2010年10月22日

北陸妄想(0)東尋坊

三国からバスに乗って、東尋坊までやって来た。ここが旅の終着点だ。
東尋坊といえば、自殺の名所(名所という呼び名も変だが…)などとも言われているので、もっと寂しい場所なのかと勝手に思い込んでいたのだが、バス停から海岸までの道には露店が立ち並び、多くの観光客で賑わいを見せていた。
かつて乱暴狼藉を働いた東尋坊という僧の名を由来とする、断崖絶壁の海岸線。その悪事の数々に手を焼いた他の僧侶たちが、東尋坊をここに連れ出し、酒盛りで酔わせ、岸壁から突き落とした場所。
東尋坊の怨念が渦巻いてた場所も、今では家族連れや若い男女の姿も目立ち、崖の下からは遊覧船が発着するなど、ごく当たり前の観光名所としての姿にしか見えない。



北陸旅行に出たきり、行方をくらましてしまった知人。
その彼が旅先からブログに書き残した足跡を辿って、僕もまた、金沢から福井へと旅をしてきたはずだった。
いや、違う。行方不明になった知人など、本当にはじめから存在していたのだろうか。
公衆トイレの鏡に映した僕の顔は、僕が携えてきた写真の中の知人そのものであり、僕が写真の中に刷り込まれてしまったのか、あるいは、写真の中の人物が外に出てきて僕になり代わったのか、さもなくば、もともと彼などは存在せず、僕が彼だと思ってきた人物が僕自身だったのかもしれない。
旅の途中までは、その写真の人物は僕ではなかったはずだが、今となっては、そう言い切ることができる自信もなかった。彼の顔がどのようであったか思い出せないし、鏡に映った僕の顔が僕であるという確信も持てなかった。
観光客の群がる断崖から離れて、僕は遊歩道を歩いて雄島の方を目指すことにした。この海岸線に歩いて、ちょうど対岸の先端の方角である。
東尋坊の崖から転落した死体は、潮に流されて雄島へと漂着するという。



遊歩道を歩きはじめると、すぐに僕以外の人の姿はなくなった。一般の観光客は、寂しげなこの海岸線を歩かないのかもしれない。
松林の間からは、海面に反射した日差しがまぶしかった。
途中、松の植林をしている人たちに出会ったが、彼らが僕の方を注視しているように感じたのは、まさか僕を自殺志願者だと思い違いしたのだろうか。



しばらく歩くと、視界が開けた場所に出た。整備された階段は、吸い込まれるように海の下へとゆるやかに沈んでいく。



僕はここで、携帯電話で行方不明になった彼の実家に電話することを思いついた。これは名案だと思えた。
そうだ、彼の家族と話をすることができれば、僕が彼であるとか、彼が僕であるとか、そのような一時の思い違いみたいな錯覚もすぐに解消されるはずだと、震える指で携帯電話のメモリーを呼び出し、電話を繋いだ。



そして、呼び出し音の後に電話口の向こうに出たのは、僕のよく知っている声だった。
それは僕の母親の声だ。
僕は何がどうなっているのか理解に苦しみ、言葉を失った。電話をつかんだままの無言の僕に向かって、母は必死に呼びかけていた。



ああ、そうだ、分かったぞ…。
僕はすべてを理解した。行方不明になっていたのは、僕自身だったのだ。僕自身が僕の足跡を辿ってきて、またこの場所に戻ってきたのだ。
逆光の中で海を眺めながら、僕の頬には涙が流れている。そして、眼下の断崖には、波が砕ける音がしていた。

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この記事へのコメント
こんばんは
「北陸妄想」シリーズ 毎日楽しみにしながら拝見致しました^^
友人は けっきょく見つからないのだろうな…と思っていたのですが
こういう結末だったんですね
写真とのコラボで ストーリーのおもしろ味がグッと引き立ちますね!
Posted by dendoroubik at 2010年11月08日 21:11
>dendoroubikさん
はい、こんな結末ですみません!
なんというか、思いつきで旅行記を書き始めてみたものの、
あまりに思いつきだったので着地点を見つけることに苦心してしまい、
東尋坊を終着点に持ってきてしまいました。
実際は、こういうルートでの旅ではなかったのですけどね(汗)
Posted by 石庭 at 2010年11月09日 00:31