2009年06月15日

広島・縮景園

広電に乗って。



辿り着いたのは大名庭園・縮景園。
広島藩主となった浅野家初代藩主・長晟(ながあきら)が、1620年頃より別邸として造営を始め、1758年の大火で一度は焼尽してしまうものの、その後、七代藩主・重晟(しげあきら)が全面的に改修。
原爆被災によって壊滅状態となってしまったが、戦後、県が復元に注力し、現在、我々が目にすることのできる庭園となった。



悠々亭からの眺め。



「縮景」という名の通り、各地の景勝地を縮小して表現しているが、もともとは、西湖十景で知られる中国の景勝地である西湖を模して縮景したとも伝わる。


池の中央の跨虹橋(ここうきょう)は、七代藩主重晟が京都より名工を呼び、築かせたもの。原爆にも耐えた花崗岩の強固な橋。



橋の向こうに見える、優雅なたたずまいの建物は…



書院造の清風館。



それぞれの棟を少しずつ前後にずらして配置した雁行形(がんこうがた)の造りは、桂離宮のミニチュア版を思い浮かべます。



こんもりとした木々の奥には、明月亭と名付けられた茶屋。
この明月亭の近くには、原爆で被爆して命を落とした人たちの慰霊碑が建つ。原爆投下直後、この園内は多くの被災者であふれ、そのまま命を落とした人たちの遺体は火葬されず(火葬の火が米軍機に見つかることを避けた)、園内に埋葬された。
戦争が終わり、多くの時間が流れ、発掘調査で亡くなった人たちの遺骨が発見されたのは、1982年のことだった。



ふたたび広電に乗って、縮景園をあとにする。



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