
東福寺駅方面から歩いてきて、臥雲橋の手前に善慧院という塔頭があります。
ここが明暗寺。何でもないようなお寺ですが、小さな門をくぐると、右手に苔の庭……庭?

そして、この明暗寺には、東福寺の一塔頭とは別の顔があって、それがすなわち、明暗流尺八の根本道場としての顔です。
時代劇でしばしば見かける虚無僧……顔が隠れるほどの深編笠をかぶり、尺八を吹いて日本全国を行脚する……そんな虚無僧が、今も生きつづけるお寺なのです。

虚無僧は、もともとは普化宗(ふけしゅう)という禅宗の一派の僧を出発点としていますが、江戸時代に入ると、諸国を自由に通行できる特権を持つ一方で、罪人や放蕩人らが虚無僧の姿に身を借りて横行するといった問題も起こりました。
江戸時代中頃になると、幕府はこれを規制し、組織化することによって、幕府の隠密としての役割を虚無僧に与えたといいます。
明治時代になると、政府は幕府との関わりが深かった普化宗を警戒し、これを廃止するとともに、虚無僧の僧侶の資格を剥奪して民籍に編入します(1871年・明治4年)。
けれども、1888年(明治21年)には、東福寺塔頭の善慧院にて明暗協会が設立され、虚無僧と尺八が復活しました。これがすなわち、明暗寺です。
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