2010年03月13日

金沢・卯辰山山麓寺院群

この冬、僕が金沢に旅をした目的のひとつが、この年賀状だった。
それは昨年の暮れに古本屋で購入した本に挟んであったのだった。



昭和61年のもので、差出人の住所は千葉県東葛飾郡となっており、宛先は金沢市東山となっていた。筆跡やはがきに添えられた無邪気な自筆の絵などを見ると、どうやら少年が書いたものであるらしい。
どういう理由でこの本に挟まったままになっていたのかは、今となっては推測するしかない。年賀状を書いた少年本人が本に挟んだまま出し忘れてしまったのか(それにしては、この本は少年が読むには年相応ではない気がするが)、少年の父親が栞代わりに息子の書いた年賀状を本に挟んでそれきりになってしまったのか……いずれにしても、これはどうやら出されなかった年賀状に違いなかった。



僕は、この年賀状に対する興味を隠せなかった。そして、その興味は日々ふくらんでいって、いよいよ耐えがたくなり、ついに金沢を訪ねることに決めたのだった。
旅の前に、年賀状の宛先に記された住所を地図で調べ、おおよその見当をつけておき、実際にその住所を訪問することまで思いついたのだった。



住所に書かれた地は、卯辰山のふもとの寺町の中にまぎれこんでいた。
細い路地がめぐる町の中は迷路のようであり、目当ての住所を見つけ出すのは、思っていたよりも困難な作業だった。無数のパズルのピースの中から、目をつぶったまま、手探りで目的のひとつの欠片を拾い出すような気分に陥ってくるのだった。
それから一時間以上も歩いた頃、とうとう、路地の一角に求めていた住所を探し当てたのだった。



けれども、年賀状に記されていた宛先と、その家の表札に記された名前は、まったく別のものだった。
それを知った途端に、僕の興味は急速にしぼんでいった。あれほどの興味心で僕が執着した少年の年賀状は、僕の手の中で、もはや無用のものに思われてきたのだった。その家の呼び鈴を鳴らして、年賀状の宛先の人物について訊ねることもできたのだろうが、それはとても無駄なように思えた。あるいは、近所の住人に訊ねれば、古くから住んでいる人であれば年賀状の宛名の人物が誰であるかを知ることができたかもしれない。
だけど、それを知ったとして、何になる?だいたい、僕はこの宛先の人物を訪ねて、どうするつもりだったのだろう。「これが古本のあいだに挟まっていたので届けに来ました」と年賀状を渡すつもりだったのか。あるいは、そうだったのかもしれない。だとしたら、僕がよっぽど奇異な人間に見られることは間違いない。

そう思うと、僕の中には、失望からやってきた苛立ちのようなものが込み上げてきて、年賀状をその家の郵便受けに投函してやった。
そして、まわりを見渡して、僕の行動を人に見られていないことを確認すると、その場から逃げるように駆け出した。



路地を抜けたところにある石段を登り切ると、そこはお寺の小さな境内だった。



高台にある境内からは、町の風景を眺めることができた。家々の屋根瓦が鈍く光る風景は、いかにも金沢の町らしい眺めだった。
いや待てよ。僕の頭に、ちらりと別の考えが浮かびあ上がった。
もしかしたら、あの年賀状は出されなかったのではなく、もともと出すつもりなどなかったのではないか。年賀状の宛先に記された人物は、はなから存在などしていなかったのではないか。少年が戯れに書いた年賀状だったのではないか。



そう考えると、いろいろなことが急に馬鹿々々しく思えてきて、冬の風に吹かれながら、僕はすっかり途方にくれてしまった。

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