2010年02月02日

【想】舟木本・洛中洛外図を歩く

東京国立博物館で展示中の「洛中洛外図屏風(舟木本)は、とても好きな作品です。
以前にも記事を書いたことがあるけれども、ただいま平常展に出ているとあって、久しぶりに見ることができました。



洛中洛外図といえば、狩野永徳作の国宝の上杉本が名高いけれども、僕にとっては、この作者不明(岩佐又兵衛とも)の舟木本の方がはるかに面白い。屏風を埋め尽くした人々の数は2500人以上、描かれた名所の数も90ヶ所以上、その場面のひとつひとつ、描かれた人間の一人一人にストーリーがあり、町の賑わいや人々の会話が聞こえてくるような気分になります。
京都が好きな人であれば、見ておいて損はない……というか、是非とも見てほしい、楽しい屏風絵です。

ここに描かれた京都の町は、東寺のあたりからの俯瞰図になります。
東には豊臣家ゆかりの方広寺、西には徳川家の二条城。時代は大坂の陣の前夜、豊臣と徳川の対立の構図が緊張感を増している頃とされている。
以前、この屏風絵を見たときは、豊臣徳川両家の対立を中心に眺めてしまったのだが、ここに描かれている主役はあくまでも町の人々であるようです。武家である豊臣と徳川を画面の両端へ、御所のあたりのお公家さんたちを画面の上辺へと押しのけるように、この屏風絵の中心を埋め尽くすのは、京の町の人々のムンムンとした熱、熱、熱。

洛中洛外図に描かれているのは、ひとつには名所図。たとえばこれは三十三間堂。通し矢が行われています。



それから、月次風俗図を描いたもの。これは祇園会、当時は勇壮で華やかな母衣武者の行列がありました。



そして町の賑わい。これは当時の京の都のメインストリートだった五条通。
扇屋さんでは、職人さんが扇を作っています。女性の職人さんかな?



商家の裏を見れば、男性陣が碁に興じています。店の主人である旦那さんたちだろうか。店は人に任せておいて、自分たちは碁で遊ぶ…というわけです。



洛中洛外図が生まれた室町時代(16世紀初め)は、政治的なテーマ(幕府や管領らの権力構造)が中心に描かれていたけれども、次第に名所図や風俗図といった性格が強くなり、描かれた景観なども類型的になっていきます。
また、洛中洛外図といえば、権力者が屏風絵を発注し、その権力者の視点で描かれるのが常でした。その権力の下で平穏無事に統治された京の町並みを描くことで、権力の安定を示す…というわけです。そこには、不穏な空気や秩序の乱れがあってはいけないのです。
けれども、江戸時代に入った頃、見た目にも異様で不穏なパワーに満ち満ちた洛中洛外図が誕生します。それが、後に舟木本と称される、岩佐又兵衛作とされるこの洛中洛外図でした。
享楽、欲望、バイオレンス、反秩序…それでは、舟木本洛中洛外図の世界に入りこんでみましょう…
繁華街では、僧侶たちが鐘の絵を掲げて、鐘の鋳造のための普請をお願いしています。



こうした僧侶がいる一方で、町の中には稚児の手を引く僧侶がいます。
そうです、かつて、女人禁制であった僧侶たちは、稚児を手元において慰みものにしていました。当時はこれが珍しくはないことだったとはいえ、わざわざ絵に描いてしまうあたり、表現がストレートというか、露悪的というか…。



五条大橋。浮かれて踊りながら橋を渡る花見客の一行のかたわらには、物乞いの姿があります。



そして、六条三筋町の遊郭では遊女が男を誘い、男らは人目もはばからずに女性に抱きつきまくる…。



一夜の快楽……って、一人だけ、女性に露骨に拒まれている男性がいました(汗)。



極めつけは、町の中での刃傷沙汰。槍がぐっさりと刺さって血を吹いています。



稚児の手を引く僧侶に遊興街の男女(反秩序)、物乞いの姿(貧富の差)、刃傷沙汰にまで発展した騒動(暴力)…と、ここに描かれているのは、平穏無事な洛中洛外の様子とは程遠い姿でした。



権力者のための洛中洛外図が、汚い部分には目をつぶった「飾られた京の都」であったとすれば、この舟木本は、当時の町の姿をよりストレートに描いている、町の人の本音の部分が見える「京の都」の姿であるといえるのかもしれません。

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