2008年09月10日

坂本・西教寺に伝わるもの

先日、日吉大社を紹介したきり、坂本編を中断してしまっていたのですが、本日より再開します…。
(鬼門を目指して京都側から比叡山に上がった僕は、さらに鬼門の方角を目指して坂本ケーブルで坂本側に下り、ふもとの日吉大社にお参りして、そこで神の使いである神猿さんに出会ったのだった……というのが、このあいだまでの簡単なおさらい)

日吉大社を後にして、琵琶湖を眺めながら里山風情の道を歩いて行くと、やがて西教寺に辿り着く。
この西教寺には、いろいろな「伝」がある。驚くような「伝」もある。



たとえば、この庭。客殿の美しい池泉式の庭園は、「伝」小堀遠州作。
遠州は近江にゆかりの深い人(といっても、主には長浜あたり)だったので、こうして「伝」の庭が後世に残っているのだろう。あちこちに「伝」小堀遠州作の庭は数あれど、何せ遠州の仕事とはっきりと判明しているものは少ないので、ここは話半分に「遠州風の庭」程度に思っておくのが良いだろう。
とはいっても、部屋の奥から眺めてみると、なかなかに心落ち着く庭だ。



そもそも、西教寺の創建からして、ちょっと驚くような「伝」なのだ。
開創は、何と、あの聖徳太子。推古天皇26年(618年)に、聖徳太子が仏法の師である慧慈と慧聡(ともに高麗の僧)のために創建し、天智天皇8年(669年)に西教寺の名前を賜ったと伝えられている。
もっとも、これは伝説の域を出ない話ではあるけれども。



そして、この客殿内部の襖絵は、「伝」狩野永徳作。
永徳の真作とされる絵は数少なく、もちろん、この客殿襖絵はそこには含まれていない。永徳の真作だったら、こんな場所に飾っておく場合ではなくて、滅多には人目につかない場所に保管されていることだろう。
「伝」はあくまでも「伝」なので、ここは「狩野派絵師による襖絵」として眺めておく。


こちらは書院庭園。
作庭者は不明だが、坂本一帯の穴太衆(あのうしゅう・寺院や城郭などの石垣積みを行った職人集団)の手によるものとされている。



宗祖大師殿の唐門の向こうには、琵琶湖を眺めることができる(電線が……)。
西教寺は、眺望の良い、高台に位置する。



そして明智光秀をはじめとする、一族の墓。



境内の一角に、簡素なたたずまいを見せている。
織田信長による比叡山焼き討ちで西教寺も焼失していたが、坂本城主となった明智光秀が寺の復興に援助をしたため、光秀に縁の深い場所となっている。



※写真をクリックするとちょっと大きな画像を表示します。

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