January 23, 2006

ブログ移行のお知らせ

いつもご愛読いただきありがとうございます。

えー、諸事情により(自分の都合ではないのですが)、

ブログを移転いたしました。これまでの記事はここに残しておきますが、

更新は今後一切行いませんのでよろしくお願いいたします。

 

新しいHikowskiのブログ、Fragments of Hikowskiはコチラから。

新ブログでも皆様の変わらないお引き立てをよろしくお願い申し上げます。

Hikowski拝

 



roanstallion at 21:34|この記事のURLComments(939)TrackBack(0)

January 21, 2006

雪の上の足跡

雪のうえに足跡があった
足跡を見て はじめてぼくは
小動物の 小鳥の 森のけものたちの
支配する世界を見た


田村隆一「見えない木」部分



雪が降ると思い出す名篇。雪は世界を静寂に包みこむだけじゃなくて、普段ぼくたちが気に留めない様々なもののかたちを暴き出す。白に縁取られた葉や電線や屋根の傾斜は心なしかいつもより美しい。



roanstallion at 18:13|この記事のURLComments(2)TrackBack(0)

January 19, 2006

こそっと

飲み屋の片隅でひそひそ文学の話をするような内容のメールマガジン刊行します。

その名も「ヒコウスキーのお笑い文学教室・・・(汗)

発行理由はいたって簡単。

もっと文学に親しみを持ってほしいから。以上!

内容はブログに普段書くこととそんなに変わらないと思いますが、

あえてしゃべったものを書き留めたような文体で書いていきますので、

ちょっとは読みやすいかな、と思います。

一回目の記事は「ジョイスの雷」。

雷が嫌いなら書かなければいいのに・・・・とかいう「独り言」を

書いてます。

二回目からもっと面白くしていくのでよろしくー。

口コミ大歓迎。

 

そんな「ヒコウスキーのお笑い文学教室」を

読んでやってもいーぜという方は⇒ココで登録!



January 18, 2006

真冬の朝のフランク・ザッパ

こんな時間になっても寝付きが悪い。仕方なくフランク・ザッパのライブを聴く(余計に目が冴えそうになるのは承知の上で)。人を食った歌詞と超絶なギターが混ざりあうザッパの世界。このライブ盤(Zappa in New York)は好きなドラマー、テリー・ボジオが参加しているというので手にいれたが、買った当初はいまいちその良さが分からずにしばしお蔵入りになっていた。だが、いまやジャズ・モードに再び入りつつあるためか、非常に聴きやすく感じる。当たり前か…。アルバート・アイラーのような音楽を聴いてしまえば、ザッパのように計算されて作られた音楽は聴きやすくもなるはずだ。この音源はいわゆる現代音楽的な色彩の響きが多く溶かし込まれている。マリンバの音の入り方とか、ユニゾンの仕方とか。…なんというか、悪趣味とハイセンスの混ざりあった音楽である。けして一般受けはしない音楽。けれど一度はまると抜け出せないのもザッパ世界なのかも知れない。その証拠に部屋を暗くしてこの音源を聴いていると気持ち良くなってくる。


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January 17, 2006

鬱憤は溜まる一方で

気分転換にフォークナーを読む。

さすがフォークナーはシナリオも書いていただけあって、文体は少々難しいものの情景を読者に提供する腕にかけては圧倒的なものがあると思う。説明しにくいのだが南部のあの感じというのが非常に伝わるし、読んでいるうちになにやら泥の香りがしてきそうなのだ。

手元にあるのは、The Sound and Fury Portable Faulkner。 後者は、マルコム・コウリーの序文が読ませる。彼の手によって、いわゆるヨクナパトーファ・サーガと呼ばれる物語が、編年体に並び替えられて、バイキングから『ポータブル・フォークナー』として出された。1945年に初めてこの本が出された当初は、フォークナーはただ難しい小説を書く人間として認知されていた(というよりも埋もれていた)のだから、コウリーの仕事は評価されるべきだ。そんな意味でも、フォークナーをはじめて読むにはもってこいの一冊なのではないかと思う。僕のような何でもかんでも手当たり次第に濫読したがる性質の浮気性な人間にはこの手のシリーズが一番ありがたい。

ジェファーズとかフォークナーとか、僕はどうも厭世的な暮らしをしていた作家に強く惹かれる。自分にそういう願望があるのかもしれないし、反対に自分はそういう厭世的な境地に身を置くことはできないと考えているからかもしれないが、ともかくも一抹の憧れのようなものを感じてしまう。

 

 



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January 16, 2006

作り込まれた小説

ジェイムス・ジョイスの『ユリシーズ』は、ジョイス本人が「私の作品を読むのなら一生をかけてほしい」と述べているように、難解の極みであり、計算しつくされて書かれているので、読者は涙を飲みつつページをめくるのである。池澤夏樹氏が『世界文学を読みほどく』で指摘しているように、この小説は素人の読者を想定しては書かれていない。ジョイス専門のネイティブの教員曰く「英語が母語の人間でもジョイスは難しいっ!」のだそうだから、日本人である私たちが難解に感じない訳がない。しかも、そのネイティブの教員ですら『ユリシーズ』を読破するのに一年以上かかったそうだから、我々は安心してそれ以上の年月をかけることが出来る。


別にこれは『ユリシーズ』に限った話ではなく、モダニズムのもう一人の巨匠エズラ・パウンドの『詩篇』にも同じことが言える。一生かけてもこの二作品を完璧に理解することなど出来ないから、無力ながらもコツコツと読むしかないのである。この二作品に共通しているのは、わからないなりにもとにかく読むしかないということ。


もちろん、僕がジョイスを読んでいようとパウンドを読んでいようと、そこから始まる恋などない(笑)





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January 14, 2006

マセイ・ホール今昔

pディズィー・ガレスピー(tp)、チャーリー・パーカー(as)、マックス・ローチ(dr)、チャールズ・ミンガス(b)、バド・パウエル(pf)のモダン・ジャズの巨人たちが1953年にカナダはトロントのマセイ・ホールで繰り広げた演奏は、ビバップの一つの到達点を示す名演であり、『ジャズ・アット・マセイ・ホール』の熱気は今なお鮮やかに聴くものを包み込む。ちなみに、このCDでパーカーの名前は諸事情により「チャーリー・チャン」とクレジットされている。さらに聞く話によると、パーカーは自分のサックスを質草代わりに麻薬代にしていたので、演奏時には他人の安物を借りて吹いたという逸話も残っているが、そのプレイはまさに弘法筆を選ばずの好例とも言える鬼気迫るものだ。 ちなみに『東京大学のアルバート・アイラー』にはこの音源に関する小ネタも挿入されていて、ピアニストのバド・パウエルは電気ショック療法を受けたためにそれまでの間はほぼ廃人同様だったのだそうだが、ここでは見違えるようなプレイをしている、ということが書かれている。

 

dさて、時は巡り、2002年に同じマセイ・ホールで、マイケル・ブレッカー(ts)、ハービー・ハンコック(pf)、ロイ・ハーグローヴ(fgh)、ジョン・パティトゥッチ(b)、ブライアン・ブレイド(dr)という、今のジャズ界を代表するメンバーが集結して熱演を繰り広げた。このライブ音源は『ディレクションズ・イン・ミュージック』として発売されている。このCDはマイルス・デイヴィスとジョン・コルトレーンの生誕75周年を祝って製作されたものだ。ちなみに二曲目のタイトルは「詩人」である。

 

 この二枚を聴き比べると、様々な事を思わずにはいられないが、中でもドラムの概念の変化には驚かされる。前者のCDでは名手マックス・ローチが叩いているが、やはりリズム・キープ楽器としての比重が高いように聴こえてしまう。かたやブライアン・ブレイドの叩き出すサウンドは、ビバップが先鞭をつけた楽器間の序列の崩壊という概念を見事に結晶化し、ドラミングの新しい方向を示しているものだと言えるだろう。 (ホントにカッコイイよ)

追記::

さて、ドラミングに関してはそういった進化の過程が見出せるが、別に僕はどちらの音源がいい悪いという話をしようとしているのではない。どちらも会場の熱気を伝えるいい音源であって、甲乙をつけてしまうのはもったいないのだ。

無人島にCDを持っていっていいといわれたら、僕は迷わずこの二枚と、マイルス・デイヴィスの『コンプリート・プラグド・ニッケル』を持っていくだろう。もっとも、慢性的な金欠のために少々値が張る『プラグド・ニッケル』にはまだ手を出すことができないでいるのだが。(人から借りて通して聴いたことはある)

ちなみに最近は、参考書つきということが許されるのなら、パウンドの『詩篇』、ジョイスの『ユリシーズ』と『フィネガンズ・ウェイク』を無人島に持って行きたい。というより、無人島でこういう本と音楽に囲まれて暮らしたいという願望が強いのである。

 

 



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砂の狭間で

砂漠。
声も響かず誰も
いない。


薄暗い蛍光灯
から
緑の光が液状に
降り注ぎはじめる。


そして
蟻地獄も見放した
形のない螺旋
の下へと
吸い込まれていく。


原罪の再認識。


輝かない星の
砕け散る光景。


降り注ぐ
アメーバ状の
粒子。


細胞の
ちぎれる涙
の消去。


冷凍室の扉が開く。無人の四輪馬車が吸い込まれるように消える。漂う冷気から滴る腐乱臭。音無く流れる血の川に紫の稲妻が煌めきを投げる。





消えよ。


消えよ。


roanstallion at 03:50|この記事のURLComments(0)TrackBack(0)

January 13, 2006

強烈な…

普段煙草はキャスター・マイルドを愛飲しているが、昨日煙草を買おうとしたら売り切れていたので、仕方なくマルボロのライトを買い求めて吸っている。キャスターの風味に慣れきっている舌はやはりマルボロに違和感を感じてしまうのだ。うまいとか不味いとかではなくて、舌の上にあるのは違和感なのだ。愛煙家の諸氏ならば直ちに同意されるであろう。


煙草の話で思い出したけど、最近葉巻を吸ってない。街中で喫煙できる場所が減ったことや、愛煙家であっても葉巻のあの香りは苦手!という人が多いというのを理由に久しく葉巻を口にすることは無かったが、ふとあの香りが懐かしくなった。どうやらこれは、チャーリー・パーカーが吹く「ラ・カラクーチャ」なんぞが最近居室で流れているのとあながち無関係ではないようだ。明日あたり安いコロナでも買おうかしら。


マイルス・デイヴィスの自叙伝を昨日読み返していて、パーカーと過ごした日々のことを書いたくだりなどを改めて興味深く思う。


roanstallion at 23:17|この記事のURLComments(0)TrackBack(0)

ブレイクとパウンド

さて、ウィリアム・ブレイクが読みたくなり、全詩集をめくる。幻想的というか、幻影的というか、やはり彼は真の意味で芸術家なのだなぁ。マンボのリズムに乗りながらブロウするチャーリー・パーカーを聴きながら、しばしの間、「エルサレム」あたりを読んで現実逃避しようと思う。

・・・ブレイクとパウンドが似ているのは、その作風ではなくて、そのライフスタイルだとおもうのだ。同時代人からすれば、「ナニを言っているのかわかんねーよ」というのが二人に対するレスポンスだったと思う。二人とも結局裕福な生活を送ることはなかったし。特にブレイクは幻視的な詩をもって自らの作風としていたから、今で言うならば、間違いなくアブナイ電波系の詩人として見られていたに違いない。今で言うと・・・・・・止めておこう。「向こう側」に行ってしまった詩人と、幻視的な詩人は違うわけであって、同一に論じるわけにはいかない。

もっとも、その生涯が波乱に満ちて不可思議なベールに包まれている人のほうが、詩も面白いと思う。エミリー・ディキンソンなんかはいまだに謎だらけだし、パウンドの生涯から波乱を抜いたら・・・。ともあれ、パウンドもブレイクも、僕に一生の楽しみ(苦しみ?)を与え続ける存在であることは間違いないに違いない。



roanstallion at 18:56|この記事のURLComments(0)TrackBack(0)Diary