6月 教会・宮津連絡所*掲示板


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  日々ありがとうございます。。

青田をわたる風も爽やかな頃となり、小学生や夏服姿の学生さんが元気よく登校されている姿に元気をいただいています。

 今月もご本部から開祖さま、会長先生のご法話のデーターを送ってくださり、教会長さんから精進目標を示していただきました。

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「佼成」6月号 会長先生ご法話

怠け心に負けない

精進が大事と知りながら

昔の流行歌に「わかっちゃいるけど やめられねぇ」という一節がありました。おもしろおかしい表現ながら、私たちの心のはたらきをみごとにあらわしています。現に私たちは、ともすると、なすべきことを怠ったり、しないと決めたことを、ついしてしまったりします。お互いさま「わかっちゃいるけど……」と、反省することが少なくないのではないでしょうか。(中略)

 

待っている人がいる

「安楽行品」には「一切を慈悲して 懈怠の心を生ぜざれ」ともあります。人を思う気持ちが盛んなときは、飽きたり怠けたりする心が生まれないというのです。どれほど疲れていても、労を惜しまない母親の姿が思い起こされますが、それはつまり「自分を待っていてくれる人がいる」と思うとき、人は自己中心の思いから離れ、その人の役に立ちたいという願いが湧いてきて、精進の一つ一つが喜びや楽しみに変わるということでしょう。

日本だけでなく、世界がさまざまな困難に見舞われています。「慈心をもって法を説け」とありましたが、みなさんのまわりには、あなたを待っている人はいませんか。

 

教会長さんから6月の精進目標を示していただき、説法をいただきました。

✾人の心の成長に「これでいい」という終わりがない

みずから楽って常精進! 

 ✾信仰をする目的を忘れず自分を待っていてくれる人のために

  労を惜しまず法を説く

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開祖さまが教えてくださっていますように怠け心に負けないためにはサンガが大切です。また自分が正しいのか正しくないのか、いつも法というものさしを持ち、照らし合わせることです。法という基準になるものを持っている人と持っていない人がいます。法華経をいただいている私たちの考え方、生き方が法華三部経に沿ったものであること、智慧・慈悲・行がひとつになって救いのはたらきになります。理論が大事です。教えを学んでひとつでもよいからそれをつかんで人さまのために思いやりを込めて実践しましょう。特に大事なことは、ものの考え方が自分は正しいのか正しくないのかを判断する智慧をつかんでいるかどうかということで、それを人さまのために具体的に働かせて実践してはじめて通じていきます。ところが自分の都合のいいことがものさしになっていることが多いのです。

開祖さまが「法華経の神髄はすべての人に真の生きがいを発見せしめるところにある」

法華経精神を世に弘めるという働きは、この世において最も価値あるしごとであるといわなければなりません。在家仏教徒であるわれわれ立正佼成会会員は、本来の職業を立派に遂行していくと同時に、聖なる事業にうち込んでいるわけですから、〝この世において最も価値ある人間〟なのであるという正しい自覚です。仏弟子たるものの尊い自覚です。

この自覚を忘れるところに、懈怠の心が生じます。努力を惜しみ、研究を怠り、

工夫を忘れるなど心のゆるみが生じます。せっかく最高の生き方を発見していながら、ムザムザそれを見捨てるようなものです。最も価値ある道の上にありながら、その道ばたに寝そべって歩こうとしないようなものです。(中略)自分の本業と菩薩行とに、質の高い生きがいをシミジミと感じられるようになって欲しいものであります。   (開祖さま法話選集第3巻P197より)

と教えてくださっているように、ご縁の人に真の生きがいを発見せしめることが、お役をいただいている人、入会している人全員の役割なのです。そこをいいかげんにしているようだと、ほとんど役が果たせないのです。入会者即布教者であり、人間として最も価値ある生き方ができるということです。法華経の神髄はすべての人に真の生きがいを発見せしめるところにあるということは、法華経をいただいている私たち自身のものの考え方、行いのあり方がすべてにかかっているのです。

 コロナウイルスの影響でしばらく善き友とのご縁が薄くなっている私たちですから、

6月の「佼成」開祖さま法語録・会長先生ご法話を、何度も何度も読ませていただいて、私たちは、教えを弘める最高の価値ある人間であるという誇りをもって行じてまいりましょう!

待ってくれている人に、お役を通してさせていただくことはさまざまあります。

例えば 教務員であれば

会員教育Ⅰ・Ⅱ・Ⅲを学び終了した方、学んでいただきたい方

教会勧請のご本尊勧請家、拝受していただきたい方、

ご本部でのご本尊勧請家、拝受していただきたい方、

教師資格拝受している方、拝受していただきたい方、

など、具体的に名前を挙げて、念を強くして書類にしてみると、手取りの方法がうかんできます。

こちらが思えば待っていてくれる人は際限なくあります。そういう思いを持っていたら、怠け心は出てこないものです。心がけて常精進させていただきましょう。    合 掌

 

🌼教会長さんの説法を聞かせて頂き、仏さまからいただいたお役をおろそかにしている自分に気づかせていただきました。お役を尊く受けとめさせていただき、ご法が身に付き明るく、優しく、温かい私になれますよう、待っていてくれるご縁の方に真心こめて法華経をお伝えし、真の生きがいを発見していただけるよう、楽って努力精進させていただくことを決定させていただきました。また、いつも仏さまのものさしを携え生活させていただくことを心に留めさせていただきました。ありがとうございます。 合掌

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※アジサイは雨が似合う花だといいますが、今年は梅雨入りの声を聞かずに咲きはじめて見ごろを迎えています。


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令和2年6月1日 朔日参り布薩の日

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さつき<境内地のさつき>


境内地のさつきの花が咲き誇り、日ごとに暑さが加わる頃となりました。


6月の朔日参り・布薩の日のご供養では、コロナウイルス感染の収束と舞鶴教会会員の菩薩行実


践に対するご守護を願って、真心からお経を読誦させていただくと共に、限られた中で、工夫を凝


らした菩薩行の実践を決定させていただきました。
おくよう

ご供養後、教務部長さんから、佼成6月号の会長先生ご法話「怠け心に負けない」ということについて、どのように精進させていただくことが大切なのかを、開祖さまご法話に基づいて日常の実践も交えてお話いただき、次のことを学ばせていただきました。


  ↓


「怠け心に負けないためには、どうすればよいか」・・・それは、開祖さまのご法話の中には「第一は、『法華経をしっかり学び直してみること』 第二には、『教えを身に実践すること』第三には、『菩薩行の実践』です。」と示していただていますが、本当に法華経を繰り返し繰り返し、しっかり学ばせていただいて、自分の身で行っていき、人さまの心配をさせていただいていると怠けていられない。怠け心のいっぱいの自分から、怠けていられない自分に生まれ変わらせていただけて本当にありがたいと、お手どりされている女子部の方との関わりや、お導きの子どもとの関わり、教務部長さんのご主人とのふれあいの体験を詳しくお話しいただき、具体的に学ばせていただきました。


 


教務部長さんが、女子部の方の家に毎晩行って、一緒にお供養をし、お母さんも交えて法座をされる中で、その家のご先祖の中に祀られていない方があることがわかって、お戒名がいただけたり、なかなか続けてお供養ができてなかった女子部さんがだんだんできるようになってきて、お父さんのためにご飯の時に、おかずを一品作れるようになったりと有難い結果がいただけたのも、心から「なんとか救われていただきたい」と一生懸命念じて、その方の心配行をし、温かい慈悲かけをされたからこそだと思わせていただきました。


そうされる中で、他の導きの子とのご縁も深めることができ、ご自分のご主人とも、昔、苦から救われたことを思い出して、二人でしみじみと今の有り難さを噛みしめる素晴らしい時間が持てたことも、本当に、この教えの通りに実践されたからこそだと思わせていただきました。


 


具体的にお話いただいたので、どのように教えに沿って実践させていただいたらよいのかということがよくわかりました。佼成6月号の会長先生のご法話の最後には「みなさんのまわりには、あなたを待っている人はいませんか」と教えていただいています。少しでも、教務部長さんのように周りの人に温かい慈悲かけができるよう実践させていただきたいと思います。


説法

教会長さんの説法では、次のことを学ばせていただきました。


☆今、コロナウィルス感染が拡大している中、日本は、自粛要請がされるだけで、感染があまり広がらず、死者数も少ないのは、世界の国々から驚きの目で見られています。日本は、開祖さまが仏教相応の国と言われているように、聖徳太子が世に出られた頃から仏教の教えが根本に流れている国なので、強制されなくても、人さまのことを考えて行動できる私たちなのです。改めて先祖代々、法華経の教えがずっと根底に流れている私たちなんだということを受けとめて、開祖さま、会長先生、光祥さま、色々なお役の人たちから聞かせていただく教えを素直に受けとめて、実行すると間違いなく幸せにならせていただけます。


 


☆開祖さまの法話選集第6巻「釈尊の平和観」P178~P179には、


「同心の人達と手を取り合って、一つの共同体をつくっていますと、お互い戒め合い、励まし合い、教え合って、傾きかけた姿勢を正し、向上の一路をたどることができます。また、自分独りで修行していたのでは、自分がどこまで向上したのか、なかなかつかめないものです。それは、尺度がないからなのですが、大勢の人と一緒に信仰していますと、他の人との比較によって自分を知る目盛りがおのずから見えてくるものです。(中略)私は僧伽をよく芋洗いに譬えるのですが、桶の中に芋をたくさん入れてX型の棒でかきまぜると、芋と芋とが擦れ合い、互いに磨き合って、次第に皮が剝けてきます。あれが僧伽の功徳にそっくりなのです。もっとも、ただ芋と芋とが擦れ合ってもダメで、そこに〝法〟という水が注がれなければ、キレイにはなりません。つまりX型の棒が〝仏力〟であり、水が〝法〟であり、芋の集まりが〝僧伽〟なのです。この三つが揃って初めて、人間は煩悩を洗い清め、スガスガしい解脱の境地に達することができるのです」と教えていただいています。


善き仲間がいてこそ精進ができます。怠け心に打ち勝っていくには、善き仲間と共に励まし合い、教え合い、和気あいあいとつながりあって、磨き合いをしていくことが大切です。


人さまの心配行をしていたら、怠けているひまは、ありません。今日もまた、電話などで皆さんとつながっていきましょう。


 


☆ご先祖の回向というのは、生きている私たちがさせていただかないとつながっていきません。怠け心を起こしそうになったら、「あのおじいさんが待ってる。このおばあさんが待ってる」という思いでご供養も真心でさせていただいたら、どんなにか霊界も喜んでくださることでしょう


 


☆今月も、毎日、子や孫の成長、草花や木にも心を寄せて新鮮な心で、仏さまに護られているのだから、(コロナウィルス感染のことは)安心して、うがい手洗い等、やるべきことはきちんとして、生き生きと心も体も豊かに精進させていただきましょう。


 


自由に教会にお参りに行けない今、本当に、当たり前のことができることが、どんなに有難いことなのかを感じます。僧伽の中で修行できることも、本当に有難いことだったのだと気づかせていただきました。


舞鶴市、宮津市、丹後方面も感染者ゼロで来ましたので、いよいよ日常生活に戻れる日も近いと思われますが、今、目の前のご縁を大切に、こんなときだからこそ、教えをしっかりと学び直し、できることを精一杯させていただき、怠け心に負けず、生き生きと精進させていただきます。  合掌


 


 


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5月 教会・宮津連絡所*掲示板

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 風薫る5月、山々の若芽がいつの間にか色濃く染まり、早苗の植えられた田んぼの水面に映っています。
 教会の空には、精一杯口を開けて鯉のぼりさんが元気よく泳ぎ、コロナさんなど何でもすべて吸い込んで、濾過し、きれいに浄化してくれているかのようです。 
 昨日の第51回青年の日にも、鯉のぼりをあげて青年幹部さん方と祈りを深め、集まれない中で部員さん達にはがきに心を込めてつながり合った青年各部長さんの発表、青年教務員さんの心田を耕すの研修、素晴らしい学び合いが出来,教会長さんからと、創造こそ人生の喜び青年らしく、ご法を学び、伝え、菩薩行させて頂いていることを自信をもって、発信しようと背中を押して頂きました。
ました。 


 今月もご本部から開祖さま、会長先生のご法話のデータを送ってくださり、教会長さんから精進目標を示していただきました。
「佼成」5月号 会長先生ご法話 『悠々として、心安らかに』

 *妙好人・石見の善太郎

🌸佼成会員として信仰に目覚め 心安らかに悠々として 敬愛される日々を

   妙好人というのは、白蓮華にたとえられるほど清らかな人柄の、信心深い念仏者のことです。若いころは素行が悪く、村人から「毛虫の悪太郎」と呼ばれていたその人が、やがて阿弥陀さまの信仰に目ざめ、多くの人から「石見の善太郎さん」と敬愛されるようになったのです。

   ある日、その善太郎を信仰仲間が訪ねてきました。本山参りの際に一泊させてくれた同朋で、善太郎は笑顔で迎えますが、その人はいきなり善太郎をどろぼう呼ばわりして、激しく罵ります。着物を盗んで持ち去ったというのです。すると善太郎は、身に覚えがないにもかかわらず「それは悪うございました」と丁重に詫びて、着物の代金を渡したうえ「何もありませんが、せめて草餅をおうちの人に」と、仏壇に供えた草餅を包んで土産にもたせました。

   信仰仲間が家に帰って、みんなで草餅を食べようとしたときです。その家で働く娘が、なぜかうつむいたまま、手にとりません。「どうして食べないのか」主人がそう尋ねると、娘は「善太郎さんが盗ったと話しましたが、あの着物を盗んだのは私です」と、罪を打ち明けたのです。

   さて、もしみなさんが善太郎さんと同じ立場におかれたら、この事態をどのように受けとめ、対処するでしょうか。
 *楽しく仏道を歩む

🌸仏さまに護られている絶対の信 おまかせの心で 心楽しく安らかに生きる

   この話のように、やみくもに人を非難したり、人の話も聞かずに自己主張したりする人には、できれば会いたくありません。まして、どろぼう扱いされたりすれば、冷静に受けとめられないのがふつうです。その意味でも、善太郎さんの対応には感心するばかりですが、では、どうして何も釈明しないまま、善太郎さんは事態を受け入れることができたのでしょう。

   私は「阿弥陀さまにすべてをおまかせしている」という、善太郎さんの絶対的な「信」によるものではないかと思います。「やましいことは何もない。仏さまはすべてご照覧なのだ」そうした、悠々として安らかな気持ちがあればこそ、あのように受けとめることができたのでしょう。「いう人もいわれる我ももろともに 同じ蓮の台なるらん」という道歌がありますが、仏の前ではすべての人が平等ですから、その場で身の正しさを申し立て、相手をやりこめるのはつまらないこと、と考えたのかもしれません。(中略)

   いま、この地球に生まれて生きている奇跡に気がつけば、「自分さえよければいい」と自己に執着している場合ではない、生かし生かされあう縁に感謝することが大事なのという意味にも受けとれます。法華経の教えによって感謝に目ざめた私たちであれば、その教えを人に伝え、生きる喜びと感謝をともどもに味わおうと、一歩踏みだすことです。ただ、それは相手を変えようとか、説き伏せようとするものではないと思います。喜びをもって仏の教えを実践し人々に心楽しくふれあうなかで、いま命あることの有り難せに目ざめてくれる人がいれば、それでいいのです。
 先の善太郎さんの話は、「草餅説法」といいます。娘さんの心を解かした妙好人のあたたかさに、悠々として、心安らかに生きる信仰者の神髄を見る思いがします。(会長先生ご法話抜粋)
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境内地のクレマチス
 
 私は、とても善太郎さんのように身に覚えのないことを受けとめ、お詫びして、お金も払って、おまけに草餅までお土産を包むなんて、とっても出来ないな…違いますよ。とか、犯人捜しをするかもしれないな…と。
 会長先生は、善太郎さんはなぜ何も釈明しないままま受け入れることができたのはなぜか?というと「阿弥陀さまにすべてをおまかせしている」という絶対的な「信」によるものではないかと思います。やましいことは何もない。仏さまはすべてご照覧なのだ」と、悠々として安らかな気持ちがあればこそ...と教えて下さっています。
  
 教会長さんより、いつも、本物の信仰者になることを教えて頂いています。この善太郎さんのような絶対的な「信」―仏さまはすべてご照覧なんだ―と受けとめ行動することなんだなと、感じました。開祖さまから、「信」とは理屈抜きに相手に任せる、相手の懐に飛び込むという心情と教えて頂き、教会長さんから、自分は、宇宙の大生命たる仏さまに生かされているのだ、護られているのだという信念に徹すること、佼成会員として、本当の信仰(信じ仰ぎ見る)に目ざめていくと、今、この地球に生まれ自分以外のすべての命に生かされ生きている奇跡に気がつき、自分さえ良ければ。。から、皆尊い命に生かされ生きている仲間なんだ、と感謝と、喜びが湧き上がってきます。
 相手を変えようとしないで、感謝と喜びの心で教えを実践し、心楽しく安らかにふれ合い、ご法をお伝えしましょう。そして、この善太郎さんのように犯人捜しをしないで、自分が受けきるこころから、学ばせて頂き実践させて頂きましょう。と教えて頂きました。
 善太郎さんのように、私もなりたい
そのためには、今月の開祖さまの法語録の中の、小手先の信心でなくばかになって、信仰の中に、仏さまの本願の中に、ドップリ浸かって自分を捨てきった正念、打ち込む一心を持って、閉鎖が続く中ですが、必ず変化し明ける日が来る、みんなつながり合っている、明るく励まし助け合い、光祥さまの諸宗教の祈りを共に捧げながら、あの人は、今どうしているかな。悲しい思いはしていないかな?と、家族や出会う目の前の人に、いつもよりもっと優しく温かいふれ合いをし、出会えない人には温かなメールや手紙をおくったり、学校や仕事に行けない中で家庭での心の辛さで、困っている方々にも、今こそ、開祖さま会長先生のみ教え、法華経をお伝えし実践させて頂きたいと思います。
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玄関でお迎えしてくれている大輪のクレマチス

教会長さんより、今を過ごす大事な心がけを頂きました

   教会は、閉鎖が続いていますが3密をさけ、手洗いうがいを実行し、教会の見回りをしながら御給仕と祈願供養を休まず続けさせて頂いております。
総務部長さん教務部長さん支部長さんたちと話し合って、予定表はいつもと同じように作って主任さんやお役の人にも連絡していますが、なぜかというと何もないまま過ごしているのと、今日はうちの当番だと思っているのとでは心掛けがまるっきり違うわけです。
例えば、家でご供養させていただく時間もほぼ決まっているのではないかと思いますが、それをさせていただいていたら、生活のリズムが整ってくる。そういうことが何もない人はいつも朝早く会社に行っている人が、今は休んで家にいるから何かお役があるということはすごく尊いことですから、朝ご供養をさせていただくということを自分が努力していったら、リズムが整って良い一日のスタートが切れます。

  何をさせていただくときも、常に自分自身はどうあるべきか自分自身を自分が作って整えていかないと、あっという間に日々過ぎていくのです。

 

ご宝前中心の生活

基準にするものを持っているかいないかで人生が変わっていくと開祖さまから教えて頂きました。教会には来ないけれど、予定表を見て今日は戒名当番の日だと思って朝から心がけて一日努力したらそれだけでもずいぶん惰性で流れるのではなくけじめがついてくる。道場当番の日にしても、当番修行のつもりで家で心がけて何かさせていただいたら意義あるものになります。

 自粛が解除になっていつも通りになった時、何もしないで過ごした人が、当番だといって、よっこらしょっと立ち上がるのは容易ではない。日ごろから今日は道場当番の日だ。戒名当番の日だ。と思って過ごしたらそれもご宝前中心の生活になるのです。

お給仕やお花にしても仏さまは何もおっしゃらないけれども、新鮮なものをという心がけ、自分の信仰の在り方がどうなのか。お給仕の一つ一つが心を作っていく。自分の心がけが自分の人生を決めていくのです。

 教会長さんのお説法より、神さま仏さまはいつもご照覧であり、自己中心でなく仏さまの尺度で見て考える御宝前中心の生活をし、何を自分の中心に据えるかという、心がけの大切さ、良き生活習慣の実行や、基本信行を実践の大切さを学ばせて頂きました。「どんなときも、仏道修行あるのみだよ。」の開祖さまのお言葉を胸に、明るく優しく温かく皆さんと共に精進させて頂きたいとおもいます。 合掌
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京都丹後鉄道・車窓からの奈具海岸の双子岩
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