2010年04月12日

京都断章6-2 上御霊神社

八所御霊。



740年、藤原広嗣、左遷先の大宰府で反乱を起こすも鎮圧、捕らえられて処刑。
775年、井上皇后と他戸親王、幽閉先の大和国にて不自然な急死。
785年、早良親王、淡路国への配流中に無実を訴えて絶食で憤死。



842年、橘逸勢、謀反の罪で伊豆へ配流、護送中に病死。
文室宮田麻呂、謀反の罪の濡れ衣を着せられ、843年に伊豆へ配流。没年不詳。
903年、菅原道真、左遷先の大宰府にて失意のうちに死去。



中京区の下御霊神社と区別して「上御霊神社」と呼ばれるこの神社には、八柱の祭神が祀られている。
吉備真備を除いては、いずれも政争に巻き込まれて不慮の死を遂げた人々で、その怨霊を鎮めるために創建されたのが御霊神社。


ふだんは人の訪れることも少ない境内は、木々が生い茂り、



太陽が雲に隠れると、薄暗ささえ感じる。



町の中、民家の立ち並ぶ角のさりげない風景の中に、こうして怨霊の鎮魂の社の鳥居が口をあけている姿も、京都ならではというべきか。



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