2009年01月04日

松島・雄島徘徊〜奥の細道(4)

ところで「奥の細道」において、松島を詠んだ芭蕉の句は掲載されていない。

予は口を閉ぢて眠らんとしていねられず。

句を作ることを断念して(=口を閉ぢて)眠ろうとしても眠ることができない、と述べる。松島の大観の感動の前にして、どんな発句も陳腐に思えてしまったのかもしれず、おまけに、興奮して寝るにも寝付けなくなってしまったようだ。



代わりに「奥の細道」に掲載されたのが、同行した曾良の発句だった。

松島や 鶴に身を借れ ほととぎす

松島で耳にした、ほととぎすの声。けれども、松島の景色を前にして、ほととぎすのままの姿ではふさわしくないから、鶴の姿に身を借りてくれ……という歌だ。



けれども、芭蕉がまったく句を詠まなかったかというと、実はそうではない。

島々や 千々に砕きて 夏の海

という句が残されているが、芭蕉はおそらくこれを気に入らなかったのか、「奥の細道」には掲載されなかった。



さて、雄島。芭蕉は、かつてこの地で修行した先人たちに思いを馳せながら、霊場としての雰囲気を色濃く残す小さい島の中を歩いている。
島内には芭蕉と曾良の句碑が立っていた。
曾良は「松島や鶴に身を借れほととぎす」の句。芭蕉の句は、旅に出る前に詠んだ「朝夜さを誰まつしまぞ片心(あさよさをたがまつしまぞかたごころ)」だ。
“まつしま”には「待つ島」「松島」の二つの意が掛けられている。
朝も夜も松島が気になるのは、誰かがあの島で待っているから……と、それは芭蕉の片思い(片心)に違いなかった。
雄島が磯は地つづきて海に出たる島なり。雲居禅師の別室の跡、坐禅石などあり。はた、松の木陰に世をいとふ人も稀々見えはべりて、落穂松笠などうちけぶりたる草の庵、閑かに住みなし……

雄島の磯は地続きに海に生まれ出た島である。雲居禅師の別室の跡、坐禅石などがある。また、松の木陰には、世間のわずらいごとを避けて暮らしている人の姿もまれに見えて、落穂や松笠を焚いて煙っている粗末な庵は、いかにも静かに暮らしているようだ……。



芭蕉が「落穂松笠などうちけぶりたる草の庵」と記したのは松吟庵という庵であり、これはその跡地。
大正時代に焼失し、昭和に入ってから再建されたが、1983年に再び火災で全焼した。

さらに芭蕉は、見仏上人が修行した見仏堂を訪ねようとするが、すでに見仏堂は跡形もなく、「かの見仏聖の寺はいづくにやと慕はる」と思いを馳せるのみだった。



現在は「妙覚庵敷」と記された標柱が立つのみ。
ただし、こちらは江戸時代に存在した見仏堂(妙覚庵)の跡地であるらしく、芭蕉が訪ねようとした見仏上人の見仏堂が島内のどこにあったのかについては、はっきりしたことは分からないようだ。



見仏上人とは、漂白の歌人・西行を語り手に借りた説話集「撰集抄」の中で、法華経6万巻を読んで法力を身に付け、超能力のような力を用いた上人として描かれる。芭蕉の念頭には、当然、こうした物語があって、「かの見仏聖」の記述となるわけである。



雄島の島内に残る洞窟。ここで修行した僧たちが掘ったものと伝わる。
岩を切り、岩窟を掘り、石仏や卒塔婆などが数多く残る様子は、今なお、霊場としての雰囲気をとどめている。



以上で、松島シリーズは終了です。

この記事へのトラックバックURL

http://trackback.blogsys.jp/livedoor/rock_garden/51332051