2010年10月12日

北陸妄想(5)一乗谷(後編)

朝倉義景の館跡の背後の山を踏み入っていくと、高台に南陽寺というお寺の庭園跡が遺されていた。



今、こうして我々が目に出来るのは、仏殿の基礎部分の跡や、庭園跡に残る石組みばかり。
一乗谷には、かつては40ほどの寺院があったとされる。この南陽寺は、朝倉家とはとくに縁が深く、朝倉家代々の女性が尼として入る尼寺だった。
けっして大きくはない石組みは、ここが寺院の庭園跡だという案内がなければ、つい、素通りしてしまいそうだ。
山の麓の誰も訪れないような場所で、石たちは何も語らずに立っている。何百年。もしも石たちに記憶というものがあるのならば、と僕は空想する。その記憶は、いったいどのようなものなのだろうか。
庭園跡には、朝倉義景と、足利幕府最後の将軍となる義昭(義秋)の詠んだ歌の碑が立っていた。



義景を頼って一乗谷にやって来た義昭は、しばらくここ一乗谷に滞在した。義昭を手厚くもてなした義景は、この南陽寺で歌会を催す。歌碑にある2首は、ともに糸桜を詠みこんだものだが、当時のこの庭園には糸桜が植えられていたという。



木が切り倒されたこの株は、いつのものだろうか。義景と義昭の歌に詠まれたような、糸桜の木だったのだろうか。



義景の館跡や復原町並みに多くいたはずの観光客の姿も、ここまで来るとまったく人影もない。忘れ去られたような、寂しい場所だった。



南陽寺跡から、さらに山の方へと入っていくと、



朝倉家100年の礎を築いた初代・朝倉孝景の墓所が、山林に囲まれた静かな場所に立っていた。



さらに道づたいに歩いていくと、やがて諏訪館跡の裏手に出た。
このあたりはかつて多くの館があったのだろう、山を切り開いて、段々状にならした斜面には、人の手によって置かれたと思われる石の姿が目立ち、草におおわれたその姿に、時間の流れを感じる。ここにもまた、名もなき石たちの記憶が散らばっているのだ。



そして諏訪館跡の庭園へ。
ここは、朝倉家遺構の庭園群の中でも、もっとも当時の姿をとどめているのだろう。庭園群の中でも最大の規模の回遊式庭園で、池の背後の水路から導かれた水が池へと流れ落ち、実際に、庭を歩いてみると、池には石橋などもきちんと架けられている。



滝副石は、日本でも類を見ないくらいに大きさで、高さは4メートル以上にもなる巨岩だ。
その滝副石に象徴されるように、朝倉氏の栄華もここに極まれり…といったような、豪壮さを全面に押し出した庭園の跡だ。



諏訪館跡から少し歩くと、湯殿跡庭園。



ここは庭園群の中でも、もっとも古いものとされる。
かつては池に水が湛えられていたが、苔生し、雑草が生えた枯れ池には、往時の栄華を想像するのさえ難しかった。



何百年。何も語ることなく、ここに立ちすくんできた石たちに刻まれた記憶を空想する。
それは、糸桜のあざやかな栄華の記憶なのか、あるいは、ひとつの町が業火に焼き尽くされていく記憶なのか。焼失の跡に遺された石たちの姿に、盛者必衰の理ではないけれど、歴史の残酷さや、栄華の儚さや空しさを感じないでいられなかった。
旅先で行方の分からなくなった僕の知人は、これらの栄華の跡を見て、何を思ったのだろうか。その胸には、何かしら空虚なものが到来したのだろうか。

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