2007年10月05日

THE SHAMPOO HATの「その夜の侍」を見てまいりました。これから、見る方、思い切りネタバレなんで、読まないほうがいいです。わたし興奮しているんで、いっぱいいっぱい書きたいのねー。あ。でも必見です。必見。




せめて行をあけてみる。




もうちょっと。



はい。もういいですか。知らないよ。わたしは書くからね。思いっきり書きますんで!

もちろん贔屓の劇団なんですよ。ここ数年、好きな劇団は、と聞かれたらすかさず迷わずTHE SHAMPOO HAT。でもね。今回は、もう、なに、良かった。すごく良かった。

お芝居としてデキがいいだけならもっとあると思う。わたしのココロのベストテンに入り続ける永遠の大傑作「蝿男」、自分の本番前の週なのに無理やり見に行って号泣した「青空」、去年見た「恋の片道切符」だってほんとよかった。

今回はむしろそんなに上手じゃない。乳首はもう隠さないって、当日パンフにも書いてあったけど、なんだかもうフルヌード。無骨だし、暗転も多いし、もっと演出や美術でスマートにやれるところだってある。交通事故被害者と犯人という構図も、赤堀さん自体もやっているし、いろんな劇団がやっている。物語もやや破綻している部分があるようにも思う。

最初は野中さんのやってる犯人が露悪的で、赤堀さん演じる被害者が一見イッちゃってるけど、善良で、ただの2項対立になっちゃうのかな、と思いながら見てた。もし芝居自体がうまくいっても、この犯人の造形はどうかな、と疑問だった。でも最後の最後に、それは、ガリっと音を立てて回転する。

なんども映像でもセリフでも「お前を殺して俺も死ぬ」という言葉が語られる。妻を交通事故で亡くした被害者が、復讐のときを狙っているという筋立てで物語は進む。

しかし生きているのに死んでいるかのような、犯人の日常を記録することによって主人公のなかから、おそらく自分でも予測しなかったような感情が生まれでてきたのだ、ということが最後の最後にわかる。それは食べ物の記録。どこまでもどこまでもコンビニの弁当。わたしたちの殺伐とした日常がずるりと露出し見せつけられるかのような。語られなかった犯人の内面、底なしの孤独がその文字の羅列には宿っている。たまに居候していた先で奥さんが作ったという手作りの冷麦やカレーという言葉が、なにかいいようのない異物感を残す。「お前はこの物語に最初からいなかった」と主人公が叫ぶとき、「お前を殺して俺も死ぬ」という呪詛の言葉が、じつは、最愛の妻を殺したいちばん憎いハズの男に、「生きろ」と叫ぶ、祈りだったのだと気づく。

せめて生き始めてくれ。俺も生きるからと。

愛の話だと思った。いろんな意味での愛。いま、わたしたちがいちばん渇望しているなにかに向け、手をひたすらに伸ばした男の話だ。誰よりも恥というものを知っている赤掘さんが、そういうものをかなぐり捨てて、ぜんぶ見せてくれた。エピローグの赤堀さんをみながら、切ないとか悲しいとか感動したとか、そんな感情なんてひとつもなく、わたしは号泣した。自分が泣いている意味もよくわからないまま。

これからの10年を負けないように生きよう、とそう思った。このひとがいるということをたいせつにしながら生きようと。だいじなたからものみたいな芝居がまたひとつ増えた。

(03:26)

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この記事へのコメント

1. Posted by あ1    2012年08月01日 15:03
改行、漢字、文字の区切りを使え。

読み辛い。

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