2007年06月04日

【想】若冲逍遙


石峰寺の石仏
五百羅漢の石仏のひとつにそっと手を置くと、不思議と気持ちが和らいだ。
竹林の葉が風に揺られ、さわさわとこすれ合う音が耳に心地よい。
時折、近くを走るJR奈良線と京阪電車の走る音が聞こえてくる。
石仏たちの顔を眺めていくと、目を閉じて穏やかな表情を浮かべている者、澄ました顔をしている者、苦い顔をしている者、何ともいえないコミカルな表情をしている者……実に様々な表情が並んでいることに気が付かされる。
僕は、石仏に触れた手を置き直した。
そして、石仏の頬のあたりを撫でてみた。
風化し、輪郭のぼやけた石仏の顔は、ごつごつとした感触だった。
何かを感じることができるだろうか。
そう思いながら、二度三度、撫でた。

伏見区深草。石峰寺。
今から二百年以上の昔、伊藤若冲はこの寺の門前に庵を結び、85歳でこの地に生涯を終えた。
石峰寺のこの石仏群は、晩年の若冲がデザインを手掛け、職人に彫らせたと言われている。釈迦の誕生から涅槃までを物語性豊かに表現し、若冲の敬虔な仏教徒としての一面と、ユニークな芸術家の一面とを垣間見せてくれる仕事だ。
寺の周辺は、現在は住宅地となり、閑静な雰囲気を保っている。山門までの階段の入り口は家々の中にまぎれ、案内の立て札がなければ見落としてしまいそうだ。
階段を登りきると、黄檗宗の寺院ならではの中国風の小さな山門が佇んでいる。境内に足を踏み入れると、たくさんの草花が所狭しと植えられており、花々が季節ごとに拝観客の目を楽しませてくれる。お寺の人の細やかな気遣いが感じられるようだ。また、ここは紅葉の季節も楽しい。
拝観料の三百円を払って境内の奥へと向かう。
墓地の一角には若冲の墓と筆塚が立っている。やはり若冲にゆかりのある相国寺には遺髪が納められているが、この石峰寺の墓地に若冲は土葬された。
僕は墓に向かって手を合わせた。
そして、後ろを振り返る。この高台の地からの見晴らしは良く、街並みを見渡すことができた。午前中に降った雨は上がっていたが、風が強く、空にはまだ厚い雲が垂れこめていた。
若冲は、今もこの場所で、京都の街の外れを眺めている。

II

三の丸尚蔵館で公開した「動植綵絵」の図録(左)
相国寺承天閣美術館「若冲展」の図録(右)
2007年6月3日まで行われていた相国寺承天閣美術館の「若冲展」は、入場者数も十万人を突破し、江戸絵画のファンのみならず、世間にも広く受け入れられ、2006年夏からのプライスコレクション「若冲と江戸絵画」展とともに、あらためて伊藤若冲が人を集めることのできる画家であることを印象付けた。
会期も半ばに差し掛かった頃には、関西方面ではテレビで特集が組まれて紹介されるなどして話題が膨らみ、連日、2時間とも3時間ともいう待ち時間の中で人々が行列を作るほどの過熱ぶりだったようだ。
会期の初めの頃に行った僕にとっては、ちょっと信じられない数字だ。たしかに「混んでいるな」とは感じたけれども、それでもあらかじめ思っていた範囲内の出来事だったし、ストレスを感じるほどではなかった。それが、2時間とか3時間待ちだなんて。

たしかに、今回の若冲展は、それだけのインパクトを持つ展示内容だった。
若冲、渾身の代表作「動植綵絵」全30幅が皇室(宮内庁三の丸尚蔵館)から相国寺に里帰りし、相国寺の「釈迦三尊像」3幅とともに全幅公開。こうして33幅が揃うのは、約120年ぶりのことだった。まさに真打ち登場。
「動植綵絵」は1999年から2004年にかけて、1年に5幅ずつ、大がかりな解体修理が行われていて、その後、2006年には宮内庁三の丸尚蔵館にて、6幅ずつを約半年かけて公開された。
このときは無料だった上に、訪れる人も多くなく、ゆっくりじっくりと鑑賞することができたのだったが、やはり承天閣美術館で全幅が並んだ姿を実際に見渡してみると、息が詰まりそうな濃密な世界に圧倒され、全幅揃ってこそ初めて感じる若冲の世界観に触れることができたような気がした。

承天閣美術館「若冲展」
周知の通り、「動植綵絵」は、元々は若冲自身が相国寺に寄進し、相国寺で大切に保存されてきたものだった。ところが、明治の廃仏毀釈の中、疲弊して存続の危機の真っ只中にあった相国寺は、明治22年、京都府知事の斡旋によって「動植綵絵」全幅を皇室(宮内庁)に献上する。その見返りとして一万円を下賜され、これによって相国寺は寺域を守り抜き、現在に至っている。
若冲の「動植綵絵」が存在しなければ、相国寺も現在とは異なる姿になっていたのだろうし、相国寺が「動植綵絵」を献上した(売却した)相手が皇室でなければ、おそらくは散逸し、こうして我々の目にふれることもなかったかもしれない(実際に、海外からの買い手がいたが、当時の住職が拒否したというエピソードも残っている)。歴史の綾とは本当に面白いものだと思う。
江戸時代から明治期にかけては、年に一度の相国寺の法要である観音懺法に際して「動植綵絵」の全幅が掲げられ、多くの市民が訪れてこれを鑑賞し、出店が並ぶほどの賑わいを見せたというから、もしかしたら、今回の若冲展の狂熱ぶりは、それに近いものがあったのかもしれない。
次に「動植綵絵」全幅を見る機会に恵まれるのは、いったいいつになるだろう?

III

若冲作品を多く所蔵する京都国立博物館や細見美術館で、もしも実物の画を見る機会に恵まれたとしても、我々はガラス越しにしか眺めることしかできないだろう。
けれども、たった一度だけ、建仁寺両足院で若冲の軸を間近に見る機会に恵まれたことがある。2006年の冬の特別拝観の企画に際してのことだった。これも今となっては良い思い出だ。
長谷川等伯の襖絵と向かい合うように、若冲の「雪中雄鶏図」は床の間に掲げられていた。
息を吹きかけないようにハンカチを口に当て、間近で見た若冲の画は、ただただ繊細だった。等伯の襖絵と比べたらあまりにも小さな作品で、雪の中に描かれた鶏はどこか寂しげな様子だった。弱々しく、はかなげな印象さえ受けた。
落款には「平安城若冲居士滕汝鈞畫於錦街陋室」と記されていた。
"平安城"とは平安京。要するに京都のこと。
"若冲居士"が号で、"滕"は氏、それから"汝鈞(じょきん)"が名。
"畫"は画のこと。
"於錦街陋室"は「錦の街の自室に於いて」の意味。
京都の若冲居士こと伊藤汝鈞が錦の街の自室に於いて描いた画、となるだろう。
これによく似た構図のもので、やはり「雪中雄鶏図」と呼ばれる一幅が細見美術館に存在する。こちらの落款は「景和」とのみ記されている。
雪中雄鶏図(両足院) 雪中雄鶏図(細見美術館) 南天雄鶏図は動植綵絵のひとつ


二つの「雪中雄鶏図」は、ともに30代前半から半ば頃と思われる初期の作品で、若冲はこうやって同じモチーフの画を繰り返し描くことによって、画技の鍛錬を重ねていたのだろう。
鶏の佇まいは、どこかおぼつかなげな様子だ。下を向き、何かを探しているかのようだ。後年の「動植綵絵」の鶏たちに見られるような、大げさなまでに胸を張り、見得を切るようなポーズは、ここには微塵も見られない。後年の鶏たちが堂々とした威厳を備えているのに対して、初期の鶏たちは不安そうで、自信もなさげな様子だ。
もしかしたら、これは画家・若冲の心理が、そのまま鶏たちの姿に表れているのではないだろうか。
一介の絵師としてスタートしたばかりの若冲が、どのような道に進んでいくかを見極めようと模索している姿を、雪の中でうつむいている鶏たちに重ねてみる。それから、やがて自らの画技に油が乗ってきて、描くべき世界を見つけて突き進んでいく若冲の姿を「動植綵絵」の鶏たちに重ねてみる。
若冲が生涯を通して何度も何度も描いた鶏たちは、画家自身の姿の投影でもあった。そのような想像をめぐらせてみると、鶏たちの姿も、また違って見えてくる。

IV

相国寺で若冲展を見た帰り、僕は石峰寺に立ち寄って、若冲の五百羅漢に再会したのだったが、実はこの時、すでに石仏の一部が破壊されていたということを、後になってニュースで知った。
石仏に面と向かい、石仏に手を当て、何かを感じようとした僕であったが、石仏の悲しみには気が付かなかったようだ。
心の動きを水面に喩えるとするならば、僕のは薄く濁っているのだろう。

若冲の墓の前を辞し、石峰寺の赤い山門を出た。
空を見上げると、厚く覆った雲の色が怪しかった。
風が強く、少し肌寒さを感じた。
そのとき、ぽた、と顔に水滴が当たった。
雨だった。
またひとつ。またひとつ。
それ以上は天気が悪くならないことを願いながら、僕は山門からの階段を小走りで下っていった。

石峰寺境内の若冲の墓と筆塚

このブログ開設以来、初めてちょっと長い文章を書いてみました。最後までお読み下さった方、もしもそんな方がいらっしゃったら、お付き合いいただきありがとうございます。思うこと感じることがあったら、たまには長い文章も書いてみたいなと思う今日この頃です。

【参考文献】
目をみはる伊藤若冲の『動植綵絵』(狩野博幸・小学館)
もっと知りたい伊藤若冲―生涯と作品(佐藤康宏・東京美術)
奇想の系譜(辻惟雄・筑摩書房)
・「動植綵絵」図録(宮内庁三の丸尚蔵館、2006)
・「若冲展」図録(相国寺承天閣美術館、2007)


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この記事へのコメント
はじめまして、「若冲」で調べていてお邪魔しました。

相国寺に行かれたんですね。とてもうらやましいです。
今名古屋でやってる展覧会には明日行ってみるつもりなんですが、
相国寺のほうは気がついたら終わっていて、ショック受けてるところです。

美術の知識も少ないし、画を見る目もないんですが、明日の名古屋でどんな驚きが待っているか、今から本当に楽しみなところです。

それにしても「動植綵絵」はぜひ拝見したかったです・・・ガックシ
Posted by 赤ガエル at 2007年06月05日 21:38
いつも写真は見せていただいてましたが、味わいのある文章も書かれるんですね。
わたし、若冲さんのことはよく知らないんですが、ついつい引き込まれてしまいました。
石峰寺のお地蔵さんを見てみたいです。壊されてしまったのは悲しいですね。
何でそういうことをするんだろう(>_<)
Posted by tomo at 2007年06月05日 22:54
>赤ガエルさん
プライスコレクションの方はいかがでしたでしょう?
「動植綵絵」は宮内庁のものなので、外に出すのはなかなか難しいとは思いますが、
これからも、少しずつでも見せてくれればいいなぁ、と思います。
あんまり大々的にやると人がすごいので、また三の丸尚蔵館でこっそりと、とか。

>tomoさん
石峰寺の一件は人為的なものかどうかはっきりとしていないみたいですが、
もし人為的なものだとしたら、本当に何でそういうことをするんでしょうね……(´・ω・`)
意味が分からないですよね!
Posted by 石庭 at 2007年06月06日 22:56