2009年12月24日

或る冬の日−晴耕雨読

秋の名残り。



木々のあいだに紅葉の景色を見つけたときには、それは何かの間違いなのかと思ったものだが、それはたしかに紅葉なのだった。



昔の武蔵野には、このような景色が広がっていたのだろうか。



かつて、文人・徳富蘆花が晩年を過ごしたこの場所は、蘆花恒春園と呼ばれる公園として開放されるとともに、蘆花の旧宅が公開されている。
紅葉の色付きは遅く、12月も半ばを過ぎてなお、紅く染まった葉を見ることができる。
蘆花は、明治39年にロシアを訪問した際、トルストイと面会し、その思想と生活に大きな感銘を受ける。
そして、日本に戻ってくると、翌明治40年には青山の家を引き払い、当時は北多摩郡千歳村と呼ばれていたこの郊外の地に引っ越してくる。彼は田園生活の中で自らの思想を実践し、まさに“晴耕雨読”の日々を送ることとなる。



邸宅は日本家屋が三棟。母屋と梅花書屋と秋水書院がつなぎ廊下で結ばれている。
この母屋の内部を見ても分かるように、とても質素なつくりだ。



こうして邸内を歩いているだけでも、忍び込んでくる冬の空気の冷たさが身に沁みるのだったが、当時の武蔵野の冬は、今とは比べものにならないほどの厳しさであったろうし、



このような質素なつくりの建物で過ごす冬はどのようなものであったのだろうかと想像すると、いっそう冬の寒さが体の奥にまで沁みこんでくるのだった。



園内には、蘆花の手植えの竹林。



晴れた日は畑を耕し、雨の日には家で読書。そこに蘆花は何を見出したのでしょうか。

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