といっても、お坊さんたちのお勤めの様子を見学させていただく、という程度のものだったけれど……とくに間近で見る護摩行はインパクトがあった。
一糸乱れぬ読経の声と太鼓のリズムが耳から頭の中へと響き渡り、メラメラと揺れる炎の動きを眺めていると、トランス状態に陥るような心持ちがしたのだった。
宗教的儀式において、火は時として重要な役割を果たすけれど、もしかしたら人の心を常態ではないものに誘い込む道具としての意味もあるのではないだろうか。あの炎の揺らぎが、催眠術の振り子のような役割を果たすのかもしれない(本当に振り子で催眠術にかかるのかどうか知りませんが…)。

智積院の見どころのひとつは、長谷川一派による障壁画。とくに、等伯の「楓図」と息子・久蔵の「桜図」が有名。もともとは智積院の前身である祥雲寺(豊臣秀吉が息子・鶴松の菩提寺として建立)を飾っていた。
現在の書院には複製が飾ってあり、本物は収蔵庫で見ることができる。
狩野派に対抗して画壇をのし上がってきた等伯は、秀吉の建てた寺の仕事を引き受けることで、ようやく時の権力の真ん中に食い込むことができた……かと思いきや、才能溢れる息子・久蔵は「桜図」を完成させた翌年に急死。等伯の嘆きは深く、以後、画壇の権力抗争からもしだいに後退することになる。
長谷川等伯といえば、シブい水墨画のイメージが強い人だが、この智積院の豪華絢爛な障壁画はまさに野心溢れる渾身の一作、同時に桃山美術を代表する作品として現在に伝わっている。

久蔵の「桜図」の花弁には胡粉(ごふん・貝殻を砕いて作った日本画の画料)が用いられ、よく眺めると、貝殻が輝きを帯びるがごとく、白い発色をわずかに保っているのが分かる。
部屋の明かりを落とすと、この花弁が薄闇の中に輝いて見えるのだ(とはいえ、収蔵庫の明かりを勝手に落としてはいけません!宿坊に泊まると、説明がてら、明かりを落とすという演出をしてくれるかもしれません)。