2007年08月12日

【展】日展100年

日展100年六本木の国立新美術館で開催中の日展100年。1907年の文展(文部省美術展覧会)開催以降、帝展(帝国美術院美術展覧会)〜新文展〜戦後の日展(日本美術展覧会)の100年の歩みを俯瞰する企画。
この展覧会の「一目でわかる!日本美術この100年」「日展の歴史をたどれば、日本美術のこの100年がわかります」という謳い文句には、ほんのりと反発を覚えるかもしれないが、それはおそらく普通の反応で、すなわち日展の100年とは、良くも悪くも「アカデミズム」「権威主義的」な日本美術史の一面でしかないからだ。文展当初でいえば、洋画では黒田清輝が、日本画では岡倉天心が、画壇の中心で指導的な役割をはたしていたわけである。
たとえば1910年代の文展の洋画を見てみると、黒田が主導する"外光派"的な作品ばかりが目立ち、実に退屈だったりする。同時代のヨーロッパでは、すでに前衛美術が佳境を迎えつつあったことを考えれば、何とも平和的でさえある。
すると当然、文展に反発し、分離を試みる一派が出現するわけだが、そう考えると、良くも悪くも文展のアカデミズムは、いつも画壇の中心だったという解釈もできる。それは、戦後の日展になってからも同じで、たとえばアンデパンダン展は反権威・反アカデミズムを標榜し、日展の向こうを張る前衛美術の一大ムーブメントだった。

……と、まぁ、そういった堅苦しい日展の歴史を抜きにして、まっさらな気持ちで画を眺めてみると、とくに目を惹かれたのは、戦後の日展を飾った大家と呼ばれる人たちの日本画。
山口蓬春の「夏の印象」は、まるでアクリル絵の具で描いたかのような、明るい色遣いと、軽妙で即興的な線描。画面いっぱいに屋根瓦を描いた福田平八郎の「雨」は抽象画そのものだ。今でも大人気の東山魁夷 「秋翳」は、シンプルな画面構成の中に高い詩情をたたえていて美しい。
それから、これはとても面白いな!とついつい見入ってしまったのが、木のパネルと色漆を使って描いた山崎覺太郎 の「漆器 空 小屏風」。これは、すごく良かった。

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