2008年08月19日

嵯峨野・滝口寺

齋藤滝口時頼には、思いを寄せた女がいました。建礼門院の雑仕女の娘で、名を横笛といいました。
けれども、時頼は父親に交際を禁じられると、父への反発と、現世を「夢幻の世の中」との達観した思いから、19歳の時に出家し、嵯峨野の往生院で修行の日々を送ります。
理由も聞かされずに別れることとなった横笛は、往生院を訪ねて「出家した姿にもう一度お目にかかりたい」と伝えます。その姿を障子の隙間から見ていた滝口入道時頼は、さすがに心が揺れてしまうのでしたが、ここで会ったら心が動いてしまうと思い、寺の者を通して「ここにはそういう者はいない、お門違いだ」と伝え、横笛を突っぱねてしまったのです。



その後、滝口入道は高野山に入ってますます修行に励み、そしてまた、横笛も出家して尼になったということを聞き、滝口入道は一首の歌を贈りました。

  そるまではうらみしかども梓弓 真の道にいるぞうれしき
 (髪を剃るまでは私を恨んでいたでしょう、
       けれども仏の道に入ったと聞いて嬉しく思います)



これに横笛は歌を返し、

  そるとてもなにか恨みん梓弓 ひきとどむべき心ならねば
 (髪を剃ったことをどうしてあなたのせいだと恨みましょうか
       あなたの心は固く、引き止めることはできなかったのですから)

その後、ほどなくして横笛は奈良の法華寺にて亡くなります。
滝口入道はそれを伝え聞き、ますます修行に励み、人から高野の聖と呼ばれるようになりました。



三位中将維盛の出家から入水までの物語に添えられたのが、滝口入道と横笛の、この悲恋の物語。維盛を出家に導いた滝口入道の人物を示す、追想のエピソードとなっています。
そして、この滝口寺が、その悲恋の舞台となった場所とされています。



さて、滝口寺といえば、思い出すのが、中学生の時の修学旅行。
班の自由行動の日に、僕たちは嵯峨野のあたりを巡り、この滝口寺にも立ち寄りました。中学生ながら、なかなかシブい選択だったと思います。
ここで、僕たちは一人のおばあさんによって本堂に招き入れられます。想定外の出来事に、いったいこれから何が起こるのかと、恐々とした気持ちであったことが思い出されます。人里離れた寺の雰囲気と、それから、おばあさんの外見が、何となく浮世離れして見えたせいかもしれません。
そして、おばあさんの口から語られた物語が、この滝口入道と横笛の悲恋の物語だったのです。

僕が中学生だった初夏の日に、僕たちに物語りをしてくれたおばあさんは、現在はすでに亡くなっているとのこと。聞けば、お寺を訪れた人たちに、しばしばこうやって滝口入道の物語を口伝していたようです。
思えば、平家物語は、鎌倉時代の昔より、盲目の琵琶法師たちによって口承で広められてきました。
滝口寺のおばあさんもまた、遥か時代を超えた、平家物語の語り部の一人だったのかもしれません。

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