
嵯峨野にある祇王寺は、ご存知の通り……というか、その寺名の示すとおり、平家物語に登場する白拍子である祇王が、剃髪し、念仏に専修した場所であるとされています。
祇王・祇女の白拍子の姉妹は、平清盛の寵愛と手厚い保護を受けていましたが、ある時、清盛の前に仏御前という白拍子が現れると、清盛はすっかり魅了されてしまい、寵愛は仏御前へと移ります。よりによって、祇王の取りなしによって、仏御前は清盛の前で今様と舞を披露することができたにもかかわらず、です。皮肉なものです。
その場で退去を命じられるという、とんでもない屈辱を受けた祇王が、去り際に障子に書き残したのが、冒頭の歌でした。

その後、祇王は、妹の祇女と母のとぢとともに、髪を剃り落として念仏一途の生活に入るわけですが、彼らの庵に訪ねてきたのが、なんと、仏御前でした。
仏御前は、祇王がいつか書き残した「何れか秋にあはで果つべき」という歌に、我が身もいつかは同じような境遇になるだろうという思いを重ね、「娑婆の栄花は夢の夢、楽み栄えて何かせん」と告白し、祇王に対して自らの非を侘びます。そして、仏御前はかぶっていた衣を取ると、すでに髪を落として尼の姿となっていたのでした。
祇王は、仏御前のその真摯な姿に胸を打たれ、仏御前を許し、ともに念仏一途の生活に入り、物語は「四人の尼共皆往生の素懷を遂ける」と綴られます。

この祇王のエピソードは、平家物語の思想の核となる「諸行無常」の一端を表すエピソードとしても興味深いですね。
自らの身のはかなさを知り剃髪した祇王、また、その祇王の身に自分の行く末を悟った仏御前。物語の語り手は、彼女たちの身を借りて「盛者必衰のことわり」を示したのでしょうか。

現在の祇王寺は、小さな境内に、小さなお堂が建つのみ。
青々とした苔の上には、飛び石のように木漏れ日が落ちて、美しい。
楓と苔を深緑の翡翠の輝きとするならば、こじんまりとした境内は、小さな宝石箱の趣だ。
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