2008年08月06日

日吉大社(2)強訴の歴史

日吉大社は、比叡山延暦寺と深いつながりのうちに歴史を刻んできた。
最澄が比叡山に延暦寺を建立すると、日吉大社を比叡山の地主神として崇め、延暦寺の守護神とした。やがては延暦寺の末社的な扱いとなり、祭礼などにおいても延暦寺の強い影響下に置かれることとなる。



延暦寺と日吉大社のつながりは、何も穏やかなことばかりではなかった。
11世紀になると、日吉大社の神人(神職)と延暦寺の僧兵は結託し、日吉大社の神輿を担ぎ出して、「強訴」という形でたびたび朝廷に押しかけて要求を行った。
神輿を担いだのは、人々の神仏への崇敬を逆手に取った「神罰」という脅しだった。
時の権力者である白河法皇は、この強訴に手を焼いて、「賀茂川の水、双六の賽、山法師。これぞ朕が心にままならぬもの」と嘆いたとか。



しかし、時代が流れ、織田信長が比叡山焼き討ちを行うと、日吉大社も灰燼に帰し、強訴の歴史も終わりを告げることになる。



それも今は昔の話。
現在の日吉大社は、比叡山のふもとの森の中で、静かで厳かな神域としての息遣いを、我々に感じさせてくれる。










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