2008年10月10日

彦根・天寧寺の五百羅漢

1819年のこと。彦根藩の奥勤めの腰元・若竹が子供を宿したらしいとの噂が広まった。
男子禁制の御殿にての出来事であったから、さあこれは一大事。



この噂が藩主・井伊直中の耳にも届くと、大奥の風紀取り締まりのため、若竹に相手の男の名を詰問するものの、若竹は口を固く閉ざして相手の名を明かさない。
とうとう若竹は、不義はお家のご法度であるという掟により、手打ちとなって悲運な死を遂げることとなる。



だが、しかし。
よくよく調べてみると、若竹の相手が直中の長男である直清だったということが明らかになったのだった。



直中も事実を知らなかったこととはいえ、若竹と初孫となるはずだったお腹の子を葬ったことに心を痛め、彼女らの追悼供養のために、京都の仏師・駒井朝運に命じて五百羅漢を彫らせ、ここに安置したのが、この天寧寺の始まり。


本堂と羅漢堂のあいだには「羅漢石庭」。



中央にお釈迦様を表す石、その周囲に配された十六の石は、お釈迦様の説法を聞く十六羅漢にちなむ。



亡き親、子供、いとしい人に会いたくば、五百羅漢にこもれ。
五百羅漢の中には、必ず、自分の探し求める人の顔があるといいます。



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