2009年11月01日

金沢・主計町茶屋街(後編)

もしもし、もしもし、と呼びかけられて目を覚ました。目をうっすらと開けると、年配の女性が僕の肩を揺すっていた。
頭はぼんやりとしていて、その場の状況が飲み込めず、あれっ、ん、あれっ、ん、などと間の抜けた声で唸っていると、その女性は僕の混乱を察してくれたらしく、僕がずっとここで寝ていたようだと教えてくれた。ここはいったいどこなのかと訊ねると、ここは源法院というお寺だと言う。
なるほど、そこはたしかに細い路地に面した小さなお寺であり、僕はそのお堂の軒下で眠りこけていたようだ。体の節々が固くなって痛んだ。年配の女性は箒と塵取を持っており、ここに掃除に来るのが朝の日課なのだが、今日やって来てみたらあなたが眠っていた、と言った。



僕はいろいろと合点のいかぬ気分でお寺をあとにして、路地の中を歩きまわりながら、昨夜の出来事を寝ぼけた頭で思い出し、整理しようとしてみたのだったが、やはりどうにもおかしい。
昨夜、谷本と名乗る男に連れられて店に入ったものの、その谷本が僕の出した飲食の代金を持ったまま姿を消し、谷本に嵌められた僕は、やむにやまれず、代金を払わずに食い逃げを試み、追手から逃れるために橋から川に飛び込むという愚行を冒して、それから先の記憶がないのだが、それにしたって、川に飛び込んだ人間がのうのうとお寺の軒下で眠っていたのは、やはり合点がいかない。衣服が濡れていたような跡もない。



そして、ふと路地の向こうを見ると、建物と建物あいだを通った人影に僕の視線が引き付けられた。それはほんのわずかな瞬間の出来事だったが、僕の記憶が間違っていないとすれば、それは見覚えのある人物のものだった。
谷本だ。間違いない、谷本だ。このやろう、馬鹿にしやがって、のん気にぶらぶらと姿を現しやがって、飛んで火にいる夏の虫とはこのことだ、ふははははふはっふはっげほっげほっ、などと咳き込みながら奇声を上げると、僕はふらふらとした足取りで路地を駆け抜け、浅野川の川べりを歩く男のうしろ姿を追いかけた。
おい、ちょっと待てと僕はその男を呼び止めた。男は振り返ってはみたものの、まさか自分が呼ばれたとは思いもしなかったようで、きょとんとした顔をしてこちらを見ていた。



おい、谷本、お前は谷本だろう、昨日のお金を返せ、おかげで俺はとんでもない目にあったんだぞ、昨日のお金をどうしたんだ、あれを持って店に謝りに行くんだ。僕は一方的にそう喋り立てると、つかみかからんばかりの勢いで男に詰め寄った。
しかし谷本であるはずの男は、谷本であるはずなのに、ちょっと待って下さい、人違いじゃないですか、自分は谷本という者ではありませんと、何やら怯えた様子で反論した。おまけに、僕のことを、まるでアブない人でも見るような目の色で眺めていやがる。
嘘を付けこのやろう、昨日の夜、一緒に飲んだじゃないか、それで俺のお金を持ち逃げして、ええと、そうだ、お前はたしかに谷本だ、とぼけるのもいいかげんにしないか。いや、だから、自分は谷本ではありません、だいたい何なんですかあなた。何なんですかあなたって、俺のことを覚えていないのか、ああ、そうですかそうですか、そうまでしてとぼけるつもりですか、はいはい。とぼけるって何ですか、変な言いがかりをつけて、とぼけているのはあなたの方じゃないですか。



二人で押し問答をしているうちに、男の方もはじめの頃の怯えの表情が消えて、お互いに気持ちが高ぶってきて、唇の端にぶくぶくと泡を吹き出していたのだった。
そして、男はとうとう、ちょっといい加減にしてくださいよ、人を呼びますよ、と強い調子で怒鳴った。あたりに響き渡ったこの怒号には、僕の方がびっくりしてしまい、すっかり気持ちが萎びて口をつぐんでしまった。
男にそうまできっぱりと言われてしまうと、彼が谷本であるという自信が持てなくなり、もしかしたら昨晩の谷本という男はもっと別の顔立ちであったのではないかという気がしてきて、すると、道を行き交う人たちが皆、谷本であると言われれば谷本であるように思えてくるのだった。
男は、もういいですか、行きますからね、と言い捨て、おまけにチッという舌打ちまで残して、僕の前から立ち去っていった。



朝からものすごく無駄な力を使ってしまったような気がして、猛烈な脱力感に襲われながら、浅野川の川べりの道をとぼとぼと歩いた。
そこには黒い石で作られた文学碑が立っていた。五木寛之の「浅の川暮色」と記してある。
もりぐちはかわにめんしたガラスどをあけると…と、そこに書いてある文章をぶつぶつと読み上げてみる。
そして、僕はあるひとつの事実に気が付いた。
その黒い石には自分の姿がよく映っており、そこにいる自分の顔をまじまじと覗き込んでみると、僕の顔こそが、間違いなく谷本その人物に間違いないのだった。

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この記事へのコメント
 いやーァやられました(>_<)
こんなの有りですか?(笑)
昼休み職場の仲間と読ませて頂きました。
大大うけ\(^o^)/石庭さんって何者???で
またまた謎解き・・・完全にはまりました。
次回作楽しみにしています。(*^_^*)
Posted by 金沢大好きッ子 at 2009年11月02日 19:08
>金沢大好きッ子さん
あり……ですかね!?
次回作はあるかどうか分かりませんが(笑)また遊びにいらして下さい!
Posted by 石庭 at 2009年11月03日 00:50
あり。ですよ!

お邪魔致します。

兼六園の話もそうですけど、ホラーですよ…。なんて言うか、ドグラマグラ?…違うな、カーシュ…?。ってか石庭ワールドですね!全ては貴方の頭の中。みたいな。
私も次回作楽しみにしております!
Posted by miki at 2009年11月03日 02:18
>mikiさん
ま、なんといいますか、先も考えないで書きはじめたら、
落としどころが見つからなくて、こんなオチですみません…
…って感じです(笑)
Posted by 石庭 at 2009年11月05日 23:33
 mikiさん・はじめましてm(__)m
石庭さんのお庭をお借りしてご挨拶させて頂きます。
石庭さん大目に見て下さい(@_@;)

『金沢・露地・坂道』を検索してヒットしたのが石庭さんのお庭でした!!
写真も綺麗だし、文章はドキドキするし(笑)・・・
見ぃーつけた!!という感じです。先輩のmikiさんに大変失礼とは
思いますが・・・
「私と同じ思いの人がいるぞーーッ」と嬉しくなってしまいました!!
よろしくお願いいたします\(^o^)/
Posted by 金沢大好きっ子 at 2009年11月06日 22:22
金沢大好きっ子さん、こんばんは。
そう言って頂けると私も嬉しくなります!

石庭さん、お邪魔してしまってすいません…。

私もこの石庭さんのお庭を発見したときは、見つけた!って思いました。私の場合、ふとした瞬間に何故か龍安寺の石庭が見たくなってなんでもいいからと検索していた時に見つけたんです。ほんと、石庭さんワールドにはすっかりハマってしまいましたょ。
なんか本人を前にしてこうして語るのも不思議な感じですけどね!

こちらこそどうぞよろしくお願いします!
Posted by miki at 2009年11月07日 20:13
ま、まぁ、お二人とも、ごゆっくりしていって下さい(笑)
Posted by 石庭 at 2009年11月08日 21:17