いにくい発言です。だから「無理やり」認めさせる発言なわけです。

ただし、それが普通の疑問文なのか反語なのかは外見上では区別できません。結局のところ、文章を反語だと勝手に思ってしまうのは受け手の側の問題なのです。だから相手に「それは反語だからやめろ」と言ってはいけません。「これは反語じゃないよ」と言われるのがオチです。すべての疑問形の文を反語だととらず疑問だととればいいのです。


9.7. 一般論

「一般論」は真実そのものではありません。しかし間違っているわけでもありません。不完全なだけなのです。一般論と違う結論を提示することは一般論を否定するわけではありません。一般論の適用可能範囲を狭めるだけです。そしてそれはもとの一般論をより完全なものに近づけるための仕事なのです。

このように、一般論はそれ自体に矛盾がない限り否定することはできません。適用範囲がだんだん狭まっていくだけです。そしてそれが使いものにならないくらいまで狭まってしまった時、人はそれを「机上の空論」と呼びます。机上の空論は間違っているわけではありません。無意味なだけです。


9.8. 真の詭弁

あなたの論理は詭弁だ。
この言葉こそ、「詭弁」という章で話さなければいけない真の詭弁です。

「あなたの論理は詭弁だ」というのはどこか変です。間違っているのなら間違っていると言えばいいだけですから。

「間違った意見」と「詭弁」の違いを考えてみましょう。定義からすると、その違いは「受け取った側が正しいと思い込まされたかどうか」です。「正しいと思い込んだ」と「正しいと思い込まされた」の違いに注意してください。前者は受け取った人の責任で、後者は言った人の責任です。

「詭弁だ」と言うのは、相手の意見が間違っているという理由は何一つないんだけれど相手の意見を間違っていることにしたいという願望の表れです。これはつまり、「詭弁だ」と言うことによって、本当は正しいと思っている意見を正当な理由なく間違っていることにしたいという願望であり、これこそが詭弁なのです。

あなたの意見を相手が「詭弁だ」と言い出したら、冷静に、そしてやさしく見守ってあげるべきです。これは、あなたの意見を正しいと理解したけれど、それを自分で認めるのをなんとか拒否したいという願望の表れです。本当に思っていることに対して素直になる手助けをしてあげましょう。一番いいのは、思っていることを素直に書いてもらうことです。こう発言しましょう。

なぜあなたは私の論理を詭弁だと言うのですか?


9.9. まとめ

「結論をはっきりと言わない」というのは詭弁の手口の一つです。
発言の裏に本当に言いたい事があるにもかかわらず、それをストレートに言わないで相手に言わせようとします。そして言った相手を攻撃するのです。こうした手口に対処するには、相手に結論をストレートに言ってもらいましょう。相手の言いたい事を勝手に推測せず、「それで何が言いたいのですか?」と逆に質問しましょう。これは正しくは詭弁に乗らないための方法ではなく、議論がおかしな方向に行かないための方法です。それぞれが言いたい事をはっきり言い、そして相手の意図を勝手に推測しないようにしましょう。

詭弁のもう一つの手口は「厳密性を求める」というものです。
そもそも真実は厳密に言葉で表現できるものではないのに、「厳密に表現されていないからそれは真実ではない」と主張するものです。これに対しては「その通り。これは真実そのものではない。より真実に近いというだけだ」と言いましょう。真実そのものでなければ意味がないというわけではありませんし、真実というのはこれだとはっきり言えるようなものでもありません。


詭弁にはいろいろな種類があります。
詭弁にだまされてしまうと、正しい議論ができなくなってしまいます。
いろいろな対処法があるので、詭弁にのらないように注意しましょう。

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2007年07月09日

正しい議論のやり方 補足6

6. 意見の述べ方

7. 結論の種類

どの項目も説明なしで理解できると思います。
特に補足の必要もないかな。


8. 良くない意見
8.3. 一般的な意味

すべての反論は「それは一般的ではない」と言えばはね返されてしまいます。
だからその言葉は使うべきではないということですね。

もしあなたが「カラスは黒い」を必死に議論すると変な方向に行ってしまうと思うのなら、あなたが本当に議論したいのは「カラスが黒いかどうか」ではないということです。だからカラスが黒いことを相手に認めさせようとするのではなく、「この先はカラスは黒いものとして扱います。それが正しいかどうかを議論するつもりはありません。」と宣言すべきです。


8.4. 名指しでの回答要求

答えるのは大変な作業でしかもボランティアなのですから、議論では答えるのも答えないのも自由です。質問は必ず参加者全員に対して行われます。だから、上の例ではAさんでなくとも誰でも質問に答えることのできる人は答えていいですし、Aさんが答える義務もありません。
ついでに言えば、参加者はいつでも「逃げ」ていいのです。議論は自発的なものであり、強制されるものではありません。

ネットにおいては、2ちゃんなどの掲示板に関わらずブログのコメントの質問にも、誰が答えてもいいのです。
誰が答えるかではなく、どのような意見が交わされるかが大事なのです。個人ではなく主張が大事なのです。
もちろんブロガー本人に個人的に聞きたい場合は、それをお願いすればいいのです。

なお、議論では問いに答えない事は元発言の否定ととられます。つまり、Aさんが答えないで「逃げ」たら、Aさんは元発言を撤回したということです。


8.5. 例

例というのは補助的なものですから、例について意見を言ってはいけません。例について意見を言えるのは明らかな事実誤認だけでしょうが、それも場合によっては許されます。
例に求められるのは正確さや厳密さではなくわかりやすさだからです。わかりやすさを優先しようとすると厳密さが失われます。わかりやすさを重要視する「例」では、厳密でなくなる事、つまり正しさが失われる事は仕方のない事です。

例に「その例は正しくない」と言うのは意味のない事です。そんな事は当たり前であり、例は正しくなくてもいいのです。例ではなくそれが例えているもともとの意見に「正しくない」と言わなくてはなりません。

もちろん「その例ではわからない」という意見はあり得ますが、それは「例をもっと下さい」という意味であって「その例はダメだ」というわけではありません。


8.7. 価値相対主義

『なんでそんな事で言い争っているんだ。そんな問題に答が出るわけはないだろ。人それぞれって事でいいじゃん。それ以上言いようがないだろ?もう議論なんておしまいにしようよ。』

その姿勢の根拠となっているのが「人それぞれって事でいい」という言葉であり、それはなぜかというと「答えは出ないのだから」という価値相対主義に行きつきます。そこまでは (まだ)いいのです。そこから「議論する意味がない」と言い出すから問題なのです。

議論というのは他人の意見を理解するという行為です。そして他人を理解しようという要求にはできるだけ応えなくてはなりません。「俺の意見にはお前には理解できない。お前の意見も俺には理解できない。結局のところ皆が理解できるような意見なんてないのだから、理解しようという努力は無駄なのだ」という態度は議論ではあってはなりません。

冒頭の発言は一見すると人の意見を認める発言に見えますが、実は人の意見を拒絶する発言なのです。議論の場では双方が納得するまで徹底的に意見を交換して下さい。その努力は決して無駄ではありません。

「人それぞれ」というのが間違いなのではありません。「人それぞれということで議論は終わり」というのが間違いなのです。「人それぞれ」というのは議論の終着点なのではなく、議論の出発点なのです。

これは相対主義とは違います。いっしょにしないように気をつけてください。価値相対主義は行き着くところ、「虚無主義」にしか行き着かないのだと思います。

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risoujansisisi132652 at 22:10|この記事のURLComments(0)TrackBack(0)
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