旅途愉快の「一乗一会」

本日もご乗車ありがとうございます。 当ブログは「乗り物」との思い出のアルバム作りです。 ブログの内容は趣味の鉄道や飛行機など乗り物がメインの旅行記ですが、たまたま出てきた「乗り物」の写真・動画なども載せています。 とにかく昭和の電車・気動車が大好き。 更新が滞ったり、コメントのお返事が遅れたりしますが、どうぞ宜しくお願いいたします。 なお、ブログページ表示完了まで少々お時間がかかる場合がありますのでご了承下さい。

2016年10月 北の鉄路 3(札沼線 その1)

         
さて、翌日。
この日は札沼線と留萌本線を中心に乗り回します。


まずは、札沼線から。

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札沼線は札幌の隣の桑園から樺戸郡新十津川町の新十津川を結ぶ76.5 kmの路線です。

1931年(昭和6年)10月10日国有鉄道札沼北線として、石狩沼田~中徳富(初代)の34.9km が開業したのが始まりで、その後北側から札沼北線として、桑園からは札沼南線として延伸して行き、1935年(昭和10年)10月3日に石狩当別~浦臼の36.8kmが延伸開業して、桑園~石狩沼田駅が全通。札沼北線を札沼南線に編入し、桑園~石狩沼田を札沼線に改称しました。
太平洋戦争が激しくなると、不要不急線として、1943年(昭和18年)10月1日から1944年(昭和19年)7月21日にかけて石狩当別~石狩沼田駅間が休止され、道路に転用されていました。
1956年(昭和31年)11月16日までに全線での運行を再開したが、遅すぎた復活とモータリゼーションの萌芽もあって、この休止区間の営業成績は振るわなかったのです。

字のごとく、「札沼線」は札幌駅と、かつて終点だった留萌本線石狩沼田駅から一文字ずつ取ったものですが、1972年(昭和47年)6月19日に「赤字83線」に認定された新十津川~石狩沼田が廃止になっています。
「札沼線」の字の如く、札幌と石狩沼田を結ばなくなっていたことと、沿線に北海道教育大学札幌校や北海道医療大学など学校が数多くあることから、1991年(平成3年)3月16日より学園都市線という愛称が付けられます。

路線としての起点は桑園駅ですが、全列車が桑園から函館本線へ乗り入れ、1駅隣の札幌駅を運転系統上の起点・終点としています。札幌~桑園には函館本線の複線に並行して、札沼線専用の単線が敷設されています。

桑園~ 北海道医療大学は札幌都市圏の通勤・通学路線として機能しており、JRの地方交通線では列車本数・利用者数とも比較的多く、IC乗車カード「Kitaca」の利用エリアともなっています。


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(1986年8月札幌駅で撮影)



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(1996年3月札幌駅で撮影)

かつての札沼線と言えば、全線非電化の路線で、運転本数も今ほど多くありませんでした。
私なんかは上の「タラコ色」のキハ40がのんびりと走る都市路線のイメージ(札幌駅の地上駅時代も懐かしい)でしたが、札幌都市圏の沿線開発により、乗客も伸び、桑園~北海道医療大学は2012年(平成24年)6月1日にはこの区間が交流電化され、同年10月27日からは新十津川方面との直通列車が気動車で残る石狩当別~北海道医療大学を除いて、すべて電車による運転となっています。

今回の札沼線の乗車はこの電化区間ではなく、非電化のまま残された北海道医療大学~新十津川の乗車が目的です。
列車本数・利用者数とも少ない閑散区間であり、単行(1両編成)の気動車列車が走るローカル線となっていて、2012年10月27日のダイヤ改正以降、石狩月形・浦臼・新十津川方面へ向かうすべての列車が石狩当別駅発着となり、札幌~石狩当別とは完全に系統分離されています。
2016年(平成28年)3月26日時点では、1日あたり石狩当別~浦臼が6往復と朝6時台・夜19時台・21時台に石狩当別~石狩月形駅間下り2本・上り1本が運行されており、しかも浦臼~新十津川は1日1往復のみの運行になってしまいました。
これにより、鶴沼~新十津川において当路線を利用した浦臼方面の日帰り往復が不可能になるため、地元住民の利用がほぼ皆無になることから、路線の存続が危ぶまれる状況になっています。

この区間は単行(1両編成)の気動車列車が走るローカル線となっていて、1 km当たりの1日平均利用者数を示す輸送密度は2013年(平成25年)度時点で、札幌側の桑園~北海道医療大学が17,023(人/キロ/日)に対し、末端区間の北海道医療大学~新十津川駅間は81(人/キロ/日)であり、これはJR北海道管内では最低。
そして、新十津川駅から函館本線・根室本線の滝川駅までの間は石狩川を挟んで約3kmしか離れておらず、北海道中央バスの路線バスなどを利用することで連絡可能です。そもそも石狩当別~石狩沼田駅間は「近接して並行路線(函館本線)があるため代替輸送が可能な路線」として戦時中は列車の運行が休止された経緯があり、バスを利用した場合、新十津川町内から滝川駅まで10分、浦臼駅から函館本線の奈井江駅まで20分で連絡できるため、利便性がはるかに上回る函館本線の列車を利用して札幌方面に向かう町民が多いのが実情となっています。


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そんな中、2016年(平成28年)11月18日、JR北海道は厳しい経営状況を理由に「自社単独で維持することが困難な路線」として、10路線13区間を発表。札沼線のうち、桑園~北海道医療大学はJR北海道単独で維持可能としている一方、北海道医療大学~新十津川駅間は輸送密度200人未満の線区として「自社単独で維持することが困難な路線」として、『持続可能な交通体系とするためにバス等への転換について地域の皆様と相談を開始します。』とされ、路線を廃止しバス等へ転換することを沿線自治体と協議することとなっています。


昔(もう20年以上前)に乗っていますが、こんな状況ですから、もう一度乗ってみようと札沼線に赴きました。



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5時半にアジトをチェックアウトしまして、早朝の札幌駅にやってきました。



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今回はこの切符を使いました。
「秋の乗り放題パス」7,710円。
「秋の乗り放題パス」は、「秋の青春18きっぷ」ともいわれる存在。「秋」に普通列車が乗り放題になる切符で、10月14日の「鉄道の日」にあわせて発売されます。
日本全国の旅客会社鉄道線(JR線)の普通・快速列車の普通車自由席およびBRT(バス高速輸送システム)ならびにJR西日本宮島フェリーが連続する3日自由に乗り降りできます。
かつては「鉄道の日記念・JR全線乗り放題きっぷ」でした。



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6:21発の石狩当別行531M。
車両は731系の6両編成。札沼線の始発電車です。

この2本後の電車でも札沼線末端区間の1日1往復の石狩当別発7:45発新十津川行5425Dに間に合いますが、とりあえず、この電車で石狩当別へ向かいます。



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6:21、札幌を発車。
函館本線と並行して走ります。
札幌発車時点では私の乗った車両は5人ほどのガラガラでした。




(桑園→新琴似 前面展望)


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桑園~新十津川配線図 (「配線略図.net」、https://www.haisenryakuzu.net/より)


札沼線の起点は桑園です。
桑園を出ると函館本線と別れて右に大きくカーブします。桑園駅より北上します。
暫く進むと八軒に到着。
札幌~八軒は単線でしたが、八軒~あいの里教育大までの11.4Kmは複線になります。新川~ 新琴似では札樽自動車道の高架橋のさらに上をまたぐ高々架となっています。

高架線を進むと新琴似に到着。
1999年(平成11年)8月22日に新川~新琴似の高架化に伴い高架駅となりました。

新琴似という地名は、1887年(明治20年)に入植した屯田兵の新琴似兵村に由来します。兵役終了後、新琴似兵村部落会が札沼線敷設に際して駅を置くよう運動して、新琴似駅が設置されることになりました。駅設置当時の村の中心は北西側で、周辺は農地でした。後に工場が進出しましたが戦後に閉鎖、移転してなくなりました。1978年(昭和53年)に札幌市営地下鉄南北線の麻生駅ができた頃から宅地化が急速に進み、一帯は全面が市街地になりました。

かつては駅東南約300mに札幌市電鉄北線(てつほくせん)の終点である新琴似駅前停留場が設置されていましたが、札幌市営地下鉄南北線の麻生駅延伸を待たずして廃止されています。
なお、札幌市営地下鉄南北線麻生駅は南東に約500m離れた所にあります。
長時間運転を見合わせる事象が発生した場合、JRの乗車券所持者に札幌市営地下鉄の乗車券を配布する代替輸送を開始して、地下鉄南北線麻生駅からの乗車券を配布することとなっています。

高架区間は新琴似で終了新琴似を出ると地上に下ります。
高架区間終了後も区画整理・造成が盛んな札幌市北区の住宅街を通過して行きます。



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6:45、あいの里教育大に到着。
八軒から続いた複線区間もここで終了。この先は単線区間になります。

この時期になると北海道は朝晩の気温差が大きくなり、靄が発生して視界が悪くなりました。

あいの里公園~石狩太見ではJR北海道では最長 (1,074 m) の石狩川橋梁で石狩川を渡り当別町へ入ります。石狩川橋梁の旧橋は現路線より下流側にありましたが、2001年(平成13年)に上流側の現橋に架け替えられています。

この石狩川を境にして石狩当別駅までは札幌近郊の住宅地や農地などが続き、北海道らしい景色になります。



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前方にはこの列車の終着の石狩当別駅が見えてきました。
6:59、石狩当別に到着。



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石狩当別では札幌方面と新十津川方面の列車の運行系統が分かれます。
電化区間はこのひと駅先の北海道医療大学までで、札幌からの電車が行っていますが、北海道医療大学より先の新十津川方面は非電化ですので、キハ40による気動車での運転になります。
拠点駅がここ石狩当別ですので、非電化区間のキハ40はここを始発・終着としています。

531Mの到着の反対側の3番線には2両のキハ40がスタンバイしていました。
しかし、2両のキハは切り離された状態で停車しています。

はい、前の1両が7:02発の5423D浦臼行、後ろの1両が7:45発の5425Dの新十津川行です。
この5425Dが浦臼より先の新十津川までの1日1本の列車となるわけです。
なぜ、このようなブツ切りで停まっているかというと、札沼線北部(石狩当別~新十津川)の系統を担当する運転士がここ石狩当別に配置されていますが、車両はここには配置・夜間滞泊はありません。
ですので、キハ40の所属先の苗穂運転所から早朝に2両編成の回5421Dとして回送されてきます。
回5421Dは苗穂運転所から石狩当別(5:29着・5:32発)を通り越して、石狩月形まで回送(5:55着)。
石狩月形から6:19発の5422D石狩当別行として営業運転に入り、石狩当別に6:52に到着。で、2両のキハを解結して2本の列車に仕立てているからです。

札幌方面への電車も所属は札幌運転所で石狩当別での夜間滞泊はなくて、早朝に石狩当別に回送されます。


石狩当別は今は硬券入場券の販売もありませんし、降りる必要がないので、前1両の5423Dの浦臼行に乗り込むことにします。



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キハ40-401の運転台



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5423Dの携帯時刻表。(クリックで拡大できます。)

時刻表の駅名の所にの記号が印されています。
これは、非自動閉塞のスタフ区間のスタフ閉塞の通票の中央に空けられた穴の形状です。
札沼線は桑園~八軒、あいの里教育大~石狩月形が特殊自動閉塞式(軌道回路検知式)、八軒~あいの里教育大が 複線自動閉塞式、そして、石狩月形~新十津川が今は数少なくなったスタフ閉塞式になっています。
運転士が渡されたスタフの種類を確認する為に時刻表に印されています。

今回は1日1本になった浦臼~新十津川に乗ることと、スタフ閉塞を見に札沼線に乗りに来ました。




(石狩当別→北海道医療大学 前面展望)

5423Dは7:02に石狩当別を発車しました。
次の北海道医療大学までは単線の交流電化区間を進みます。

北海道医療大学に到着する前に線路が1本分岐して行きます。
行き止まりの2番線の線路です。
単式ホーム2面2線を持つ駅で、2番線は切欠きホームで、行き止まりの配線になっています。
ですので、新十津川方面発着の列車はすべて1番線に発着します。
当駅止まり・折り返しの列車(札幌発着)は基本的に2番線で扱いますが、543M(8:48着、折り返し石狩当別まで回送)のみは交換の都合上1番線で扱います。そのため、新十津川方面の1番線もホーム有効長が6両分とられています。

開業は1981年(昭和56年)12月1日。大学前仮乗降場として開業しました。駅名の由来は駅前の東日本学園大学から。
1982年(昭和57年)4月1日に駅に昇格し、大学前駅となります。
その後、大学名が変更になったため、1995年(平成7年)3月16日に現在の北海道医療大学に変更しました。
その時に現在の2番線の札幌方面への折り返しホームが新設されました。

学園都市線(札沼線)におけるKitaca利用区間の最北端の駅であり、同路線の交流電化区間の終点となっています。2008年(平成20年)10月25日現在、交通系ICカードが利用できる日本最北端の駅となっています。




(北海道医療大学→本中小屋 前面展望)

7:07に北海道医療大学を発車しました。
少し進むと架線が途切れて、いよいよ非電化区間に入ります。

北海道医療大学から先の石狩月形までは下り8本、上り7本と本数が激減します。
北海道医療大学駅で折り返す札幌駅からの電車には車掌が乗務していますが、石狩当別から新十津川の気動車列車は単行又は2両編成のワンマン運転になります。

北海道医療大学を出ると進行方向左は増毛山地の淵の丘陵地、右側には並行する石狩川とその周辺の広い農地が広がる石狩平野の北側を走ります。石狩平野のこの辺の空知管内では空知平野とも呼ばれます。

石狩川の向こう側には函館本線が並行して走っています。



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緩急車(貨車の車掌車)改造の本中古屋駅舎。
1979年(昭和54年)2月1日に荷物取扱い廃止。同時に簡易委託駅となり、無人化されています。



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石狩月形~北海道医療大学は大学生や職員で満員だった車内も、北海道医療大学を出ると、地元の人、特に月形の高校生が主な利用者です。
札沼線を乗りに来たテツな方々はこの5423Dには殆ど乗っていません。
次の新十津川行5425Dに乗っていることでしょう。



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前方には中小屋駅が見えてきました。
左側の山(増毛山地)が迫り出した丘陵地のカラマツ林の中を走っています。右側はカラマツ林の向こうには長閑な石狩平野が広がっています。
石狩太美~石狩当別~北海道医療大学~石狩金沢~本中小屋~中小屋駅と当別町を走ります。



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こちらは、月ヶ岡駅。
月ヶ岡~知来乙~石狩月形~豊ヶ岡~札比内と月形町を進んで行きます。



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沿線のカラマツ林も色づいています。



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知来乙駅に進入。
沿線まで迫っていた左側の山のカラマツ林がこの辺は少し向こう側に引きます。
この辺は靄がかかっていて、視界が悪かったです。




(知来乙→石狩月形 前面展望)

増毛山地の山の淵のカラマツ林の中を走り、7:34に石狩月形に到着。
札沼線の非電化区間では唯一の交換可能駅です。

ここで、5423Dを降ります。

石狩月形ではちょっと嫌な(ムッとすること)ことが起こります。それについては、次回の講釈といたします。



2016年10月 北の鉄路 2(ANA4723便 その2と札幌周辺硬券収集)



ANA4723の続きです。


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前方には徐々に北の大地が見えてきました。



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北の大地が見えてくるとY11航路から降りて、着陸態勢に入ります。
STARはYOTEI SOUTH ARRIVALです。
北風運用でRWY01Rにそのまま着陸します。



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アプローチチャートです。





いつもは、左側に座っているので、久しぶりの右側の機窓です。

まず見えてくるのは太平洋岸の苫東厚真発電所と北海道石油共同備蓄株式会社のコンビナートです。
この太平洋岸に日高本線が走っています。
安平川と日高本線の鉄橋(上)と道道781号線の橋梁が見えます。
上は弁天沼で、見える街は苫小牧市勇払の街です(動画で1:40)。

勇払原野を北上して行きます。
勇払原野は特に原野として始めから保護していたわけではなく、たまたま開発から取り残された場所がこう呼ばれています。

シャープ苫小牧第一太陽光発電所が見えて、ちょいと北上するとまた線路が見えてきます(動画で3:21)
室蘭本線です。
画面の上で左手に室蘭本線から分岐していくのが千歳線です。
そして、見えてくる大きな湖がウトナイ湖です。

ウトナイ湖周囲は低湿地が広がり、沼が点在しているが、ウトナイ湖はその中で最大のものです。
面積は2.20 km2で最大水深は1.5 m、平均水深は0.6 mです。
1991年には日本で4番目のラムサール条約登録湿地となっています。
ウトナイ湖周辺は、既に20世紀後半から乾燥化が顕著となっている。湖の平均水位は1960年代に2.3mあったものが、1977年には1.6mまで低下。生態系の変化がみられるようになっているそうで、1998年から湖下流に可動式のウトナイ堰を設置。湖水の流出量を調整を行い、乾燥化の進行をコントロールする試みを行っているそうです。

14:18、RWY01Rに着陸しました。

誘導路をグイグイ進み、3番スポットに14:24に到着。

F/T=1:10、B/T=1:28の旅でした。



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降機の際にJA01HDの機内を1枚。
はい、また最後の方に降機です。

CAさんからログ帳を受け取り、お礼を言って降機しました。

そして、PBBから振り返ると・・・・。



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はい、機長さんがこちらに向かって手を振ってくださっていました。
私も手を振ってPBBを後にしました。



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またもや、機体の写真が撮りづらい所に駐機となったので、乗ってきたJA01HDをブツ切りで撮っておきます。



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そして、制限区域外に出てきました。
4分遅れですが、15分遅れまでは飛行機は定刻なので、定刻通りの到着です。





ANA4723-2
ANA4723-1
ANA4723のフライトログです。



この後は、予定がありせん。
札幌のアジトへ向かうだけです。

てなわけで、展望デッキで飛行機を眺めることにしました。


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北風運用の時は奥のRWY01Rが着陸、手前のRWY01Lが離陸用です。

14:43、RWY01Rにエバージャンボが着陸してきましたよ。
台北桃園からのBR116便です。台北(桃園)0930→(BR116便)→1405札幌(新千歳)ですから、少し遅れているようですね。
エバージャンボも退役が決定していて、新千歳からは2017年3月22日で撤退となっています。
現在は2機のみになってしまいました。
エバー航空のボーイングB747-400は2017年夏ダイヤで前述の台北(桃園)発着のバンクーバー線、シアトル線、上海(浦東)線で定期運用されるほか、同じく北京(首都)線、香港線、マカオ線、マニラ線、深圳線の一部便でも運航されるそうです。ラストフライトが、8月20日の上海(浦東)発台北(桃園)行きのBR721便で予定されているそうです。


エバージャンボは台北から地上の楽園(?)の澳門に行く時にお世話になりました。
以下3枚は当時の写真です。


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B-16406(2004・8・14台北桃園にて)
1995/01登録、2007/8に他の航空会社へ移籍しています。
形式は747-45EMで、旧塗装のコンビ機(貨客混合型)です。コンビ機とは旅客機の後方座席の一部を外して貨物スペースにした機体です。
後部が貨物室になっているのがよくわかりますね。



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B-16407(2004・8・16、台北桃園にて)
1999/08登録、今は型式変更して貨物機になっているようです。
型式が747-45EMなので多分、コンビ機(貨客混合型)だと思います。



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B-16461(2004・8・16 台北桃園空港にて)
1993/09登録、2008/01登録抹消、他の航空会社へ移籍しています。
型式が747-45EMなので、これも多分コンビ機だったと思います。

コンビ機のボーイングB747-400M(COMBI)は、晩年はアジア内路線専用の機材となっており、一足お先に2015年1月5日(火)の香港発台北(桃園)行きのBR868便を最後に退役しています。
台北~澳門線でよく見かけました。


さて、今の写真に戻ります。


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このエバージャンボはB-16411。
型式は747-45E。
1998/04登録。機齢は18年(この旅行時)。

多分、エバージャンボは見納めになるだろうと沢山シャッターを切っておきました。



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ANAとJALのB777-200の並び。



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おっ、乗ってきたJA01HDが15:00発のADO26(NH4726)として羽田へ折り返して行きます。
羽田でも新千歳でもターミナルで全体像が撮れなかったので、展望デッキにやって来たのも、ひとつの理由です。



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キャセイのB777-300が滑走路から誘導路へやってきました。
J-AIRのエンブラエル E170-100STDがプッシュバックを終えて停止中だったので、B7も停止。



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ジャストミート!
これで、気が済みました。



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飛行機の音が聞こえたので、上空を見ると・・・・。
これは、ジャンボですかね。



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おっ、ビジネスジェットが誘導路を進んで行きますよ。
Gulfstream Aerospace G650-ER(VP-CKV)です。
ガルフストリーム・エアロスペースはアメリカの航空機メーカーです。



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ダイナスティジャンボが滑走路に向かって進んで行きます。
15:00発の台北桃園行のCI131便です。
B-18212、型式は747-409。
2005/03登録で11年選手です。

ダイナスティジャンボは何回か乗っていますが、その時も今の塗装と変わりないので、過去写真は割愛します。

ダイナスティジャンボもカウントダウンが始まるでしょう。
ジャンボ機は、「まだ○機あるからまだまだ見れる」という考えは、いい加減に捨てた方が良いでしょう。
見かけたらその日の姿を残す気持ちで撮る。
全機退役が決まると、「あっという間に」終わってしまいます。



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15:34、RWY01Lよりtakeoff。
右旋回180°ターンで台北目指して飛んで行きました。



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こちらは、Air BusanのA320。



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ANAのB777-200、JA745Aの「心ひとつに!!行こう2020」特別塗装機。



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こちらはJALのB777-200、JA773Jの「心ひとつに!!行こう2020」特別塗装機。

時計を見ると16:01。
秋の北の大地の夕暮れは早いです。
日が陰ると寒くなってきました。
本当はエバージャンボの札幌(新千歳)15:20→(BR115便)→19:00台北(桃園)の離陸を撮りたかったのですが、いつになってもやって来ません。
ですので、これにて展望デッキを撤収。

反対側の千歳基地ではまだF-15が離発着を繰り返していて、その度に爆音が響き渡っていました。


さて、新千歳から札幌方面へ向かいます。


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札幌近郊の硬券入場券を集めに行こうと思います。

JR北海道はJR化後も通常スタイルのB型硬券が発売されています。
以前は有人駅ならどこでも殆ど売っていたのですが、今は一部の駅となってしまいました。

発売駅については、他の方のブログ等で確認しているので、まずは小樽方面の銭函駅へ向かいます。


で、スタートの新千歳空港駅ですが、現在は硬券入場券の発売は行われていないということでした。
ですので、以前に買った新千歳空港駅の硬券入場券をUPしておきます。


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そして、こちらは新千歳空港駅開業前の千歳空港駅のD型観光記念入場券です。
将軍様からのお土産です。


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千歳空港から函館まで乗った北斗16号の特急券です。
終着函館には0:22に到着。函館からは0:40発の青函2便に接続していました。
因みに北斗16号は全車指定席でした。


千歳空港駅は1980年(昭和55年)10月1日に国鉄初の空港連絡駅として開業しました。
1992年(平成4年)7月1日、新千歳空港の供用開始に伴って新旅客ターミナルビルが開業。旧旅客ターミナルビルは廃止となり駅名も南千歳駅と改称されました。

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で、こちらが南千歳駅(かつての千歳空港駅)の硬券入場券です。
南千歳も現在硬券入場券は発売されていません。



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(クリックで画像拡大できます)



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新千歳空港からは16:48発3939M快速エアポート167号札幌行に乗ります。
車両は721系。
新型の733系は普通車はロングシートなので、この721系は転換クロスシートはヨロシ。

次の南千歳までの2.6Kmは千歳線の支線の空港線を走ります。
新千歳空港の真下を走る単線の地下区間です。
なお、支線である新千歳空港~南千歳は加算運賃区間のため、キロ数で計算した運賃に140円が加算されます。

地上に出て千歳線の本線と合流すると南千歳に到着。
南千歳は1980年に国鉄初の空港連絡駅の「千歳空港」駅として開業して、1992年(平成4年)7月1日に新千歳空港ターミナル開業に伴い空港線と新千歳空港駅が開業したことにより、駅名を「南千歳」に改称したことは、前述の通りです。
南千歳改称後も、千歳線本線・新千歳空港駅への支線(空港線)・石勝線の結節点としての役割を担っており、特急列車が全列車停車する主要駅となっています。

南千歳からは複線の千歳線の本線に入り、スピードが上がります。
最高速度は120Km/h。

千歳・恵庭・北広島・新札幌に停まり、白石で函館本線と合流。



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17:25、終着の札幌に到着。



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札幌から17:30発3450M区間快速「いしかりライナー」小樽行に乗ります。
岩見沢発の列車ですが、区間快速の名の通り、札幌から手稲までが快速運転です。
車両は前3両が733系後ろ3両が731系。



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17:52、銭函に到着しました。
銭函駅を発車して行く3450M。



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跨線橋は北海道らしい風雪避けの扉が付いています。



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改札横のホームには1970年頃に駅員が手作りした「銭函」が飾られています。
縦58 cm、横140 cm、奥行き46 cmあり、かつてはホームの屋根から吊るされていましたが、危険であると判断されて2010年6月に降ろされてこのようにホームの脇に飾られています。

そう言えば、前来た時には(もう3〇年近く昔)には改札のホームの屋根から吊るされていたのを思い出しました。



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銭函駅は1880年(明治13年)11月に北海道で最初の鉄道(官営幌内鉄道)として手宮~札幌が開通した際に、これに合わせて開業した、北海道で最初の駅の1つです。
開業当初他の多くの途中駅が乗降客がいるときだけ列車を止める簡易駅(フラッグストップ)であったのに対して、銭函駅は当初から正式な駅でした。駅名の由来は、ニシン漁で栄えた地区で当時はどの漁師の家にも銭箱が積まれていたから、とする説があります。
開業した当初から、西辻甚太郎という人物が「酒まんぢう」を駅構内で立ち売りしていました。これは北海道で最初の立ち売りであるとされており、北海道における駅弁のルーツとも言われています。「酒まんじゅう」は戦後、販売中止となりますが、1998年に復活。以降もキヨスクが2015年に閉店するまで販売されていました。

銭函海水浴場の最寄駅であり、夏には海水浴に訪れる人々で賑わう。駅名の縁起の良さから入場券が人気を集め、10月17日の「貯蓄の日」には記念入場券が販売されていました。



20062007
無事に硬券入場券を購入。



20102014
因みに以前国鉄時代に銭函駅に訪れた際に購入した硬券入場券。
違いはJR化後は駅名の左側や普通入場券と書かれた左側に「□北」と印字されています。


硬券入場券を購入したら、次の駅へ向かいます。



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銭函17:58発の3453M区間快速いしかりライナー江別行に乗り込み、次に降りたのは札幌方面に4駅戻った手稲駅。



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手稲駅は1880年(明治13年)に設置。当時は乗客があるときだけ旗の合図で停車する簡易停車場(フラグステーション)の軽川駅として開業しました。後の1884年(明治17年)に普通停車場に変更されました。
1952年(昭和27年)11月15日に現在の手稲に改称。1981年(昭和56年)4月に3代目の駅舎に改築、橋上駅舎化。2002年(平成14年)に現在の4代目駅舎に改築、ホーム配線が3面4線から島式2面4線に変更されています。駅舎に併設される形で、線路で分断された駅南北の市街地および各種施設(下記参照)を繋ぐ「あいくる」という愛称の自由通路(ペデストリアンデッキ)が設置されています。
札幌市手稲区の中心駅であり、快速「エアポート」・「ニセコライナー」をはじめとする全列車が停車します(一部臨時列車は除く)。JR北海道管内の駅において、利用者数は札幌駅に次いで第2位です。
西側に位置する札幌運転所とは出入庫線で繋がっており、当駅を始発・終着とする列車が多く設定されているほか、手稲~札幌では、昼夜を問わず札幌と道内外とを結ぶ優等列車の回送列車や、それを活用したホームライナーが多く運転されています。

それにしてもきれいな駅です。
以前来た時はこんなにきれいではなかったような・・・・。


では、窓口で硬券入場券を購入します。

2008
はい、購入。
D型の観光記念入場券は発売していないとのことでした。


因みに、

20112013
こちらが、国鉄時代に購入した硬券入場券と硬券観光記念入場券です。



2016
3面4線時代の手稲駅です。(1986年8月4日)
右側の旧型客車の札幌発函館行42列車(札幌13:40→函館21:38)で札幌から函館へ向かう途中に左側の183系12D北海2号函館行に早くも手稲で抜かれるために約10分停車します。
上の国鉄時代の2枚の硬券入場券はその時の停車時間を利用して購入しました。

函館本線山線経由の特急「北海」は1986年(昭和61年)10月31日で廃止。
同じく山線経由の函館~札幌の客車列車もこの国鉄最後のダイヤ改正で廃止されました。



97
では、札幌に戻ります。
札幌近郊でB型の硬券入場券を売っている駅は銭函・手稲・札幌のみです。
後は発売終了になっています。

札幌へは18:23発の千歳行1824Mで。
車両は721系。



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札幌には18:39に到着しました。



2009
で、無事に札幌駅のB型硬券入場券をGET。
JRになってからも何度もこの入場券は購入していますが、ついつい来るたびに買ってしまいます。

なお、このブログを書いている現在は札幌駅も手稲駅も売り切りで硬券入場券の発売は終了してしまったようです。
代わりに、今まで発売をしていなかった小樽駅ではB型硬券入場券を復活発売しているようです。
JR北海道の硬券入場券は発売したり、終了したりと変化しているようです。
良くはわかりませんが、発売・発売終了は駅長か支社または本社の裁量なのですかね。



20122015
で、もって国鉄時代の硬券入場券もついでなのでUPしておきます。



今日の予定は終了。
今宵のアジトへ向かいます。


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100
札幌駅南口から徒歩約7分のJR INN札幌駅南口です。
本当は札幌駅にあるJR INN札幌にしたかったのですが、満室でしたので、こちらにしました。

10月6日に開業ということで、とても新しく、キャンペーン価格でお安く泊まることができました。


ということで、今回はこれで終了なのですが、終了の前に上で紹介した以外に札幌近郊の駅で過去に集めた硬券入場券を少々・・・。

函館本線

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20282029

20302035


千歳線・室蘭本線

20312032

2033


2036

2037
こちらの記念入場券は、軟券です。

以上余談でした。


翌日の行動ですが・・・・・、
それについては次回の講釈といたします。



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