2007年07月29日

山紫水明処

鴨川にかかる丸太町橋の上から西を眺めると、周辺の民家に囲まれて、茅葺き屋根の小さな家が佇んでいるのが見える。
文化文政時代の学者・頼山陽(1780〜1832)の書斎だった「山紫水明処」である。晩年の山陽はここに「水西荘」と名付けた住居をかまえ、今はわずかに、この書斎だけが当時の姿を残している。
山陽はここで「日本外史」などの著作を執筆した。

「山紫水明」といえば、今では風光明媚な地を喩える言葉として用いられているが、これは頼山陽がここの書斎を「山紫水明処」と名付けたことから、一般的に使われるようになった。
王勃(おうぼつ、唐の詩人)が春の夕暮れを詠んだ詩に「煙光凝暮山紫」とあり、また、杜甫(とほ、唐の詩人)が夏の朝を「残夜水明楼」と詠んだことから、山陽はこれらの詩を借りて「山紫水明」という言葉を作り出した。



当時は、書斎から東山三十六峰を眺めることができ、また、江戸時代の鴨川は川幅が広く、書斎のすぐ下を川が流れていた。
しかし現在は、護岸は整備され、対岸に建つビルが眺めを遮る。
「山紫水明」と呼んだ当時の姿は、もはやどこにも見当たらない。


見落としてしまいそうな山紫水明処の入り口。
事前予約制で拝観が可能だ。

※写真をクリックするとちょっと大きな画像を表示します。

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