2010年03月19日

金沢・雨宝院と犀星のこと

金沢という町は、作家・室生犀星(1889-1962)の生まれた町である。
詩人としてスタートした犀星は、のちに小説「幼年時代」と「性に眼覚める頃」で自らの金沢での生い立ちを綴っている。



その生い立ちの始まりは、とても複雑だった。
小畠家に生まれた犀星は私生児として扱われ、戸籍に入ることなく、養子に出されてしまう。
「幼年時代」には、養家のすぐ近くにあった生家としばしば行き来をし、生家の父や母との温かみのある交流が描かれているが、実際のところ、そうした交流はなく、あくまでも小説の中で犀星が父母に対する憧憬を描いたのではないかとされている。



また、「幼年時代」には、養家の血のつながっていない姉との親しい交わりが描かれている。
この姉は、他家に嫁いだものの一年で戻ってきてしまうが、犀星がこの姉をことのほか慕っていたことは、小説を通してひしひしと伝わってくる。
後年、すでに老境にあった犀星は、ふとしたことでこの姉が生きていることを知り、贈り物や手紙を送るなど、長い年月を経て、ふたたび交流をすることになる。少年時代の犀星にとっては、姉がやはり大事な人であったことを示すエピソードだ。



さらに犀星は、ふたたび養子に出ることになる。
少年時代の彼は、小学校から帰ってくると、しばしば近所のお寺に遊びに行っていた。そこでは住職との交流が生まれ、やがて、そのお寺の養子となることとなった。
そのお寺というのが、現在も同じ場所にある(外観は変わったけれども)雨宝院という寺院であり、住職である室生真乗の養子として室生照道と名乗ることとなった。
犀川のほとりにある雨宝院。犀星の「犀」の字は、彼がこよなく愛したこの犀川に由来している。
犀星が過ごした少年時代は、もちろん、現在のように護岸は整備されておらず、お寺の境内から河原に下りることができた。



雨宝院の養子となった犀星の10代の頃の回想は「性に眼覚める頃」に書き記されている。
犀星は、毎朝、手桶を持ってこの犀川の美しい水を汲みにきていた。当時は、河原からお寺を眺めると、二本の高い栂の木と、本堂を覆う欅や楓の大樹が広がり、枝は川の水面すれすれになるほどに生い茂っていた…と回想する。



「性に眼覚める頃」に記されるエピソードで印象深いのが、寺にやって来る賽銭泥棒の若い女の話だ。
彼女は、寺の賽銭箱の錠穴に釘を差し込んで鍵を開けてしまうと、賽銭を盗み出すという行為を繰り返していた。犀星は彼女の行為をひそかに眺めていて、そうした行為を見たあとでは、いつも性欲的な興奮を覚え、また、彼女の行為を咎める自分の姿を想像し、サディステックな妄念に駆られていたと告白する。



そして、彼はある日、賽銭箱の中に若い女への手紙を入れる。手紙には、あなたの行為は寺の者にも知られているからもう来てはいけない…と、女の犯した罪の注意を促す内容を書き記した。
犀星は、こうすることによって女が二度と寺に来ないであろうということを悟り、寂しいと思う気持ちが芽生え、たまらないジレンマに陥ることとなる。



雨宝院の前には、犀星が「性に眼覚める頃」で犀川への思いを書き綴った一文を記した碑が立つ。
作家として成功した犀星は東京で暮らし、故郷金沢に戻ってくることもほとんどなくなったが、愛する犀川の写真をいつも身近に置いていたという。



雨宝院から少し歩いたところには、室生犀星記念館が建つ。ここは犀星の生家の跡地でもある。

この記事へのトラックバックURL

http://trackback.blogsys.jp/livedoor/rock_garden/51658024