夏の庭 龍安寺
十五の石組。
ある月曜日。朝八時。久しぶりの龍安寺。
観光スポットとして人気のある場所なので、人ごみを避けたい僕としては、京都に行ってもなかなか訪れる機会に恵まれない場所。
月曜日の朝であれば空いているだろうということで、久々の拝観。
山門で拝観受付をすませて、鏡容池を左に眺めながらの庫裏までのアプローチは美しく、それは、日常から非日常へ転換するアプローチでもある。
庫裏から方丈へと歩いていくと、十五の石で造られた枯山水の庭園が目の前に姿を現す。胸が高鳴る時。
人々は、15の石にいろいろな姿を想像し、意味を求めてきた。
その姿は、まさに小宇宙。
多くの人々の思念を呑み込んでもなお、解くことのできそうにない十五の石の意味。
けれども僕は何も考えずに、ただぼんやりと15の石を眺めて、石が語りかけてくるのを待つだけ。
それから一時間ほど過ごして、石庭をあとにする。
帰り道も景観の変化が目に楽しい境内。
苔生した木立の中を歩く夏の朝は気持ちが良く、
視界がひらけると、鏡容池。
月曜日の朝八時、久しぶりの龍安寺。山門を出れば、また日常。
Posted by rock_garden at 22:59│
Comments(2)│
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いい時間帯ですね!
誰もいない龍安寺・・・あこがれです。
独り占めの小宇宙はどうでしたか?
私も朝一番の電車に乗ったら行けますね^^;
>一休さん
そうそう、ぜひ、朝いちばんで訪れてみてください!
この十五の石の庭を眺めながら、このブログを作りはじめた頃の原点を思い出しましたねぇ…。
ブログに「石庭」と入れたのも、この龍安寺の庭園への思い入れでした。今考えると大げさだったかな…と(笑)