2009年09月27日

【展】shiftー揺らぎの場

金沢21世紀美術館のコレクション展「shiftー揺らぎの場」は、“視点の移動、感覚の変化、価値観の転換を我々に促し、働きかける”というコンセプトで提示された作品たちであったが、そもそも現代美術の歩みを考えてみると、そうした価値観の転換や感覚への揺さぶりというものが根っこにあるので、取り立てて目新しいコンセプトではないのかもしれない。

とはいえ、このコレクション展は十分に面白かった。
村山留里子のカラフルな絹布の断片をひたすら縫い重ねた目もくらむような巨大な作品は、裏側から見てみると、ステンドグラスのように美しい輝きを放つ。
アン・ウィルソンの映像は、糸くずや針やレース片をひとコマずつ撮影したアニメーション作品。顕微鏡の中を覗いたかのように、微生物がうごめいているようにも見える。
このところ、あちこちで見かけるような気がする須田悦弘の木彫りの作品「雑草」や「葉」は本物かと錯覚するような精巧さ。いや、本物の草や葉と並べられても、もしかしたら見分けることができないかもしれない。

これはレアンドロ・エルリッヒの「スイミング・プール」。



コレクション展ではなく、無料で開放されている交流ゾーンに恒久展示されている作品だが、これもまた“視点の移動”や“感覚の変化”に訴えかける作品だ。
ただし、プールの下の部分を見るにはコレクション展や企画展への入場が必要。このプールを上から見た人は、“水面下”にも行ってみたくなるだろう。こうして有料ゾーンへ導くことも、美術館の狙いなのだとか。



どう見ても「草」や「プール」にしか見えないものが「これは草ではない」「これはプールではない」と言われれば、そこがまさに、我々の感覚が日常から非日常へとずり落ちていく境目になる。
そして、我々が経験的・感覚的に知っていることで周囲を認識し、その認識の上に「私」というものが成り立っているとすれば、経験知を否定されることは「私」の存在の“揺らぎ”になるのかもしれない。

こちらも交流ゾーンで見ることが可能な、パトリック・ブラン「緑の橋」(向かって右側の壁)と、建物の上に置かれたヤン・ファーブルの「雲を測る男」。



「緑の橋」は、環境が変わっても植物は必ず順応していくという理論の上に、きわめて限られた条件の中での生育を試みる垂直の庭。



「雲を測る男」は、この日は雲ひとつない青空であったので、測るべき雲がないのだった。

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この記事へのコメント
「雲を測る男」は雲ひとつ無い青空で雲に焦がれて待ち続けているんですね。

私はいろんな空が好きですけど、「雲を測る男」の為にも金沢の空に一日でも多く雲があるといいですね。
Posted by miki at 2009年09月28日 13:26
>mikiさん
そうそう、こちらが「雲を測る男」の由来なんですよ。
http://www.kanazawa21.jp/data_list.php?g=30&d=3

「雲でも測って過ごすさ」

うーん…一見、ユーモラスでありつつも、ペーソスを感じるセリフですね…
Posted by 石庭 at 2009年09月29日 00:00
ほんとにそうですね。

雲ひとつ無い青空の下、「今日は雲がねぇな〜」とか思いつつ、そこへ雲が流れてくれば「よしよし、そのままこっちへこいよ〜……、なんだよ!そっちへ行ったら測れないじゃないかよ!」なんて楽しみながら……、

でもふとした瞬間に、毎日腕を上げただ雲を測り続けているだけの自分に物哀しさを感じ、自分の存在に疑問を持ってしまうんでしょうね。

まさに人生。
Posted by miki at 2009年09月30日 00:56
>mikiさん
ああ、そんなふうにして、見る人がそれぞれに物語を想像できたら楽しいですね。
100人いたら、100通りの物語を自由に想像して重ね合わせることができる!(・∀・)
Posted by 石庭 at 2009年09月30日 22:14