2016年07月03日

歌舞伎?
ふーん、よくわからん。
などと、軽く流すなかれ。

誰もが教科書で習った
征夷大将軍・坂上田村麻呂と
暗い過去と一族の運命を背負った
蝦夷の族長・阿弖流為が
守るべき民を思い、
従うべき神を仰ぎ、
貫くべき義をかざし、
持てる力の限りを尽くしてぶつかりあう。

そのストーリーがまず良い。

時代も背景も全く異なるとはいえ、
英国EU離脱の件が少々
脳裏に浮かんだりもします。

セリフはほぼ現代語なのでお気軽にどうぞ。

美しい衣装、壮大な音楽、
当代歌舞伎役者たちの見得の出血大サービス、
息を飲む鮮やかな殺陣シーンの連続も見どころ。

劇団☆新感線ならではのギャグも多々あります。
(私はそこまで必要と感じないのだけど。
 劇場でおばあさまたち大喜び)

歌舞伎を観てきた人にとっては、
隋所で切られる見得はもちろん、
立ち回りの途中に突如
スローモーションで魅せる部分や、
荒覇吐との戦闘シーンでの
所謂「馬の脚」の見事な動き、
荒事の目玉・飛び六方、
豹変前後の隈取りの変化
あたりがぐっとくるところでしょうか。

そしてなにより主演役者たちの
命を削らんばかりの演技。

偉大な父や先輩たちの背を見ながら
幼いころから芸を叩き込まれてきたであろう
御曹司3人の美しい所作、
鍛えられた体幹、緩急自在の発声、
故・勘三郎を彷彿とさせる間の取り方、
人を食らわんばかりの表情が、
大スクリーンで惜しげもなく
披露されています。

「背負ったものの重さが違う」
劇中の阿弖流為のセリフですが、
彼ら3人にも言えることなのでしょう。

2012年、染五郎が演目中に
奈落に落ちて大怪我をした際、
額や鼻から血を流しながらも
まだ舞を続けていた、
という記事を読んだことがあります。
この演技を見てしまうと、
それも想像に難くないことだなと。

脇役たちも、間の取り方、
呼吸の置き方、身のこなしが
そこらのヘボ役者とは
(比べるのも失礼ですが)
格段に違います。

身のこなしで言うと、
真田広之もアクション俳優
かつ日本舞踊名取なので
普通の役者よりずっと美しいんです。
陰陽師』『必殺4 恨みはらします
などでご堪能ください。
と突然真田さんアピールも
少ししてみたりして。

平日観るなら東劇で18:40から。
少々長丁場ですが、ご都合のつく方、
ぜひぜひお運びください。



予告では熱が1%も伝わらないのが残念。
見栄はもっとずっと凄みがあります。

「逃がすかよ」
「確かにこの血が騒いでやらぁ」
「わが名を問うか」
「口ばっかり」
「わが身この地にありわが心この民にあり」
「北の悪鬼が恐怖の炎で
 燃やし尽くしてくりょう(くれよう)」


river_no_return at 18:19 

2013年02月25日

 未来を望まない人たちは、
 反省しなければならぬ。
 進歩にたいして否と言うとき、
 彼らがとがめているのは、
 未来ではなくて自分自身である。
 彼らは我が身が憂鬱病だと思っている。
 過去に感染しているのだ。
 明日を拒むには、
 ただひとつの方法しかない。
 つまり死ぬことだ。



ミュージカル第1幕
最後の曲です。

原作にはない
ミュージカルのみの名場面。
お味噌汁が沸騰し具が踊ります。

バルジャンは
一生ジャベールの影におびえ
逃亡しつづなければならない
自分の暗い運命と対峙し

コゼットとマリウスは
やっと出会えた運命の相手と
離れ離れになる辛さを

エポニンは
片思いの切なさ虚しさを

アンジョラスは
自由への第一歩を
市民とともに踏み出さんと
目を輝かせ鼻息を荒くして

再びマリウスは
コゼットへの愛と
尊い使命との間で揺れ動き

ジャベールは
不穏な学生の動きを察知し
警戒を強め

ティナルディエ夫妻は
騒ぎに乗じて
一儲けしようとたくらみ

民衆はただただ
来るべき明るい時代を
待ち望んで

各々の
明日への思いを歌い
ばさばさと赤い旗が舞って
高揚感MAXで前半終了。

映画版の
“My place is here”が
すごく好きです。

「美しすぎる母」「ブーリン家の姉妹」
で目をひいたEddie Redmayneの
孤独感と上品さと内に秘めた熱さと
どこか浮世離れしていて若干
気持ち悪い雰囲気のバランスが
絶妙だと思います。

エポニンのさらし巻きも切ない。
帽子をかぶるタイミングも
かぶり方も表情も完璧でした。

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river_no_return at 08:00 
Les Miserables 

2013年02月24日

 誰かのために何かを
 したいと思えるのが
 愛ということを知った

   雪の華 / 中島美嘉


危険を察知したエポニンは
身体を張ってマリウスを守ります。
片思いの威力を軽んじるべからず。

守られた側のマリウスが
自分勝手に慌てふためくシーンは
何度見ても失笑です。ダサすぎ。

マリウスを隠すため
バルジャンに嘘をつくコゼットも
自己中でわからんちん。

映画ではこの辺
ちょうどよくカットされていましたね。

一方、
事態を勘違いしたバルジャンの叫び
「Must be Javert!」は
悲痛すぎて笑えません。

長い間ずっと
自分の過去の罪を背負ってきた。

最愛の娘を
悲しませているのも知っていながら
言葉にすることができず
たったひとりで抱えてきた。

いまでもまだ
こんなにも脅えている。

最初、バルジャンがマリウスに
過去を告白して姿を消す
『Valjean's Confession』をみても
いまさらそこまでする?と
解せなかったのですが
身分を隠して脅え暮らす毎日がいかに孤独か
そんな状況でコゼットを守るために
いかに神経をすり減らしてきたか
をこの叫びから考えてみると
あの選択も腑に落ちます。


---

不穏な空気を察したエポニン。
振り返ると、捕り損ねた獲物を狙いに
バルジャン宅へやってきた
ティナルディエ一味がいた。

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river_no_return at 12:40 
Les Miserables 

2013年02月20日

 誰かの願いが叶うころ
 あの子が泣いてるよ
 このまま僕らの地面は乾かない

   誰かの願いが叶うころ
      / 宇多田ヒカル


マリウスとコゼットが愛を語りあえたのは
ミュージカルではたったの一晩でしたが
原作では6週間の間、毎晩
マリウスがやってきます。

ふたりはただ見つめあい手を重ね
語り合うだけのピュアな関係でしたが
その辺の描写が私にはかゆいかゆい。
勝手にやってておくんなせぇと言いたくなる。

けれどそのかゆかゆ状態の二人の傍で
複雑な思いを抱えるバルジャンと
エポニンを効果的に描くために、
でれでれかゆかゆシーンがあるのだ
と理解し、耐えます。

細かい話ですが
日本語版ミュージカルの歌詞で
この曲一番の見せ場である
ラスト三重唱のエポニンのセリフ
"He will never feel this way "の部分が
「夢なら消えた」になっていて
一体どこからそんなセリフがきたのやらと
不思議に思っていたんですが

"He was never mine to lose
Why regret what cannot be?"を
もともと夢でしかなかったものだけど
今、その夢すら消えてしまった、と意訳して
コゼット&マリウスの
"Not a dream after all"
「夢ではないよ/夢ではないわ」
と合わせて最後にもってきたのか
となんとなく納得しました。

でもこのあと『On My Own』で
夢とわかりつつ夢をみて
そんな自分にノリ突っ込みして
決意するシーンがありますので
この時点ではまだ夢は
消えていないのだと私は思う。

むしろ「夢はやっぱり夢だったのね
知ってたけどさ」くらいの心境なのだ。
(なぞの断言)

ちなみに同じ箇所の
映画版字幕は「彼は消えた」
それはさすがに変でしょう。

細かいけれど
ニュアンスを変えてしまう差異が
他にもたくさんあるので
英語の歌詞もぜひ知ってほしい
と思う次第です。


---

エポニンの手引きで
ついに再会できた二人。
草木の生い茂る神秘的なお庭で
思いの丈を語らいあう。

夢見がちマリウスの
浮ついたセリフに対する
コゼットの返しがいちいち
一枚上手(うわて)だと思います。
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river_no_return at 22:16 
Les Miserables 

2013年02月17日

当初、ふわふわした服を着た
苦労知らずのコゼットちゃんの
甲高い声が気に入らなかったのもあり
エポニンの切ない台詞以外は
あまり印象深いシーンではなかったのですが
バルジャンとコゼットの関係を語る上で
大事なシーンです。

まずはミュージカルで
省略されている部分を
補完してから進めます。

修道院に逃げ込んだ
バルジャンとコゼットは
そこで5年間暮らした後
フォーシュルバン爺さんの
死を機に修道院を出て
パリ市内で暮らす。

バルジャンが
身を隠すのに最適な修道院を
出ていく決意をしたのは
コゼットのため。


 この修道院があの子と俺の世界になり、
 俺は年を取り、あの子は成長し、
 あの子が年を取り、俺が死ぬのだ。
 思っただけでうっとりすることだが、
 二人が別れるなんてことはあり得ないのだ。
 こんなことを考えているうちに、
 彼は困惑に陥ってしまった。

 彼は自分に尋ねてみた。
 こうした幸福が
 果たして自分のものだろうか。
 他人の幸福を犠牲に
 しているのではないだろうか。
 あの子の幸福を、
 俺のような老人が横取りし、
 盗むことにならないだろうか。



パリでもしばらくの間は
修道院と変わらない
穏やかな生活が続いた。
コゼットは父を敬愛し
父を労わった。

しかし、変化は訪れる。
コゼットは美しく成長した。
バルジャンは彼女を失うのを恐れ
修道院から出たことを後悔した。


 次第にこの娘の
 全身を包むようになった、
 思いがけない輝きは、
 ジャンバルジャンの
 暗い目を傷つけた。

 その美しさが、
 自分のそばで、目の前で、
 子供らしく無邪気だが、
 恐ろしい顔の上に、
 ますます誇らしげに、
 見事に開花するのを、
 自分の醜さと老年とみじめさと
 刑罰と落胆の奥底から、
 怯えたように眺めていた。



公園で見かける
青年マリウスの視線に
バルジャンは気付いていた。
激しい嫌悪感を覚えた。

引っ越しをし
マリウスのいる公園にも
行くのをやめた。

貧しい身なりだが
少しの孤独感と知性と
上品さの漂うマリウス青年に
コゼットも密かに恋をしていた。
その思いを隠してはいたが
彼に会えなくなってしばらくすると
顔色が青ざめていった。


 忍ぶれど色に出にけりわが恋は
 ものや思ふと人の問ふまで
   
       / 平兼盛


バルジャンが
どうした?と尋ねると
どうもしないわ。と答え、
逆にバルジャンに聞く。
お父様こそどうかなさったの?
どうもしないよ。
バルジャンも答える。


 以前はあれほどひたすら、
 切ないような愛情で愛し合い、
 長いこと頼りにしあって
 暮らしてきた二人が、
 いまは互いに身近にいて、
 互いに原因となりながら、
 口には出さず、恨むことなく、
 微笑しながら、苦しんでいた。



映画版は共感を最大限
引き出そうという目的でしょうか
miserablesの姿や革命の炎や
おっさんの信念バトルよりも
バルジャン→コゼットの“愛”を
誰の目にもわかりやすいよう
前面においてきたなと感じました。

何故そう感じたかと言うと
ミュージカルでは省略されている
前述の描写の代わりに

・コゼットを引き取った直後に
 馬車の中でバルジャンが歌う
 新曲「Suddenly」を追加

・バリケードにいるマリウスから
 コゼットあての手紙を読んだ後の
 バルジャン「ぎゃー盗られる!」
 というセリフを追加

・バルジャンが去ったことを知った
 コゼットの「パパが私を
 悲しませるはずがない」
 というSuddenlyのリフレインを追加

することによって
バルジャンにとってコゼットが
如何なる存在だったかを
強調しているようにみえたからです。

(しつこいですが、それなら是非
 水汲みのバケツを持ってあげるシーンで
 ぜひあの二重唱をしてほしかった。
 らーらーらららららららー♪)

そういうわけで映画を観る前
配給会社が打ったキャッチコピー
“愛とは、生きる力”をみて
そういう話ちゃうやろ、と
白目になりましたが
観てみたら確かに映画版は
そこに力点をおいていたかなと。

ちなみに米国でのコピーは
“Fight. Hope. Dream. Love.”
こちらのほうが主要テーマを
あまねくすくえていると思いますが
日本ではFightやDreamよりも
Loveを前面に出すほうが売れるという
お国柄をみての判断なのでしょう。

「共感を最大限に引き出そうという目的」
で加えられたと思われる気になる変更点が
ここ以外にもいくつかあったので
またその場面になったら書きます。

しかし映画版のお父さん
胸板厚すぎ色気ありすぎで
くらくらしたのは私だけでしょうか。

---

騒がしくなるパリのことなど
露知らないコゼットちゃん。
マリウスと目が合った瞬間を
ひとり思い出して頬を赤らめる。

出だしは母Fantineが歌った
『I Dreamed A Dream』のイントロ
“There was a time when
 men were kind〜”と同じです。

まさにその
A time when men were kind
の時期にあるコゼット。
マリウスがいい子だったから
よかったものの。
紙一重じゃないの。
と思わずにいられない。

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river_no_return at 22:29 
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