2008年03月02日

【展】没後50年 横山大観

横山大観横山大観は、マッチョだ。
六本木の国立新美術館「没後50年 横山大観」展を通して、あらためてそう感じた。
大観はマッチョだ。
近代の日本画壇における強大な存在感はもちろんのこと、その画風は壮大で力強く、題材にしても富士山や大海原や龍を描いてみたりする。
大観のそうした趣向については好き嫌いの分かれるところではあるけれども、しかし、こうして大観の画を通して眺めていると、「強くあらねばならない」ということを自らに課し、自分に妥協を許さず、画壇の第一線を突き進んできた人なのだろうと感じる。

そして、大観の年譜を眺めていると、ますますその思いを強くする。
大観が生まれたのは明治元年。近代日本の歩みと併走するように、大観は歩んできたのだった。
日本は、日清戦争や日露戦争を体験する中で、欧米列強と肩を並べるべく「強くあらねばならない」ことを課し、性急に近代化を遂げていく。そうした時代の中で、大観は欧米を訪問するわけだが、はたして異国の地で大観は何を思ったのだろうか、と想像する。彼もまた、日本人として「強くあらねばならない」という使命感に駆られたのではなかったろうか。
きわめつけは「横山大観紀元二六〇〇年奉祝記念展」(1940年・昭和15年)に出品された、連作「山に因む十題」と「海に因む十題」だ(通称「海山十題」)。これらの作品は、画の売上げを軍部の軍用機用資金として寄付することを目的に描かれたのだが、ナショナリズムの風が吹き荒れる第二次大戦下で、大観と日本の歩みはぴったりと同調したかのようだ。
横山大観と近代日本の姿は、日本あるいは日本人のアイデンティティを模索する姿として、重なって見えるのだった。

さて、会場は混雑しているとあちこちのブログで目にしていたので、なるべく遅い時間を見計らって、16時過ぎに入場。
入場口付近や、「生々流転」といった絵巻のあたりはかなりの人が溜まっていたので、混雑しているところは通り過ぎて、余裕のあるところから見ていった。その後、閉館30分前くらいになってから、再度、入場口まで戻り、一度見たもののおさらいをしながら、スルーしておいた絵巻などを拾って見ていった。閉館が近くなると、さすがに人もまばらで、思ったほどのストレスもなく、ゆっくりじっくりと見ることができた。
というわけで、横山大観は、そのマッチョな風情がやっぱり僕の好みには合わないのだが、会場をあとにする頃には、ちょっとだけ印象が変わっていたのだった。


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