拝観受付でいただいた栞の句を詠みながら、金福寺を眺めてみる。
憂き我を さびしがらせよ 閑古鳥 芭蕉
松尾芭蕉は金福寺の鉄舟和尚と親交を深めたことから、金福寺の丘に立つ庵は、やがて「芭蕉庵」と呼ばれることになった。芭蕉のこの句は、もともと「憂き我を さびしがらせよ 秋の寺」だったものを、推敲を重ねて「閑古鳥」になったのだとか。
憂い=さびしい=秋の寺だと、言葉から連想するイメージはひと繋がりで平板な印象を受けるけど、憂い=さびしい⇔閑古鳥(カッコウ)として、季語を夏にしつつ、鳴きやまぬカッコウの声を句に登場させることによって、憂いを帯びた「我」の存在をいっそう際立たせる。
芭蕉の死後、庵は荒廃するが、それを与謝蕪村が再興する。
耳目肺腸 ここに玉巻く 芭蕉庵 蕪村
「玉巻く芭蕉」が季語。「玉巻く芭蕉」とは、若葉の美しい芭蕉の喩え。
芭蕉庵とかけているのは、言うまでもなく。
芭蕉庵からちょっと登ったところに蕪村の墓がある。
我も死して 碑に辺(ほとり)せむ 枯尾花 蕪村
自分が死んだら碑(芭蕉の碑のことだろう)のそばに葬られたい……生前の蕪村がそんなふうに詠んだことから、弟子たちがここを蕪村の墓としたのだろう。
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