2007年09月25日

毘沙門堂

山科駅から歩くこと約20分。
なだらかな坂を上がっていくと、毘沙門堂に辿り着く。
さらに急な石段を登ると本堂。

ここまで来ると、あたりは静かで、山の中の鄙びたお寺にやって来たような雰囲気を味わえる。

勅使門へとつづく美しい参道。開かずの門なので、こちらからは入れない。



霊殿と宸殿をつなぐ廊下。



宸殿の障壁画116面はすべて、狩野探幽の養子の狩野益信(1625〜1694)が手掛けたもの。
九老之図、四愛図、梅花禽鳥図など。
これらの障壁画において、益信はとても遊び心に富んだ試みを行っている。
たとえば九老之図では「逆遠近法」という技法を用いて、錯覚を利用した一種のトリックアートを試みている(曼殊院でも同じトリックの襖絵を見ることができる)。
また、梅花禽鳥図(梅の間)では、梅に山鳥(本来は鶯)、竹にヒヨドリ(本来は雀)と、本来の組み合わせとは異なる鳥を描くことによって、言葉遊びの謎かけをしているのである。
すなわち、この<梅の間>に通された客は、放っておかれたままになるそうな。
さて、なぜでしょう……
木と鳥の組み合わせが合わない→鳥合わない→取り合わない

……というわけで、この部屋のお客さんは放っておかれて延々と待ちぼうけ!という、言葉遊びなのでした。

裏手には池泉回遊式の「晩翠園」と呼ばれる庭。









本堂に施された彫刻を見ると、寺院建築らしからぬ意匠であることに気が付く。あちこちの東照宮で見るような装飾に近い。
この毘沙門堂は、徳川家康から家光までの3代に仕え、幕府のブレーンとして力を持った天海が再興した寺であり、徳川幕府の影響下にあったことは想像に難くない。
したがって、こうした装飾などにも、他の寺院とは違う意匠が施されたのだろう。



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