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【僕の彼女はアブサヤフ その1からの続きです】

 チェチェの友達でタイタイと云う娘が居ました。

 日本人の子供を身籠って居り
 7ヶ月程で
 客の迎えに来ると言う言葉を信じてジッと置屋で待っていました。

 ガイドや周りの男達は
 「迎えに来る訳が無いだろう」と笑っていました。
 只、置屋の主人と本人だけは堅く信じているのでした


 僕達がディスコに遊びに行く時
 タイタイは大きな御腹で何時も付いて来るのです。

 流産が心配で気が気では無いのですが
 周りの娘達もチェチェもこの娘を大切にするので
 僕も何時しかタイタイを身内のように思い始めていました。 

 そして臨月が近づき置屋の主人も漸く諦めがついたのか
 タイタイはミンダナオに帰される事になりました。
 チェチェもタイタイも同じ村の隣同士です。

 仕送りも出来ず、日本人客の赤ん坊を孕み
 家に帰っても食客になるだけのタイタイの両親は猛烈に怒り
 家には絶対に入れないと言って居るそうです。

 帰る家も無く産まれて来る赤ん坊を抱え
 アパートを借りるお金もミルク代も無いタイタイを不憫に思い
 僕はタイタイにそっと五万ペソ(12万円)を渡しました。

 一年間子供を育て家を借りる費用にと。
 何か在ったらチェチェに連絡出来るようにと
 プリペイドの携帯電話を買い与えました。

 そして港まで連れて行き、当日の船の切符を闇で買い

 お弁当を買い
 船のデッキ席は寒いので僕の着ていたジャケットを羽織らせ
 チェチェを一緒に船に乗せて、ミンダナオに帰しました。

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 其れからタイタイはどうなったのか。

 アパート代にと渡した5万ペソでしたが。
 ミンダナオに着いたタイタイは電気店に行き 
 1万5千ペソ で大型のラジカセを買って家に帰ったと云います。

 それを見た弟が大喜びをし
 両親はタイタイを温かく家に迎え入れたといいます。
 目出度し 目出度し。

 その後タイタイに何度か電話を入れましたが全く通じません。

 多分、携帯電話は売ってしまったのでしょう。

 チェチェに連絡はないのか。
 僕から5万ペソが渡った事を知ったチェチェとタイタイは
 田舎で大喧嘩になり友達付き合いが無くなったと云います。

 五万ペソ 畏るべし。
 
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 チェチェの親はどんな人なのか興味有りますか。

 ミンダナオのB市には2度行きました。
 親は勿論従兄弟まで15人程が空港で出迎えをして呉れ
 ホテルのレストランで食事をしました。

 チェチェの両親は英語は喋れません。
 父親はビールを注文しました。

 一杯が二杯、其れが三杯、次はウィスキーになり
 酒ばかりを喜んで飲んでいました。

 折角来て呉れたのだからお母さんにテレビでも買ってあげようと
 家族を連れて電器屋さんに行きました。

 そこでお母さんが気に入ったのがカラオケセットです。

 テレビは6,000ペソから有りますが
 カラオケは40,000ペソ。桁が違います。

 店員の説明を食い入るように聞きその場を離れる気配は有りません。
 遠くから眺めていた僕の元にチェチェが来ました。

 「お母さんがカラオケセットが是非とも欲しいと言っているの」
 「でも値段がマッタク違うよ」と僕は言いました。

 チェチェは母親の元に戻り、30分が経過しました。 
 僕は根負けしました。
 OKを出し、お金を払い

 両親と家族は
 全員で戦利品のカラオケセットを店から運び出しました。

 僕は母親の近くに行き「此れで明日から歌手になれるね」
 と話しかけると、引きつったような顔で頭を振りました。

 とうとうカラオケセットを買った有難うの御礼は
 一言も有りませんでした。

 娘には有難うと言っているらしいのですが
 お金を払った僕には笑顔も見せないのです。


 これは何もチェチェの両親に限った事では無いのです。
 此処で日本人には決して理解出来ない
 この御礼無しのフィリピン人気質を説明します。

 社会保障も何も無いフィリピンでは従兄弟までが家族です。
 お互いが助け合って生活を支えています。

 お金が無い時、食べ物が無い時、健康を害した時
 家が壊れた時、父親が不明の子供を産んだ時
 何も言わずにお互い助け合うのです。

 日本でも年老いた親の面倒を見れない子供は叱責を受けます。

 フィリピンでは
 自分にお金が有るのに家族の困窮を救おうとしない人は
 ヒトデナシ、極悪人なのです。

 でも此れは貧乏人の中だから通用する事です。
 ポケットに20ペソしかない人が従兄弟の為に全財産を投げ出しても
 20ペソが限度です。

 それは誰もが分かる事で、皆 彼に感謝するのです。

 
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 此の家族の中に外国人、取分け日本人が入ったらどうなるか。
 金額はエンドレスに成るのです。
 20ペソが2万ペソ、20万ペソ、2百万ペソになります。

 あっと云う間にムシリ取られ
 一文無しで帰国する日本人が居るのは此の為です。

 娘が日本人を連れて来ると家族は大喜びし
 家族が何時の間にか増え
 そして終に誰も働かなく成ります。

 お金が有るのに働くのは馬鹿なのです。

 此れが国民の80%を占める貧乏フィリピン人の常識なのです。

  此の家族が困窮した隣人から借金の申込みを受けて断ると
 ヒトデナシとして殺される事すら有るのです。 

 だから上流は勿論、中流のフィリピン人は
 貧困層のフィリピン人とは決して結婚しないのです。

 トラブルを避けるためにも!。
 フィリピンは完全な階級社会なのです。

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 人間は皆平等だと信じているのは御目出度い外国人だけなのです。
 そしてトラブルが起き、誰かが不幸になる。

  先進国の経済援助にソックリでは有りませんか。

 Embarrass(エンバラス)と云う単語御存知ですか。
 フィリピンではヨク使います。

 助けてあげて、エッ御礼は言わないの? と聞くと
 you embarrass me.と怒ります。
 私を辱める気なのか と云う意味です。

 「親切にしてアゲテモ決して御礼の言葉は求めるな」
 立派な言葉ですね。
 但し助ける側が言えば!。

 助け合い精神のフィリピンでは個人の境目が曖昧なのです。
 独立した個人の意識が希薄なのでしょう。

 相手が金持ちの外国人なら尚更御礼は要りません。

 政府開発援助、幾ら支出しても、汚職で消えてしまい
 国民から感謝の気持ちは聞けません。

 援助を受ける側が先進国と同じ努力と独立意識があれば
 援助は将来に大きな実を結びます。
 でも相手を見て援助はするべきです。


 サテ you embarrass me と云う相手と付き合うべきなのか。
 悩むところです。
 格してフィリピン人は国も個人も御礼は言わないのです。
 分かりましたか。

  僕も実のところよく分かりません。 
  ただムカツキマス! 
  ざけんじゃねえ って! 

 チェチェと知り合って未だ3ヶ月の僕は
 フィリピンと云う社会やフィリピン人を知りませんでした。

 日本人の友人は色々と親切にアドバイスして呉れました。
 でも如何しても彼らの云う不思議ワールド、フィリピンが
 ピンと来ませんでした。

 何故かLOVE です。 I love you. I miss you.です。

 人間は幾つに為っても欲望には弱い。
 慾があるから詐欺にも引っ掛かる。
 でも人間として 相手を罵倒だけして終わりたくはない。

 こうして痛い授業料を払って大人に成って行くのでしょうね。
 LOVE って言葉恥ずかしいですね 書くのに勇気が要りました。

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 僕はチェチェとコンドミニアムを借りて住みました。

 夜半に寝室の格子窓から月明かりが射しこみ
 チェチェの浅黒い裸体に格子縞の陰が写りました。

 膝を開いて唇を這わせ
 小さなボタンに舌を絡め
 いつまでも頬にチェチェの内股の感触を楽しんでいると

 やがて細く浅黒い肢体は胸を反らせ
 格子の陰が柔らかい腹から小さな胸へ捩じるように移動します。

 いつしか詰まるような声が小さく
 やがて息を吸うのに合わせたような
 低く長い声が寝室の床に零れて流れ出しました。

 チェチェは身体を反し足を開き頭を下げ胸を下にして
 ベッドに着け尻を上に持ち上げました。

 浅い息を吐くチェチェの背中には月明かりが格子状に映り
 身体の移動に合わせて月明かりも捩じるように
 彼女の背中を動き廻るのでした。

 シャワールームを一緒に使い
 チェチェを左腕に抱いてベットに倒れこみ
 僕たちは長く長くお互いの唇を貪りあいました。

 外を走り行くジプニーのエンジンの音
 遠くで聞こえる爆竹の音、こうして夜は更けて行くのでした。


 チェチェは一週間は笑って過せるのですが
 徐々に機嫌を悪くし終には叫び始めるのでした。

 僕が資格試験の勉強を続けていると機嫌は一層悪く成り
 物は投げ就ける、噛み付いてくる。

 外室して携帯が不通になる処に居た時は
 1時間に20本のミスコールが記録されて居ました。

 会話が成立しないのです。
 ただ不機嫌に叫び拗ねて黙り込む。
 
 クリスマス前
 実家から父親が入院したから至急帰るようにと電話が有りました。

 ハウスメイドで働く子供を実家に呼び寄せる為に
 フィリピンではクリスマス前には親が危篤になるのですが
 此の時もそうでした。

 長く為るかも知れないと
 大きなバックを買い高価な靴・サンダル、服を総て持たせ
 入院費を用意し彼女を船まで送りミンダナオに返しました。

 二週間後に帰ってきたチェチェは100円の安い靴を履き
 無地のTシャツにビニール袋一つだけを持っていました。

 買って上げた綺麗な服や高価なサンダルは如何したのと聞くと。
 恥かしそうにニャッと笑い
 「お母さんと御姉さんに全部獲られてしまったの」と言いました。
 
 お父さんの病気はと聞くと
 お酒の飲みすぎで一時病院に行ったけれど
 入院はしなくて済んだと言いました。

 入院費として渡したお金はと聞くと。
 「弟に営業用のトライシクルを買ってあげたの」と言いました。
 そうか・・そうか・・そうか  そう来たか 
  
 いくらチェチェ本人が I love you. I miss you.と
 本気で思っていても親兄弟家族は
 完全に娘を使った営業モードに入っているのでした。

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 フィリピンにはボホールという島があります。
 其処にはターシャという猿科の蛙のような可愛い動物がいます。

 観光客は両手の平にターシャを乗せ
 満面の笑みで記念写真を撮るのです。

 僕たちもボホール島に行き
 チェチェはターシャとの記念写真を撮りました。

 チェチェはフォトジェニックな娘でした。
 僕は其の写真をプロに頼みパステルの20号程の絵に仕上げ
 額を付けて部屋に飾りました。

 笑顔がとても素敵な仕上がりで
 僕もチェチェも大満足していました。

  チェチェの為に善かれと考え身受けしました。
 此の娘の生涯に責任を持とうとも考えました。

 欲しい物を買い与え
 チェチェを喜ばせる為に
 親にも家族にも充分な事をしたつもりでいます。

 でも彼女は一週間経つと叫んでばかりいました。
 とうとう僕の忍耐力の限度が来ました。

 チェチェはまた何度目かの家出をして
 叫びながらミンダナオに帰りました。

 実家に帰るとまた親に諭され戻って来るのですが
 僕は今度こそはハッキリ言いました。

 「君は違う仕事を見付けた方がイイ」と。

 違う女が出来たのかと聞かれました。

 そんな事は有りませんでしたが。

 そうだと答えました。
 チェチェはボホール島での絵を取りに戻りたいと言いました。
 数日後チェチェは現れました。

 僕は勝手に身受けし
 彼女の人生に思わぬ大きな影響力を加えてしまい済まなかったと
 非を侘び

 今後の人生の再出発の為にと100,000ペソを渡しました。

 フィリピンでは手切れ金の考えは有りません。
 フィリピンの別れは必ず喧嘩ですから
 憎むべき相手にお金を贈る事は理解出来ないのです。

 不意な出来事に思わず神妙に成ったチェチェに言いました。
 「前の置屋に戻るのなら僕は身受け料の返還を主人に申し出るよ」
 「他の置屋にも行かず、ミンダナオで親と一緒に商売でも始めなさい」

 10万ペソ有ればB市では家が3軒買えるのです。

 チェチェはミンダナオに帰りました。
 さてその後チェチェは如何いう人生を辿ったのか、
 彼女の人生は未だ始まったばかりです。

 今25歳だと思います。

 商売で実業家に成るのか
 また別の置屋に行って働いているのか
 結婚して畑を耕しているのか

 はたまたアブサヤフに戻って山の中を行進しているのか。
 僕にも分かりません。

 ただ6年前に出会った甘い甘い日本人は
 今では可也厳しい目でフィリピン人を見るように成り
 同情と云う言葉を失いかけている事は事実です。

 頭掲の写真に写っている誰かを見かけたら
 チェチェは今どうしているのか
 タイタイは無事に子供を産んだのか是非聞いて見て下さい。

 心の何処かで
 未だ気遣っている日本人がいる事も是非付け加えて下さい。

 永くなりましたが 駄文に御付き合い戴き 有難うございました。 
                

さようなら


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