2010年03月24日

桜を歩くの記(1)本満寺の桜

世の中に 絶えて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし。



出町柳の駅を起点に、西へ西へと歩いていくと、それは同時に、早咲きの桜を歩く小旅行になる。



今出川通から寺町通を北へ。最初に訪れる場所は本満寺。
門をくぐって、妙見大菩薩の赤い幟の向こうに淡い色の桜の花が見えてくると心が浮き立ち、そして、降りそそぐように咲き誇る花の下に立つと、ただただ上を見上げて、言葉もなく、見惚れるばかりだった。



桜や春を詠んだ歌には古来より印象的なものが多いけれど、桜の咲く季節になると、まず思い浮かべるのが、在原業平の歌。
世の中に桜というものがまったくなかったら、春をのどかな気分で過ごせるのに…という意味だが、その歌の奥にどのような意味が込められているかはさておき、桜の季節の自分の姿を歌に重ねてみると、花の咲き具合や天気が気になって、やけにそわそわした気分になり、桜を愛でるタイミングを逃すまいと、いてもたってもいられずに外に飛び出すわけで、たしかに、世の中に桜が存在していなかったら、春のこの時期もちょっとは落ち着いて過ごせるのになぁ…と思わなくもないのである。


まぁ、でも、これは逆説的な歌で、きっと業平だって、本当のところは「世の中に桜というものがまったくなかったら」などということは思っていないに違いない。もしも桜というものがなかったら、それはそれで寂しいに違いない。



本当は桜の花が好きなんだけど、あまりに好きすぎちゃって、こんなにそわそわしちゃって困るんです…と、僕はこの歌を勝手にそう解釈している。



こうして、“のどけし”とはほど遠い、早咲き桜のせっかちな小旅行が始まったのだった。



◆出町柳=(徒歩)=本満寺

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