リストランテ アモーレ「万眼の魚鱗」

東京は乃木坂にあるイタリア料理の奇才・澤口知之が放つ、イタリアンを提供する<リストランテ アモーレ>RISTORANTE AmorE。うまい料理はもちろんだが、ここは文化の欠片を見つけたり、雑学がシェフの口から、そしてそこかしこに隠されたもう一つの顔を持っています。そんな一面をマナーやお店のパンキッシュな姿勢とともにご紹介するブログです。語り部は写真を撮るRay and LoveRockが主に担当します。もちろん、シェフ澤口、また店のもうひとつの顔KUBOKIも参加。一体どんなことになるのやら。

メニューはないわ、タバコはオッケイだわ、まさに反逆のリストランテ。だがシェフは感動なまでに知己、稚気、痴気に富んだ、人間としてもコクがあり、奥深い人。料理の話はもちろんだけれど、旅行、建築、ロック、映画、文学……、語り部の私が知らないこともたくさんある懐深く、体は重くな人。 他店と違うことは別に悪いことじゃない。人をひきつける魅力溢れる澤口をいろんな視点から覗いてみようというものである。

愛する人のモノラルな声。

 〜〜〜少しだけ、その事実を受け入れることができたのかもしれないし、まだ、何も受け入れていないのかもしれないけれど、あの人を愛した人たちと、あの人が愛した人たちと、何かを共有したいと思い、小さな文章を書いてみました。

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 あの声はもう、ステレオでは聴けない。モノラルの声だけがぼくの耳に木霊のように、何度となく訪れては消えていく。

 

 「お前よぉ〜〜」

 声がいまでも聴こえてくる。

 「だからさぁ〜〜」とか「だいたいよ〜〜」なんて言葉で始まる会話。

 自分の知識と経験をすべて動員させて、まるで全速力で聴くものに語りかけてくる。料理と料理の合間、少しでも隙ができると近くに寄ってきてくれて、何かを残していく。時には音楽のようにサウンドとして耳に残ることもあった。でかいケツがカウンターの上に臼のように置かれ、片手にはワインかビールかを持っている。ハイライトはマストだ。

 「ふざけんなよ!」とか「てめえはさ〜〜」なんて言葉で始まる罵声。

 店中に響き渡り、食事をしている、もしくは酒を嗜んでいるすべて客がびっくりし、そして、いづらくなったりもした。

 だけれども、今ではその心臓をぐっと握りつぶされたような声もステレオではなく、モノラルだ。

 

 聴こえてくる。聴こえる。

 

 そして、何度となく官能の極みに連れて行ってくれた、あの料理を思い出す。

 すべての料理は記憶という中で生き続けているのかもしれないが、今となってはすべてがモノクロームと言えばいいのか? はたまた二次元と言えばいいのか? 立体感を失った塩気の強いあの料理は味覚を、嗅覚を、視覚を、聴覚を、触覚を、それ以外のすべての「感じる機能」を刺激することはもう二度とない。

 ブルース・リーの「DON’T THINK,FEEL!」は名言だ。特にアートや、それに準ずるクリエイティブを表現するのに、こんなに万能な言葉はない。

 あの料理に対する表現もまた、「FEEL」しかなかったのだと思う。

 ぼくらの舌を刺激することはやはりないのだ。

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 あの店がなくなって、あれから、ぼくは会っていない。その姿を二次元では見ることができるけれども、もう、でかいケツも出っ張った腹も、悪ガキが笑うような笑顔も、すべてはこの視覚を満足させるものではない。

 

 どうして、もっと会っておかなかったんだろう? もう会えなくなるなんてことを考えたこともなかったわけではない。人から体のことも聞いていたのに。

 二度と会えなくなるなら、どんなに嫌われようと会っておくべき人は誰でも数人はいるはずだ。そして、会うことでさまざまなわだかまりも解決されることだってあるはずだ。そんなことを教えてくれたのだろうか? その前にあなたに会いたかった。教えてくれなくてもいいから、会いたかった。

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 あの声はモノラルのように、立体感を失って、聴こえてくるようだ。

 あの姿は薄っぺらい写真のように、重層感を失って、見えてくるようだ。

 あの料理はデジタルで記録されたデータのように、記憶の靄をくぐり抜けて、味わうしかないのだ。

 

 すべてを失ったのはぼくだけではないはずだ。

 大切なものを失う辛さを、だけれど、経験してきたあの味をすべての人と、頭の中だけで共有する、とてもアナログなことを感じたい。あの人を愛したすべての人と。あの人が愛したすべての人と。






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元気にさよなら。

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 ありがとう。 

 そんな言葉しか思い浮かばない。

 そして、さよなら。また逢う日まで。

 具体的なことをいちいち書くまでもなく、「アモーレ」には文化がある。優良とは言えないかもしれないが、きちんとした“大人の不良”が集まる、質の高いサロンなのだ。

 かつて、パリのカフェ「SELECT」にマン レイやマルセル デュシャンら壮々たるメンバーが集ったように、「アモーレ」にも日本を代表する才能が夜な夜な語り合っていた。

 歴史は夜つくられる。

 食という素晴らしき文化に、酒という文化、そして、人と人が交わることが文化なのだというであるならば、まさしく「アモーレ」こそ文化なのだ。

 あまり、多くを語る立場ではない。

 だから、もう一度だけ。

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 ありがとう。

 

 今夜か、はたまた明日の朝になるのか。またひとつ、東京の文化の灯が消える。

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「5」とか「1」とか「3」とか「9」。

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そんなわけで、シャネルのNo.5です。そして、<リストランテ アモーレ>のホームページはhttp://ristorante-amore.jp/です。

 ジョン・レノンのラッキーナンバーは「9」だったという話を聴いたことがある。誕生日が109日だったから、そこから導かれた数字だと。ビートルズの曲「Revolution9」も、そんなジョンのラッキーナンバーからとったのであろうということは想像に難くない。

 レコードの特性を活かして、――レコードの最後の曲が終わるとレコード針がずっと同じ溝をなぞり続けて、「プッ」と引っ掛かるけれど、また同じ溝をなぞる現象――ビートルズは永遠に続くリフレインを試みているが、そのリフレインこそが「Number nineと言っている。

 想いの強さが伝わるエピソードだと思う。

 ぼくは15日に生まれ、生まれた時刻も朝の55分だった。昭和でいうと39年(もちろん西暦なら1964年のだが)なので、子どものころから、奇数のほうが偶数より好きだったりする。――子どものころ、「偶数と奇数、どっちが好き?」と問われ、「奇数」と答えると「キスが好きなんだ~」などといわれて恥ずかしかった記憶もあるが――しかも、7以外の奇数はすべからく誕生日を決定付ける数字のなかに入っているせいか、これまた子どものころから7をラッキーと思ったり、ラッキー7にやたらと思い入れたりすることはなかった。――とはいえ、高校時代に777を揃えるパチンコが流行り、ある方法で出ることが判明し、パチンコ屋に入り浸っていたときは「7」がすごい数字に思えたのだけれど――

 結論みたいだけれど、ぼくのラッキーナンバーはあくまで「5」であり、控えのメンバーは139なのである。

 そんな数字に何が? といわれそうだけれど、験を担ぐのだって、まあ悪くないと思うのだ。

 銭湯に行ったり、靴を脱ぐ居酒屋、傘立てなど、番号札があるところでは、5番、もしくは55番を探す。55は松井秀喜選手の背番号というセンもあるが、単純に5が好きだからということも否めない。そういえば、ずっと昔、ジャイアンツにいた黒江選手が好きだったのは単純に背番号が5番だったから、という気がしてならない。もしかすると、マリオ・アンドレッティが好きだったのもロータスであること以上に5番だったからかもしれない。

 5番が使用中だと、9を探す。これは、ぼくの大好きな友だちが、かつてデザインをしていたブランド名に由来する。そして、そのルーツは少なからずビートルズの、そしてジョン・レノンの「9」が関わっていた。

 そのあとは1番。これはジャイアンツの選手時代の王貞治さんが好きだったから。そして、3番、長嶋茂雄さんへと気持ちは行くわけです。

 そんなわけでアンディ・ウォーホルの「CHANEL No.5」も好きです。5番街という言葉にも親しみを感じるし、5レンジャーやガッチャマンの5人組。――だからといって、4人組のバンドも好きなんですが――そして、5人でするバスケットボールを(一応)やっていたのもなんだか繋がってくる。

 「5」というのは、半分という感じがするのもなんか好きだ。50%をイメージするし、5自体は素数なんだけれど、ぼくのなかではどんな数――それはたとえば3であっても――でも割ってしまう、そんなジョーカーみたいな数字に思えるのだ。

 

 さて、われらが<リストランテ アモーレ>のシェフ澤口知之氏も35日が誕生日である。奇数が好きな気がしてならない訳だが、5をラッキーナンバーと思っているかどうかは訊いたことはない。

 まあ、あの澤口さんのことだから、「1だの3だの5だの、小さいこといってんじゃねぇよ。ま、それでお守りみたいになるなら、好きにすれば良いけどよ」ぐらいでかわされそうだけれど。

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