かつて日本の音楽シーンに、
SCARE CROW (スケアクロウ)
というバンドが存在していました。
このバンドは孤高のバンドだと思います。

DCF00026


一応ビジュアル系シーンに
カテゴライズされていながらも

プログレ、アートフォーク、ノイズ、ニューウェイブ
はたまたジャズの要素も取り入れて
独自の音楽に昇華させていました。

またその世界観は純和風。
幽玄かつ耽美で、難解ですらありました。

匂いたつような妖艶な美声、自由自在に変幻する
つかみどころのないメロディー。
ジャズロックのような手数の多いリズム隊。

静寂と、それを打ち破る喧騒を、
自在に使いわけ

無機質な打ち込み音、波の音、
虫の声、川のせせらぎ、
無邪気な子供の声、風鈴の音、
心臓の鼓動、などのサンプリング音で、
ヒトの心象風景の輪郭を浮き彫りにしていました。

一応インディペンデントでの活動でしたが
高度なテクニックが可能にする、
唯一無比の音楽性を実現していた
アート指向の強い、4人組のロックバンドでした。

だが、たった一枚のアルバムを残して、
あっさりと解散し
ヴォーカリストを除き、音楽シーンから
全く姿を消してしまいました。

時代は流れ、彼らの音楽の本当の価値に
気がついた音楽ファンの間で
再評価の兆しが高まり、
もはや伝説扱いをされているバンドです。

スケアクロウがたった一枚残した手掛りが
1994年11月11日にリリースした
「立春」というアルバムです。

立春ー広告

このアルバムはいわゆる当時の
ビジュアル系シーンの中で
リリースされたものですが、
音楽性が難解で高尚過ぎて、
完全に浮いていました。

このアルバムを手にした当時、
私は中学生でしたが、
彼らの独特の世界観の
虜になっていました。

曲名ひとつとっても難解で、
辞書にも載っていない言葉もありました。

「立春」
詩箋の上の日本猫
きいろ結え
ニダイ
鳴り行く雨

陽時計と日々記
美娼

一応、トラックは分かれているのですが、
曲間はほとんどありません。

またこれはスケアクロウの
全楽曲の特徴なのですが、
変拍子が多く難解で
唄い方も独特で、日本語の唄も
まず歌詞は聞き取れません。

しかし前衛音楽にありがちな、
難解な事による違和感や、
長尺で展開が多い事による
ストレスは皆無で、
全編心地よく一気に聴けてしまう
不思議なアルバムです。

うまく言えませんが、
難しい事をやっているのに、
リズムを始め鳴っている
バンドアンサンブルが全て心地よく、
曲順もこれ以外は想定できない
完璧な曲順なんです。

また、曲間が短く、
アルバム全体で20分という尺ですが、
そのアルバムが持つ空気感が気持いいんです。
(アンビエントミュージックではないのですが)

ちなみブックレットに歌詞は一切載っていません。
後に出る「プロモビデオ」に
立春の歌詞は封入されていました。

ただ、「立春」の世界観を読み解くヒントとなるであろう
以下の詩が掲載されていました。

(以下、アルバム「立春」ブックレットより)

========================

詩箋の上の日本猫 枯れ山の下に住む人のように目覚め
時間をかけて息をする
上から覗き込む日本猫の小さな顔は
私の視界の青空を少し減らし
詩人の絵を見ることをすすめる
きいろ結え 色の流れが丸い硝子をゆらし
響きわたるその音は
歩き方の習い唄
足の形を知る今
ニダイ 細い縄への扉が開く
盲目であるがゆえの光
遠巻きに人の目が集まる
銀の指輪をつけたままで
何か言葉を交わしている
上がった幕は見ずに歩く
そうする事が
良い靴を見つける方法
鳴り行く雨 昇る川は
私の犯した鎖の数や強さよりも
さらに深く重く冷たい
十良く従えたとしても
時雨はやまない
天を仰ぐ手がなければ
籠 どんな場所にも影がついて回る
人の精神の行き来する 正常と異常
さらに多くの点と線 上下の判定
白い箱の中に入れられた数々の足も
一つとして同じものは無い
もうそろそろ気付くべきだろう
陽時計と日々記 もう十年も前に見た鬼燈
まだ東よりの陽射しが想いをひく
緩く流れる風と歩み
重ねてきた頁に見る壁の色彩
美娼 唄声は光の形にならず
身をやつしても麗句をまとい
唾棄すべき花の心は
今も忘れられない
多くの月日が流れても
芸妓が語る夢物語
この声が枯れ無くなったとしても
本当の事が知りたい
立春 月を見ない
   石を見ない
   時を見ない
   川を見ない
   山を見ない
 峠を見下ろす頂
 まだ夢を見ない
   風を見ない
   体を見ない
   影を見ない
   色を見ない
木の根元に置いてある手紙
どんよりとした雲からたくさんの人の苦楽
人が足を引きずりながら歩いていく音
全ての鍵の箱には鐘が付いている 大きな 大きな
雨が降り小羊を連れた人がやって来る 
その時にも鐘が鳴る
風の力ももう感じられぬほど緩やかなものと変わっている
もっともっと沢山の小羊を深い緑色の籠の中に詰めて 
1匹づつ話を聞かせてもらう
やっと「何十年待ったかいがあった」と 鍵の箱に入った
日々記に書くことが出来る
ずっとずっと荷の無い荷車を押し続けて来た 
荷車のことを小羊たちはなんて言うだろうか
最後に出会う小羊はやはり何か教えてくれるのだろうか
山間に陽が沈む頃には眠ってしまう 
陽が沈む最後を見ることは出来ない
誓いはたてず迎えの山羊を待つ陽時計
その鐘の音を聞き春は終わる

========================

この詩を読んだ率直な感想ですが、
かなり神がかった山岳信仰というか
人間目線で書かれた詩ではない
イメージをもちました。

衣食住の全てを、山をはじめとした
自然からの恩恵により賄い
生活している、自然の雄大さと厳しさを知る、
山間に生きる人たちの
感情の機微が、人間ではない、
人智を超えた目線で描かれていると感じました。


→part 2へ続く