2009年03月10日

【想】祇王寺異聞

その小さな庵に、祇王と祇女という美しい姉妹とその母親がやって来たのは、いつのことでございましたでしょうか。
どこで何があったのかは存じませんが、三人は庵に入り、日々、念仏を唱えて暮らしていたのでございます。
まだまだ年若い姉妹が、とくに妹の祇女さまなどは見た目にも年端もいかぬ様子、そんなお二人が母君とともに、日々、念仏三昧、どのような事情があったにせよ、彼女たちの念仏を唱える声を聞いておると、この世の中はいったいに何と無常なものなのだろうという思いが募るのでございました。
それでいて、三人は我が身をはかなむばかりでなく、とくに姉の祇王さまが凛とした雰囲気を身にまとっていたのは、もしかしたらいずれかの高貴な方のもとより世を捨ててきたのであろうと、勝手に想像しておったのでございます。
私は、ええ、その庵の近くに住んでいた縁もございまして、日々の暮らしに必要なものなどを母娘に届けておりました。それはもう、暮らしは大変に質素なもので、時に私が近所の畑で穫れたものなどをお届けすると、たいそうお喜びになられたりなどして、その姿にさえ、私は思わず目頭がじわりと熱くなってしまったものです。



その三人のもとに、一人の若い娘さんがやって来るようになったのは、しばらく後のことでした。
この方も、やはり年若く、見たところ、どうやらただの娘さんではない様子。どことなく、姉妹のお二人と同じような雰囲気を漂わせているのでございました。
けれども、娘さんは庵の門前までやって来ると、中に足を踏み入れることがためらわれる様子で、しばらくその場にたたずんだ後、後ろ髪を引かれるような面持ちで去っていくのでした。
そのようなことが十日ほど続いたでしょうか。
ある時、私は見るに見かねて、門前に立つ娘さんに「もし」と声を掛けますと、たいそう驚かれた顔をした後、途端に表情を崩して涙を流し始め、私も何がなんだか分からぬ事態にうろたえつつも、事情を伺ってみたところ、彼女は白拍子をしていたとかで、同じく白拍子をしていた祇王さま姉妹に対して是非にも謝りたい、謝らなければならないことがある、と告げたのでした。
なんでも、祇王さまのとりなしによって、とある高貴な方の前で自分が舞を披露することができたにもかかわらず、その恩を忘れて祇王さまの立場を陥れるようなことをしてしまった、たった一時の華やかさに目がくらんでしまった自分の行いを悔い、自責の念にいてもたってもいられずに三人のもとに謝りにやって来たものの、なかなか顔を合わせる勇気が出ずに、こうして時間ばかりが過ぎてしまった、とのこと。



そこで、余計なお世話かもしれぬと思いつつ、私が三人とこの娘さんをとりなす役を買って出たのでございます。
祇王さま姉妹と母君は、突然の意外な訪問者にひどく驚き、対面した四人ともども、誰も口が利けぬのでございました。
沈黙が流れていたその時、懐より紙切れを差し出したのが、不意の訪問者である娘さんでした。それは障子紙の切れ端のようで、見ると何やら歌のようなものが書かれているのでした。

  萌出るも枯るるも同じ野辺の草 何れか秋にあはで果つべき

「それは…」と、最初に口をひらいたのは、祇王さまでございました。
お二人にしか分からぬ事情があるのでございましょう、その歌を見た祇王さまの頬に、一筋、涙が流れ落ちたのでした。
娘さんは「こうして屋敷を抜け出してきたものの、今の今まで会うことがためらわれておりました」と告げ、祇王さま母娘三人に頭を下げ、自らの非礼を詫びたのでした。そして、かぶっていた衣を取ると、何と、すでに剃髪して尼の姿になっていたのでございます。
その姿を見た祇王さまら三人は、おそらくそれまでの恨みつらみもございましたでしょうに、そうした気持ちもさっと氷解したように、四人で肩と肩を抱き合い、いつまでも、いつまでも、言葉もなく、さめざめと泣いておるのでございました。

その後、娘さんも祇王さまら母娘とともに庵に入り、朝と夕には四人そろって念仏を唱える声が聞こえておりました。
やがて、年を経ると、念仏を唱える声の主も、一人そしてまた一人と少なくなり、四人ともに往生を遂げたのでございます。



左・祇王、祇女、その母とじ(刀自)の墓
右・平清盛供養塔

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