2009年09月06日

【展】ゴーギャン展

ゴーギャンゴーギャンと聞いて思い出すのは、学生の時に読んだ小説、彼をモデルに書いたモームの『月と六ペンス』。それ以来、あまり縁のなかったゴーギャンの回顧展を、東京国立近代美術館にて観覧。
今回はゴーギャンの大作「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」がボストン美術館から初来日ということで話題を呼び、一点豪華主義な展覧会になってしまっているのかな……と思ったら、それなりに作品点数も揃っていて、まずまず楽しめた。
もっとも、ひとつの展覧会としては作品点数が少ないかもしれないけれども、それだけに、中だるみせずに集中して見ることができた。とはいえ、せめて同じ日本国内にある「かぐわしき大地」(大原美術館)を持ってきてくれたら、より良かったのに…という気持ちは否めなかった。

ゴーギャンは、画家としてのキャリアを印象派的な作風からスタートしたのだったが、それらのあまり面白くない時代の作品から、ブルターニュ時代への作風の転換は劇的だ。
ゴーギャンがゴーギャンであることを決定付けるのはタヒチ時代の作品だが、ブルターニュの風景や人物描写には、すでにゴーギャンの個性の萌芽が見える。とくに「海辺に立つブルターニュの少女たち」などは、タヒチ時代の作品にも負けず劣らずの力強さであり、カンバスの向こうの二人の少女のまなざしに釘付けにされてしまう。

ゴーギャン

そして、抽象的で、謎かけのようなタイトルを持った大作「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」。
カンバスに向かっていちばん右には赤ん坊(眠っているのか死んでいるのか判別がつかないくらいグッタリしているが)、そしてカンバスを左へとすすんでいくと、中央に果物をつみ取る人、さらに左へ、画面の端に描かれているのは死に近い老婆の姿。
これは、右→左へ見ていくことで、生(赤ん坊、我々はどこから来たのか)→死(老婆、我々はどこへ行くのか)という物語を描いているのだろうか。もちろん、それだけではない、混沌としたイメージがカンバスには溢れかえっており、それでは我々はいったい何者なのか?…という問いかけは、その混沌の中に飲み込まれてしまうのだった。

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