中国(当時は宋)で修行を積んで帰国した道元が、この地より北の伏見深草に寺院を建立したのが、この興聖寺の始まり。その後、兵火によって荒廃してしまったが、17世紀半ば、淀城主の永井尚政がこの地に再興する。

中国風の雰囲気を持つ楼門をくぐると、境内は閑静、かつ、禅の修業道場としての厳粛な雰囲気が漂っている。

本堂の天井は、伏見城の遺構を移築した、いわゆる血天井。
伏見城で討ち死にした鳥居元忠らの霊を弔うため、血痕の残る床板を天井として供養している。

正伝寺(西賀茂)、養源院(東山)、宝泉院(大原)、源光庵(鷹峰)…そしてこの興聖寺と、血天井をある京都のお寺を拝観するのも、これで5ヶ所目だった。