ガランスとは茜色のこと。村山槐多の画を彩るガランスは、とにかく強烈な印象を植え付ける。
「汝のガランスのチューブをとって/汝のパレットに直角に突き出し/まっすぐにしぼれ/そのガランスをまっすぐに塗れ/生のみに活々と塗れ/一本のガランスをつくせよ/空もガランスに塗れ/木もガランスに描け/草もガランスにかけ(中略)汝の貧乏を/一本のガランスにて塗りかくせ」と、この喉の奥から絶叫するような自らの詩に、槐多は『一本のガランス』と名付けた。
展覧会のポスターも、ガランスに彩られたインパクトのある出来映え。素晴らしい。
村山槐多といえば、数年前に東京国立近代美術館で「バラと少女」に出会った時の印象が強烈すぎて忘れられない。
バラ群を背景に少女が立っているというだけの絵なのだが、少女の髪の毛はほつれ、頬は異様なまでに赤く、唇のあいだからは歯がのぞいて、それは野生的というよりは野獣的、それに加えて、バラの花に埋め尽くされた濃密すぎる生の空間は、生き生きしているという爽やかな印象からは遠く、生々しい匂いさえ漂ってきそうな作品だった。
常設展の会場の壁に掛かったたくさんの絵の中で、槐多の「バラと少女」は、はっきり言って、遠目にも異様だったし、目の前にしてみると、いったいこいつは何なんだ…と思いつつ、なかなか絵の前から立ち去ることができなかったのを思い出す。
その「バラと少女」は、しっかりと本展覧会に出品されていた。
作家・有島武郎が槐多の墓碑代の足しにするためにで購入した「カンナと少女」(水彩)、槐多の作品中でもっとも異様…というか異常な存在感を放つ「尿(よばり)する裸僧」(油彩)といった代表作もありつつ、今回の展覧会で目を奪われたのが、デッサン画の数々。
それはデッサンと呼ぶのももったいないくらい、熱を入れて描き込まれた大きな作品もあり、ひとつの作品として立派に存在感を放っていたのだった。
他にも、自ら水彩画を入れた葉書、書簡、紙に書き付けた詩作、そして槐多が恋した年下の美少年(!)へのラブレター(ピンクのラブレター)といったものも。
とても内容が濃くて、素晴らしい展覧会だった。これで観覧料がたった300円とは…(!)。
渋谷区立松濤美術館は、外観は重厚な石造り。
地下二階に位置する中庭に噴水があり、それをぐるりと囲んで、回廊式のギャラリーや喫茶室がある。
昭和55年竣工。戦後日本を代表する建築家・白井晟一の晩年の作品。