
歴代の天皇の中で、もっとも在位が短かったのが、この陵墓に葬られているとされる仲恭天皇(別の場所に葬られたという伝承も)。
在位は1221年5月13日〜同年7月29日。わずか81日。
仲恭天皇の祖父・後鳥羽上皇と父・順徳上皇が、鎌倉幕府に対して挙兵した承久の乱の直前にわずか2歳で即位。しかし祖父らが承久の乱に敗れると、後鳥羽上皇と順徳上皇はともに配流され、その筋である仲恭天皇も強制的に廃位させられてしまう。
そして、1234年6月18日に病死。
政治と権力闘争に翻弄された、わずか16年足らずの悲運な人生だった。

仲恭天皇は、長いこと「廃帝」として公式的に即位が認められていなかったが、明治時代になると政府によって85代天皇と認められ、仲恭天皇の名が与えられた。
日本の歴史において、廃帝とされてきたのは、この仲恭天皇の他に、39代弘文天皇、47代淳仁天皇の3人だけ。

東福寺の六波羅門を出て東へ行くと、小高い丘の上にこの仲恭天皇陵があります。
振り返ると、京都タワーが目に入り、京都の街を見ることができる。
静かで見晴らしのいい場所に立つ墓所は、掃き清められ、なかなか立派なもの。これは、短い人生を不遇のうちに終えた天皇を悼む、せめてもの気持ちの表れなのだろうか。
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